京阪電気鉄道の旧3000系特急車が今月末でラストランを迎える。旧3000系といえば「テレビカー」。日本で最初にカラーテレビを搭載した電車だ。それ以前の車両にも白黒テレビが搭載されており、「テレビカー」は京阪電車の名物であり伝統だった。そもそも、なぜ同社は電車にテレビを載せたのだろうか?

「テレビカー」として知られた京阪旧3000系特急車

京阪電車「テレビカー」の運転開始は、いまから59年も前の1954年。特急用車両として製造された1800系の増備車から搭載された。1800系は1953年から運行を開始しており、テレビの設置はこの電車のサービス向上のためだった。搭載したテレビは松下電器(現パナソニック)製だ。松下電器の本社は京阪電車の守口市駅が最寄り駅ということもあり、テレビカーの実験などに協力したという。後に1900系の一次車にもテレビが搭載された。

では、なぜ1800系にテレビが搭載されたか? その背景には、京都~大阪間の阪急・国鉄とのサービス競争があった。国鉄と阪急京都線はほぼ直線ルートで所要時間が短い。一方、京阪の線路は国鉄が経由しない町にていねいに立ち寄るルートだったため、カーブが多く所要時間は長かった。そこで、速度より車内の快適さをアピールしたというわけだ。

京阪電車はスピードで負けるものの、1800系の先代にあたる1700系は国鉄の2等車なみの転換クロスシートを使用して好評だった。1800系では、これに加えてテレビを搭載した。テレビは当時の国民のあこがれで、街頭テレビもにぎやかだった頃。京阪特急の人気はますます高まった。1963年にターミナルを天満橋駅から大阪中心部の淀屋橋駅まで延伸したときは、地下線のため電波が届かなかった。しかし、トンネル内に漏洩同軸ケーブルを設置し、テレビの受信を可能としたほどだ。

ただし、「テレビカー」はデジタル放送には未対応だったため、2011年7月24日をもって、地下区間のテレビ受信は終了している。

一方、阪急と国鉄はスピードアップの正攻法で勝負した。とくに阪急京都線は京阪電車の淀屋橋延伸と同じ年、1963年に京都市中心部手前の大宮から、祇園に近い河原町へ延伸開業している。河原町はもともと京阪電車のテリトリーだった。しかも阪急京都線は、もともと京阪が直線的な新ルートとして建設した路線である。ところが戦時合併と戦後の会社分離の経緯から阪急の路線になった。京阪から見れば、かつて自社で運営するはずだった路線に喉元をつきつけられる格好となってしまったわけだ。そこで京阪が用意した次の切り札が、カラーテレビや冷房設備などを備えた初代3000系だった。

なお、「テレビカー」といえば京阪電車のイメージが強いが、じつは京阪「テレビカー」のデビューより半年早く、京成電鉄が日本テレビの協力を得て、特急用の1600形などに米国製テレビを搭載していた。ただし、1600形が1967年に特急運用から引退すると、車体更新を機会にテレビが廃止されている。理由は家庭にテレビが普及したからといわれており、後継車にもテレビは搭載されていない。

「テレビカー」にこだわった京阪電車も、8000系のテレビは2012年6月に撤去された。残された「テレビカー」は旧3000系1編成のみ。同車の引退をもって、「テレビカー」も終了となる。8000系を含めたテレビカー終了の理由は、「ワンセグの普及になどによって乗客の視聴形態が変化したため」とのこと。たしかに、誰もが携帯電話やスマートフォンを持つ時代になり、ワンセグで好きな放送を楽しめるし、ゲームやネットサービスも利用できる。大容量の録画機器も普及したため、「大勢で同じ時間に同じ番組を見る時代」ではなくなった、という事情もあるだろう。

公共放送を受信するテレビは姿を消してしまうが、ご存知の通り、運行情報や乗客案内、広告や専門コンテンツを表示する液晶モニターを搭載する車両は増えている。京成電鉄も新スカイライナーに大型液晶モニターを搭載し、運転台からの展望や停車駅案内を表示している。「家でも見られるテレビ放送」を流すより、「電車内にふさわしいコンテンツを提供するサービス」に切り替わったともいえそうだ。