注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、フジテレビ系バラエティ番組『ダウンタウンなう』『IPPONグランプリ』『人志松本のすべらない話』の総合演出を務める日置祐貴氏だ。

入社以来『めちゃ×2イケてるッ!』を担当してきたが、昨年3月の番組終了に伴い、ダウンタウンの番組を担当することになった日置氏が心がけていることとは――。


■『めちゃイケ』やりたくてフジ入社

日置祐貴

日置祐貴
1980年生まれ、千葉県出身。早稲田大学卒業後、04年にフジテレビジョン入社。以来バラエティ制作で『めちゃ×2イケてるッ!』『ピカルの定理』『バチバチエレキテる』『ワイドナショー』などを担当し、現在は『IPPONグランプリ』『人志松本のすべらない話』『ダウンタウンなう』で総合演出を務める。

――当連載に前回登場した放送作家の酒井健作さんが「“めちゃイケイズム”が芯にあり、仕事を超えてお笑いが大好きな人。そんな彼が『ダウンタウンなう』『IPPONグランプリ』『すべらない話』という番組を手がけているので、そのことについての話を聞いてみたいですね」とおっしゃっていました。

僕みたいな者をご指名していただきありがとうございます。健作さんとは『めちゃイケ』からお世話になっていて、僕がやる特番にも入ってもらったり、今は『ダウンタウンなう』でも一緒に頑張ってもらってます。

『めちゃイケ』が終わることが決まって、自分が会社から何を求められているのかなと思ってたら、(第二制作室)部長の佐々木(将)から「お前はお笑いの番組をこのままやっていったほうがいいから、『IPPONグランプリ』と『人志松本のすべらない話』をやってほしい」と言われたんです。僕は入社以来ずっと『めちゃイケ』だったんですけど、あの番組は片岡飛鳥という僕の師匠が総監督として全責任を背負って出演者と一緒に面白いものを作っていく番組でした。ですので、その下で一ディレクターとして仕事をしていた僕のことをちゃんと認識してる人ってフジテレビの中にすらそんなにいないと思うんですよ。だから、そんな人気のある番組に自分が指名してもらえてうれしかったです。

――とはいえ松本人志さんの番組ですから、プレッシャーもあったのではないですか?

それはすごくありました。ずっと『めちゃイケ』をやっていたので、ダウンタウンさんとお仕事することってなかったんです。正直、超怖い人だろうなとか、松本さんに口も聞いてもらえなかったら嫌だなあとか思ってたので、その緊張感がまずありましたね。

――入社してからずっと『めちゃイケ』だったそうですが、志望されていたのですか?

はい、僕は『めちゃイケ』がやりたくてフジテレビに入ったんです。2004年に入社してその年の『27時間テレビ』が『めちゃイケ』の回で、ディレクター陣もカッコよくて、番組がすごく輝いて見えたので、当時の局長の港(浩一、現・共同テレビ社長)に「『めちゃイケ』やりたいです」ってお願いしました。「しんどいけど大丈夫なのか?」って言われたんですけど、「これをやりたくて入ったんで!」と言って、配属させてもらったんです。

――『めちゃイケ』は相当大変な番組だったと、いろいろお話を聞きます。

僕が入ってから最初の秋のスペシャルが視聴率30%を超えて、なんて恐ろしい番組なんだと思いましたね(笑)。当時一番大変なチームでしたから、岡村(隆史)さんのオファーシリーズとか長期密着ロケがあるとずっと会社に泊まり込みで、しばらく家に帰れなかったこともありました。体力的なしんどさと、ADからなかなかディレクターになれないという精神的なしんどさと両方ありましたけど、やっぱり『めちゃイケ』が好きでフジテレビに入ったので、なんとか耐えられました。

――ディレクターになったのは周りの方と比べて遅いほうだったのですか?

ADを6年やって7年目の年にディレクターになりました。同期の木月(洋介)(『痛快TV スカッとジャパン』『今夜はナゾトレ』などを担当)とかはみんな2~3年でディレクターになっているので、僕だけ倍くらい時間がかかったんですよ。嫉妬もありましたね。遅かった理由としては、『めちゃイケ』ほどの大きな番組だとADもたくさんいて、先輩を飛び級することは基本的にないから、待ち続けるしかなかったんですけど。

■番組終了に「うれしくもあった」

――ディレクターになってから担当して、思い入れのある企画はなんですか?

