年間1,000件以上の健康相談やストレス・メンタルヘルス相談を実施する武神健之氏(医師、医学博士、日本医師会認定産業医)が職場のストレスとコミュニケーションについて解説します。

  • よく「怒る」上司は要注意

今回は、メンタル不調者が続出する組織の上長にありがちな勘違い、「怒ると叱る」について書かせていただきます。

これまで1万人以上の働く人と面談した産業医の結論として、メンタル不調者が続出しない組織の上長は怒るということをほとんどしません。反対に、メンタル不調者が続出する組織の上長は、よく怒ります。そして、周囲を萎縮させてしまっているか、たまにしか怒らなくてもそのときに容赦なく相手を打ち砕き、メンタルヘルス不調にさせる傾向があると感じています。

上司と部下の価値観は異なる

私は産業医として、「自分の価値観と相手の価値観が異なったとき、それが譲れないとき、それは怒るべきときだから怒っていい」と考えている管理職が、メンタルヘルス不調者の上長であったというパターンを何度も経験しています。

往々にして彼らは、実際に部下がメンタルヘルス不調による休職に入った後に、この上長たちと話してみると、「部下が間違えた」「部下はこうあるべきだった」と丁寧に説明してくれることがあります。決して瞬間湯沸かし器的にとか、感情に任せて怒ったのではないことが伝わってくる方も多数います。

しかし、どのように冷静に起こったとしても、価値観の相違を理由として怒ることは、どちらかが本当に正しいのかは、誰にもわからない場合も多々あります。部下は、"部下"だから"上司"に従うだけで、本当に納得していると思っているのは上司当事者だけであることがほとんどです。

その時々の怒る根拠はあくまでも上長の価値観と部下の価値観の相違であり、概して、当事者はみんな自分の価値観に沿ってやっているだけで、自分が正しいと考えているわけです。

物事のどの程度までを許容し、どの程度以上を許容しないかとか、物事の優先順位のつけ方や判断基準を"価値観"と言います。その価値観は人それぞれ異なります。そして、どの程度を超えたら怒るかの価値観は人それぞれで異なるのです。

自分の価値観に沿って行動し、この一線を越えたら怒る。この一線を周囲の人が越えないように「見える化」しておくことが有効なこともあります。

しかし、忘れてはならないのは、その一線もしょせん個人の価値観であり、他人が本当に納得しているとは限らないということです。

そのためにも、お互いの「怒る基準や許容範囲=価値観」を普段からよく話し合っておくことが大切です。その際は、自分の価値観を大切にするだけでなく、相手(他人)の価値観も尊重するのは言うまでもありません。

「正しさ」は人それぞれ

このとき、忘れてはならないのは、「正義は人の数だけある」ということです。

つまり何を正しいと判断するか、どこまでを譲れるとするかなどの価値観は人それぞれで、本来変えられないものなのです。

大きいスケールで言えば、宗教や文化圏が異なれば何が正しいかは異なります。身近な例で言っても、会社が異なれば文化が異なり、正しいの基準は異なります。立場が異なればこのような価値観(正義)は、立場の数だけあるのです。

繰り返しますが、「正義は人の数だけある」のです。ですから、自分と相手の「正義」(価値観)が異なっただけで、相手を怒ってはいけないのです。いくら怒り方のテクニックを学んでも、そもそも怒る判断基準に納得がなければ、その怒るに自己満足する人もいる一方、怒られた方には不満、ストレスが溜まってしまうのです。

だからこそ、会社という組織においては、ルール作りとその明確化、浸透と確認が有効です。メンタル不調者を続出しない上司は、個人の価値観ではなく、組織のルールに基づいて判断していることが多いのです。

しかも、このルールに沿わなかった場合も、メンタルヘルス不調者を出さない上長、ハラスメント被害者を出さない上長は、滅多なことで部下を怒ったりせず、まずは部下を叱ります。相手に怒るのではなく叱るのです。

相手を承認することで「怒る」が「叱る」になる

  • 大切なのは相手を"承認"すること

この「怒る」と「叱る」とはどのような違いがあるのでしょう。

まず「怒る」ですが、これは他人にもできますが、自分一人もできます。あなたは自分で自分を怒ることができるでしょう。大声を出したり、声を荒々しくしたり、そういう「怒る」は自分自身に対してはする分には誰も文句は言いません。また、「怒る」という感情の表現方法として、泣く、叫ぶなども自分に向けている場合は問題ありません。

しかし「叱る」には、必ず相手が必要です。

相手を必要とする行為である「叱る」には、その分、他人に対する責任をしっかりと認識して行う必要があります。

何が言いたいかというと、「叱る」ときには、「怒る」ときよりもしっかり考えておこないましょうというある意味、当たり前のことです。

元プロテニスプレーヤーの松岡修造さんは、日めくりカレンダー「まいにち、修造!」(PHP研究所)の中で、「叱る」のなかには「期待」があるというメッセージを掲げ、「怒る」とは自分の感情を相手にぶつけること、「叱る」とは相手のことを思い、注意することだと述べています。

これには私も同意見です。怒るときに相手を"承認"すると、それは叱るになると私は考えます。承認するためには、相手の価値観をきちんと理解し認め合うことが必要です。価値観の相違で怒るのはなく、ルールに沿わないことを叱る。

全ての上長に、ぜひ意識してほしいと思います。

※画像と本文は関係ありません

著者プロフィール: 武神健之(たけがみけんじ)

医師、医学博士、日本医師会認定産業医。一般社団法人日本ストレスチェック協会代表理事。ドイツ銀行グループ、BNPパリバ、ムーディーズ、ソシエテジェネラル、アウディジャパン、BMWジャパン、テンプル大学日本校、アプラス株式会社、日本風力開発株式会社といった一流外資系企業を中心に、年間1000件以上の健康相談やストレス・メンタルヘルス相談を実施。働く人の「こころとからだ」の健康管理を手伝う。2014年6月には、一般社団法人日本ストレスチェック協会を設立。「不安とストレスに上手に対処するための技術」「落ち込まないための手法」などを説いている。
著書に『職場のストレスが消える コミュニケーションの教科書―上司のための「みる・きく・はなす」技術』(きずな出版)がある。