渡辺明竜王 VS ボナンザ

将棋界初の試みとして注目された渡辺明竜王(22)と将棋コンピュータソフト「ボナンザ」の2007年度3月公開対局一戦が、一昨年(2007 年)5月21日テレビ放映された。渡辺竜王が112手で勝ち、第一人者の実力を示したが、名人に匹敵するほどの腕前を披露したボナンザの素晴らしいパーフォーマンスに圧倒的な印象を受けた。

ボナンザが勝つのではと思わせる局面もあったほど強力なコンピュータ将棋人工知能・ボナンザの仕組みはどのようなものなのだろう?

面白かったのは、舞台上で対局PCを操作したボナンザの作者保木邦仁氏が、終局においてはどちらが勝っているのかも全く把握できず、舞台上の同席者に「あのう、いまどちらが勝っているんでしょうか?」と不安げに聞いている場面がテレビカメラに捕らえられていたことだった。

理論物理化学研究者保木氏は、将棋についてはほとんど知らない自称「11級」。彼が師匠としてPCに勝つ極意を教え込んだ訳ではない事は明らかだった。

ボナンザのプログラミング

では一体ボナンザの思考ルーチンはどのようにプログラムされているのだろうか。恐らくボナンザは勝つ極意を「自ら」発見するようにプログラミングされているに違いない。

そう、それは我々が抱えている最大の課題と同じである。「我々は如何にして勝てる相場取引手法を学習したり発見したりできるのだろう?」

驚いたことにボナンザはネット上でフリーソフトとしてダウンロードできる。保木氏のHPと膨大なリンクの先を辿って、その仕組みが明らかになってきた。

想像していた通り、それは全幅探索の思考エンジンを搭載していた。全ての可能性のある指し手をしらみつぶしに探索して最善手を見つけるという手法である。

しらみつぶし探索はコンピュータが得意とする分野で、保木氏によるとボナンザは普通の家庭用PCを使って1秒間に30万局面の探索が出来る。

自動再生評価関数

問題は、100秒掛けて探索した3000万の局面をどのように評価して最善の手を見つけるかという難しい課題だが、ボナンザは自動生成の評価関数で順序付けするという。この部分の質の高さがボナンザの強さの秘密なのだろう。と言うのもボナンザは、それまで首位を保ってきた8倍のPC能力を持つヘビーマシンを、初出場の世界選手権試合で、普通のノートパソコンを使って打ち負かしたからだ。

「宮本定跡2006」

これに加え、個人の方が7年間半かけて手入力作成したと言う「宮本定跡2006」が組み込まれている。序盤に参照するデータベースを構築しており、ここに20万手が登録されている。既知の知恵を網羅して詰め込んだデータベースを探索することで次の最良手を発見すると言う、我々でも思いつきそうな古典的な問題解決手法である。

人は相場に立ち向かい知恵で勝とうとする。その知恵を集積したものが定跡であり、定跡の習得が第一の問題解決の手段なのだろう。

しかし知恵は誰しもが所有している。共有の知恵は無ければ不利になる可能性が高いが、あったところで有利になるという保証は無い。共有しているのだから、それを根拠に優劣をつけるのは難しい。では、自分だけの新発見の手や、誰も知らない極意を生み出すにはどうすればよいのだろうか。これを知ることが第二の問題解決となるはずだ。

取引システム、マネー・マネジメント

現代的取引手法が発達してきた歴史を振り返ってみると、二つの主要な道筋をたどってきたと言える。古典的手法の改善。そしてもう一つは、全く新しい斬新な理論と取引手法の台頭である。

古典的な取引手法を現代的に改善するというやり方には、現代文明の代名詞ともいえるコンピュータの発達が大いに奇与した。なかでもシステム取引は、最もポピュラーになるための要素をすべて備えていたために、現代的取引ツールの窮児となった。

マネー・マネジメント理論

新しい理論も台頭してきた。マネー・マネジメント理論の基礎概念は、賭けのリスク管理手法を援用して、価格変動の方向性だけではなく、資産をどの程度、相場の何処に賭けるか、その数量を定める為の決定ツールである。ファンド・マネジャーの就労時間のかなりの部分がこの最善解発見努力の為に費やされている。

オプション理論

さらにオプション理論の発展と実用化なくしては、リスクの尺度化、計量化という相場計測の先駆的手法を実現することはできなかっただろう。リスクの計量化が可能になった背景には、相場とは予知不可能な一種のランダム運動であるという認識がある。すなわち相場とは、丁か半かのサイコロ振りの様なランダム運動であると見なすことで、相場に確率という概念が導入されたのである。

