コロナ禍によりニューノーマルな生活が強いられるようになった現代。個人の生活レベルはもちろんのこと、様々な業界でも“対応力”が求められている。ホテル業界もその1つだが、この状況下でも変わらぬ最上質のサービスを提供し続けているのが「帝国ホテル」だ。そこで本稿では、帝国ホテル130年の歴史を紐解き、その根底にあるホスピタリティや精神性について触れてみたい。

「日本の迎賓館」の誕生
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初代本館

まずは、その歴史から。帝国ホテルは1890年(明治23年)11月に「日本の迎賓館」として開業した。これは新橋~品川間に東京初の路面電車が走るより13年も前のことだ。海外からの賓客をもてなすため、渋沢栄一翁を筆頭とした政官財のリーダー達が国の威信をかけて創り上げた最高級ホテルで、鹿鳴館の北隣に建てられた。なお渋沢栄一は1890年の開業当時から1909年まで経営に携わり、初代会長も務めている。

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2代目本館(通称『ライト館』)

帝国ホテルと言えば、建築家フランク・ロイド・ライトが設計した2代目本館の通称「ライト館」も有名だ。ライト館は1923年(大正12年)9月に開業した。大谷石、スクラッチタイル、複雑な幾何学模様を刻み込んだテラコッタからなる独特なデザインで、「東洋の宝石」とも称された。南北両側に客室がシンメトリーに配置された設計は、宇治の平等院 鳳凰堂にヒントを得たとされている。

さて現在、帝国ホテルを率いているのは定保英弥氏。1984年に帝国ホテルに入社した同氏が、当時47歳の若さで第12代 東京総支配人に就任し、2013年4月に社長に就任している。2020年10月9日、東京商工会議所において定保社長は以下のように語っている(一部抜粋)。

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株式会社帝国ホテル 取締役社長:定保英弥

「130年間、その精神を受け継いだ先達の弛まぬ努力によって、そのブランドが守られ、今日につながっており、この歴史を絶やすことなく、良いかたちで次の世代に引き継いでいくことが、私の使命だと思っています。

(中略)現在、新型コロナウイルスの影響で、ホテル業界もかつてないほどの苦境に立たされ、この先も、ニューノーマルな生活様式や新たな価値観に順応していくことが求められる時代を迎えています。私たちは、また近い将来、世界中から多くのお客様がお越しになられる時代が訪れる日に備え、私達自身が民間外交の窓口を担うのだという気概をもって、また、メイド・イン・ジャパンの矜持を胸に、その役割と責任を一生懸命果たしてまいりたいと決意を新たにしております」。

たくさんの『日本初』

帝国ホテルでは、これまで数多くの『日本初』の試みを行ってきた。いまとなっては定番の“バイキング”形式の食事も、実は帝国ホテルが始めたもの。当時、新館料理長だった村上信夫氏(のちの帝国ホテル第11代 料理長、初代総料理長)が1958年8月に、ブフェ形式のレストラン「インペリアルバイキング」をホテル内に開店したことに由来する。日本ではそれ以降、食べ放題スタイルの代名詞として『バイキング』という言葉が定着した。

「インペリアルバイキング サール」
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現在のホテルウエディングのサービスが1923年(大正12年)に導入されたことにも触れておきたい。1923年9月に発生した関東大震災により、多くの神社・仏閣が焼失してしまったことを受け、ホテル内に神殿を設置。お支度から挙式、披露宴、記念撮影までをホテル内で一貫してすべて行えるのが「ホテルウエディング」の始まり。大正時代に帝国ホテルが発案した同サービスは、その後、国内の多くのホテルでも導入され、日本独自の文化として発展していった。

IMPERIAL WEDDING
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このほか、日本初のホテル内ランドリーができたのが1911年、約20店の店舗を集めた日本初の「アーケード」ができたのが1922年、といった具合に帝国ホテルが始めた”日本初”は枚挙にいとまがない。これもゲストの快適性に寄り添ったサービスを考え続けてきた結果と言えるだろう。

また、1966年には日本初のディナーショーを開催。ラスベガスで行われていた食事つきのナイトショーを参考にした、雪村いづみによる「チェリーブロッサムショー」がその最初とされている。

時代に合わせた最上質のサービス

帝国ホテルではその伝統を守りながら、時代のニーズに合わせて最高品質のサービスが今でも進化を続けている。バイキングやホテルウエディングの現状を紹介しよう。

60余年の歴史があるバイキングレストランは、現在「インペリアルバイキング サール」として帝国ホテル東京 本館17階で営業している。料理人が目の前で料理を仕上げるオープンキッチンが導入され、またオススメ料理と飲み物の相性をアドバイスするバイキングコンシェルジュが配置されるなど、時代とともに進化を続けてきた同レストラン。2020年春に緊急事態宣言の影響で一時休業したが、8月1日より、安全・安心な対策が徹底されたニューノーマル対応のバイキングスタイルで営業を再開した。どのあたりが変わったのだろうか?

まず、「密」を避けるための工夫が各所に施されている。入店時の混雑を避けるため、予約時間に組数制限がされており、ブフェステージでの混在を避けるため、各テーブルに設置したタブレット端末にて好きなタイミングで注文できる「オーダーバイキング」が採用された。さらに、席にいながら調理過程も楽しめるよう、作り上げる料理の一部は店内設置のモニターでライブ中継されるようになった。そして、ディナータイムにはバーテンダーによるカクテルの創作、デザートコーナーでは炎の演出など、五感で楽しめる新サービスも導入された。なお200席ある店内は100席に減らし、ブフェステージの料理にはアクリル板を設置するなど、感染症対策にも徹底して取り組んでいる。

「インペリアルバイキング サール」
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帝国ホテルのホテルウエディングも、現代に至るまでアップデートが繰り返されている。花嫁の控室「ブライズサロン」は2010年に客室スペースを改修し18室を新設。ドレス姿の全身を確認できる全身三面鏡や、ライティングにこだわったメイク台が設置された。2015年にはワシントンD.C.を拠点に活躍する世界的ケーキデザイナーのマギー・オースティン氏とコラボしたウエディングケーキを導入、2019年春には杉本雄東京料理長監修による新しいウエディングメニューも加わり、進化を続けている。

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いまでも変わらぬ精神

帝国ホテル 初代会長の渋沢栄一は当時の従業員に対して、以下のような労いの言葉をかけたという。

『色々の風俗習慣の、色々の国のお客を送迎することは、大変に苦労なことである。骨の折れる仕事である。然乍ら君達が丁寧に能く尽して呉れゝば、世界中から集り世界の隅々に帰つて行く人達に日本を忘れずに帰らせ一生日本をなつかしく思出させることの出来る、国家の為にも非常に大切な事である。精進してやつて下さいよ。』

定保社長は、そんなエピソードに触れ、「私たちがまさに、いま思い返すべきは、渋沢初代会長が道標として後世に残してくれた、この言葉なのだと強く思うのであります」と語っている。

今も昔も帝国ホテルでは、常に「お客様のために何ができるか」「我が家のようなくつろぎをいかに提供するか」を考え続けてきた。その根底にあるのは、日本人ならではの心を尽くしたおもてなしの精神だ。日本の迎賓館として出発した自負心ゆえに、伝統と品質を保ちながらサービスを柔軟に変化させてゆくことができたのだろう。

最上質のサービスを肌で感じてみてはいかがだろうか。

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