僕、ADとしてはたぶんそこそこ優秀だったはずなんですよ(笑)。劇的に怒られたことがあんまりなくて。でも、ディレクターとして褒められたこともあまりなくて…。「『めちゃイケ』でどのコーナーやってたんですか?」って聞かれると、みんなが「そのコーナー好きだった」「よく見てた」って言ってもらえるようなコーナーを答えられなくて、恥ずかしいような情けないような気持ちになるんですけど、この前、片岡飛鳥と話したときに、「晩年の『めちゃイケ』でワクワクした企画は3~4つあったんだけど、その中の1つがお前の『お笑い芸人戦力外通告』だ」って言われたんです。あかつさんと波田陽区さんが復活をかけて野球場でネタを見せるという企画で、片岡飛鳥と「『プロ野球戦力外通告』って面白いっすよね」って話をしてたら、そこから「あれ、芸人でやったら企画になるんじゃない?」という流れで生まれたんです。

――芸人さんに「戦力外通告」という企画でオファーするのは、なかなかシビアですよね。

そうですね。入り口は失礼な感じになっているんですけど、あかつさんも波田さんも「やって良かった」と言ってくれました。放送後には片岡飛鳥から「TBSの『プロ野球戦力外通告』を作ってたプロデューサーから『すげぇ面白かった』って言われたよ」と聞いて、それはもうガッツポーズしましたよね(笑)

――あらためて、『めちゃイケ』とはどんな番組でしたか?

他の番組の成り立ちとかがあまり分かんないんですけど、『めちゃイケ』は週に2回、火曜日と水曜日に収録があって、同じメンバーが常にいるという感じだったので、本当に家族というか兄弟というか、それくらい親密な仲になっていました。僕みたいにADから叩き上げで入っているディレクターに対して、ナイナイさんもよゐこさんも加藤(浩次)さんも「もうしゃーないなぁ。お前のためならやってやるわ!」って言ってくれたりして、兄貴みたいな存在でした。

  • ナインティナインの矢部浩之(左)と岡村隆史

――その『めちゃイケ』が終了するというのを聞いたときは、どんな心境でしたか?

片岡飛鳥から伝えられたんですけど、なんとなく感じていた部分はありました。三浦大知さんとのオファーシリーズのときの片岡飛鳥の鬼気迫る感じは「何かあるな…」と思っていたので、終了を言われたときはやっぱりそうなんだと思いましたね。実際に聞いて、もちろん最初は悲しい気持ちがありましたけど、ちょっとうれしくもあったんです。14年『めちゃイケ』をやってきたので、自分がまた新しい一歩を踏み出して次の違う世界が見られるかもしれないと思ったんですよ。

――その違う世界が、まさかダウンタウンさんだとは…

夢にも思ってなかったですけどね(笑)

■ダウンタウンに認識されていなかった

――長年『めちゃイケ』に携われて、特に学んだことというのはなんですか?

『めちゃイケ』というより“片岡飛鳥”から学んだことになっちゃうんですけど、1つは「ディレクターは全て説明できなきゃダメだ」ということですね。なんでこれやるのか、なんでこの人はこういう気持ちになってここに来るのかということから、テロップの色はなんでここが赤なのか黄色なのかも説明できなきゃいけないと言われたので、作ってるものには何か説明がつかないといけないんだと考えるようになりました。

もう1つは、出てくださるゲストの方だったり取材の対象者について、一番知っていないとダメだということもよく言われました。例えば、会議とかで「この人ってどこ出身なの?」って聞かれたらパッと答えられなきゃいけない。「お前がその人のことを一番知らないのに、なんで視聴者がその人に対して愛情を持って見られるんだよ」「この人の長所と短所が全部分かって初めていい番組作れるんじゃないの?」っていうのはすごく言われていました。片岡飛鳥はそれを体現していて、松岡修造さんとお仕事するときは松岡さんが出ている番組を全部取り寄せて見て、出されている本も全部読んで、“松岡修造マニア”になっていたんですよ。それを見て、僕もゲストの方が出されている本やインタビューを読むということは、自然とするようになりましたね。

――そうすると、ダウンタウンさんとお仕事をするにあたって、いろいろ勉強されたんですね。

そうですね。『IPPONグランプリ』も『すべらない話』も、もちろん1回目から全部見ました。今やっている『ダウンタウンなう』はアーカイブの量が多すぎてまだ途中ですが…。

――ダウンタウンさんとお仕事することになって、片岡飛鳥さんに何か言われたことはありましたか?

最初は『IPPONグランプリ』と『すべらない話』だったので、「松本さんと仕事するのがすごく不安なんですよ。アドバイスください」って相談したら、「いや、お前は大丈夫だよ。何か分かんないけどニコニコしてるし、あっけらかんと仕事するからたぶん大丈夫だよ」って言われたので、「ああ、そうすかねぇ」って(笑)

――それまでダウンタウンさんとお仕事したことはなかったんですか?

全くないんです。バナナマンさんの単独ライブを見せていただいたときに、斜め向こうに松本さんが座ってるなあとか、フジテレビにサングラスをかけた浜田さんが入ってくるなあとか、見かけたことはあったんですけど、お話ししたことは一度もなかったですし、ダウンタウンのお2人も当然僕のことは全く認識してなかったと思います。