これらの現代市場理論には古典的統計学が適用されており、根本的な相場概念が変わったわけではない。われわれは、コンピュータによる超高速の計算能力を手に入れた結果、今までは面倒で誰も計算しようとしなかった相場の数値的側面に光を当てることができるようになったのである。シグマという標準偏差を計る単位が、まるでセンチメートルと同じような汎用性で、相場空間をはかる標準的な尺度となった。

金融工学(ファイナンシャル・エンジニアリング)

こうした理論が生み出されたのは、米国の大学の研究室であったことも特筆に値する。その結果、大学の教授がウォール街の一流証券会社や投資銀行の重役として迎えられることになった。学問と投機の世界が、史上初めて腕を組んだのである。これが金融工学(ファイナンシャル・エンジニアリング)である。一流大学の理工科の生徒が、金融界に雇われるようになっていく。

機械学習、ニューラルネット、遺伝的アルゴリズムとカオス理論

もう一つは、今までは考えることもできなかったような、全く新しい手法や相場概念の発見である。人間の神経組織をコンピュータ上で模倣したニューラルネットが、その代表的なものである。ニューラルネットとはシステム取引の基礎となっているシステム取引係数の学習過程を、神経生理学のレベルまでさかのぼって模倣する。相場を自動的に機械学習する一つの試みである。

「カオス理論」の影響

実用的な取引手法ではないが、われわれの相場概念を根本から覆すような新理論も出てきた。中でも最も強力な影響を与えたのは、現代数学の一分野であるカオス理論である。カオス理論を学んで、明日の取引に何か役に立つかと過大な期待をすると、裏切られてしまう。しかし、この理論を習得しているトレーダーと、知らないトレーダーの相場観には根本的な違いがあるように思われる。というのも「カオス理論」は、なぜ相場に勝てないかという理由を、いままでのどんな理論よりもうまく説明しているからだ。カオス理論は「勝てない相場」の数学的研究であり、われわれの相場観に説得力のあるリアリティーを持ち込んだ。

ジェネティック・アルゴリズム(遺伝的アルゴリズム)

「新しい取引手法を発見するための手法」であるジェネティック・アルゴリズムについても、取引手法発見の実例を挙げて触れて行く。ジェネティック・アルゴリズムとは、「遺伝子の突然変異と、自然淘汰のメカニズムが組み合わさって、生物の進化を促している仕組み」を指す。

最善の取引手法や誰も思いついたことのない新取引手法は、偶然によって発見するのが一番早く、有効であるという、新しい考え方がある。人類という地球上最強の超新種の出現は、神の意思による必然の結果だろうか? それとも突然変異の積み重ねと、数百億年の自然淘汰フィルターの組み合わせが産み出した驚異的偶然の結果であろうか?もし後者ならば、ソロスのような天才ファンド・マネジャーの出現も、地球的規模で観察すると、個人の努力や運命の賜物ではなく、単純な偶然が重なって出現した驚異的結果であるに違いない。

取引手法の進化

このように、進歩の根本的原理は偶然の積み重ねであるという考えを逆用し、偶然の積み重ねによる取引手法の「進化」をコンピュータ上の仮想世界の中で、人為的に積極的に模擬発生させてみようという考え方が、ジェネティック・アルゴリズムの根本原理である。

こういった相場理論は、相場認識の基本モデルを自然界に求めている。そこはもはや人生劇場の舞台ではないのだ。電子的イメージと数値が飛び跳ねるゲームの世界でしかない。相場における精神主義は古き良き時代のアプローチとなりつつあるかのように見える。

『マーケットの魔術師』

しかし、『マーケットの魔術師』がベストセラーになった最大の理由は、まさにこの取引者の精神像を的確に生き生きと描き出したからだった。勝てる手法があるに違いない、という期待と同じくらい強く、「勝てる精神的な生き方」があるに違いない。一部の心理学者がこの部分に着目し、相場の世界に心理学を持ち込んで、ビジネスとして成功させた。

逆説的相場認識

現代的相場理論に共通している特色は、「逆説的認識」を基礎とする世界観であり、これらは現代科学や現代芸術の根本的特色と全く同じである。量子物理学から始まった「高度な知る手段を得るほどに、物事は不可知であるということを知る」という現代科学の宿命は、相場の現代理論にも色濃く反映しているのである。

現代芸術が抱える問題

また、これは現代芸術が抱えている問題とも共通している。現代芸術の場合、表現しようとすればするほど表現することは困難になるという、自己撞着を根本原理としている。現代音楽は、音楽の基礎である音階を失ってもう70年あまりになるが、いまだに次世代の新音階を発見していない。

田中雅氏のプロフィールはこちら

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