心の中に悟りの花が一輪咲けば、仏の五つの智慧が実りとなってはたらき出す事を教える。(出典:少室六門集)

  • 禅語「一華開五葉(いっかごようをひらく)」

よそからの進出が増えて地元の一部もそれに負けじと対抗し、昔ながらの佇まいに変化が現れているという京都。東大路通から高台寺南門通に入り、左手に高台寺を見ながら坂道を上り、右手の二年坂を進むとすぐに左手にまた坂道が現れ、その坂道のふもとで上を見上げると、出迎えてくれるお店の方の姿が見えました。大きなお屋敷のような門をくぐり、さらに石段を上がります。

ここ高台寺にある十牛庵は、元は両替商・清水吉次郎の邸宅で、のちに料亭「高台寺土井」として多くのお客様を迎えた場所。2017年、ひらまつがその「高台寺土井」から館と庭を引き継ぎ、「高台寺 十牛庵」としてあらたにオープンさせた日本料理の店です。1907年に数寄屋造りの名工・上坂浅次郎並びに北村捨次郎が建築した本館と、近代造園の先駆者である庭園師、七代目小川治兵衛が作庭した庭園を持つ歴史と伝統を備える、約2000坪あるこの場所で、レストランやホテルを経営するひらまつが日本料理事業にも一歩踏み出す形となったと伺い、昨年末と今春に早速足を運んできました。

玄関を入ると、正面の応接間に通していただきます。お庭が広く見渡せる広間に、テーブルと椅子が設えてあり、お茶席でいう寄付き(茶席の待合の場所)のような部屋で身支度を整えます。そしてお部屋へ案内していただくと、能舞台を彷彿とさせるような、新緑を背景にした舞台のある広間の部屋に通され、そこで平松博利氏と中村義明氏のお話を伺いました。

平松博利は、西麻布にフランス料理レストラン「ひらまつ亭」を開業、2010年には東京証券取引所市場第一部上場を果たし、2017年には株式会社ひらまつ総合研究所を設立しています。中村義明氏は、数寄屋建築の名匠・故中村外二氏の次男で、中村外二工務店代表。時代に適応した茶室建築からジョンレノン邸やロックフェラー邸まで、数寄屋建築を世界的規模でてがける工務店です。

平松氏はもともと京都が大好きで、「高台寺土井」が次なる館の担い手を探していると聞き、一瞬で惚れて(後で奥さんに叱られたそう)購入を決めます。平松氏にとっては初めての日本料亭ですが、ひらまつでは日本式のおもてなしでフランス料理を提供してきました。フランスには「おもてなし」に相当する言葉が見当たらず「奉仕」という単語が使われることが多いそうですが、おもてなしというのはもっと自己犠牲がなく平等でお互いを尊重し合う振る舞いです。相手をどこまで思いやれるか、自分をどれだけ大切にしてくれるか、というキャッチボールを創ります。 自身はよそ者でありながら京都でやるということに意味があると考えた平松氏。全て一流にしたいと考えました。自身が集めてきた美術品も惜しみなく飾っています。ご縁がご縁を呼び、食材の仕入れや器や漆器にはそれぞれ老舗が入り、京都中の一流の職人が集結したと言われるくらい一番の店を目指したいと語ります。

その平松氏の熱い想いに建築で応えるのが中村氏でした。歴史的な数寄屋建築の改修には特に腕のいい職人を集めなければならないが、「できない」とは言いたくない、なんとかできないか工夫を考えるのが仕事だと思っているという中村氏。建築は「お客様」のもので、お客の力でできるのが建築。施主の好みや意図を建築で叶えるためには施主と馬が合うかどうかが鍵となります。自邸であれば家族楽しく幸せに暮らせる家が必要ですが、商業建築であれば美しさとともに商いの視点も重要になります。内容と外側の建築がちぐはぐであるのが一番よくない。力関係を排除したおもてなしの場である十牛庵では上品につくることを最も大事にされています。

さまざまな広さの部屋があることも魅力のひとつです。お勧めの部屋のひとつはカウンター席です。この字型になっていて、急なお客を連れて2名突然入ることもできるのがカウンター席。50~60坪で一組5万も6万もとれる鮨やのそれです。一方で、個室を希望されるお客様同士の会話が「お祝いをする時」「断る時」「ねぎらったり叱ったりする時」「頼みごとをする時」など用途によってふさわしい部屋の大きさというものがあり、どのような場合にもふさわしい空間が用意されています。人との関係性を育むための場所なのです。

年末にお邪魔した際は友人と3人で、お庭からの冬の陽だまりを感じながらカウンターでお食事をいただきました。料理が美しく美味しいのは言うまでもなく、料亭に慣れない私達にもあくまでも自然体でご案内いただきました。その心地よさは、まさに3人の目的に過不足なくふさわしい空間でした。

料亭土井の女将は、京都に新幹線を止めたと言われるくらいの人物でしたが、戦後復興から高度成長期に一晩で何百万円も売り上げた時代から今、食やお酒の場は変化してきています。料亭は夜から昼間の時代となりました。京都の山の中にいるような庭や景色と共に食事を楽しむ時間がご馳走です。美味しいものを食べ、美しいものを見て、自然の力を感じること。これは肉体と精神と商売が健康であることの秘訣だからです。

十牛庵とは中国の十牛図に由来しています。悟りにいたる十の段階を中国の禅僧が十枚の図と詩で表したもので真の自己を牛の姿で表現しています。おしぼりに刺繍された「十牛庵」の文字は、平松氏自ら筆で書いたものです。フランスで修行した一人の日本人がたどり着いた究極の「もてなし」の心、自己犠牲がなく平等でお互いを尊重し合う振る舞いは、私達の日常やビジネスにおいても、様々な出会いを経て、幾重にも葉を開き、その実は多くの人々の心の種となって広がっていくものとなるのではないでしょうか。

プロフィール : 水上 繭子(みずかみ まゆこ)

大学時代に表千家茶道の師と出会い、入門。京都家元での短期講習会に参加し、茶道の奥深さに惹かれ、政府系金融機関OECF(海外経済協力基金)勤務や結婚、子育ての中で、茶の湯の稽古を継続する。その後、茶道の豊かさ、楽しさ、奥深さを伝えるべく、茶道教室を主宰。近年はコミュニケーション力や新しい発想力を養う人間力道場としての茶道を提案している。