いまなお昭和の雰囲気を残す中央線沿線の穴場スポットを、ご自身も中央線人間である作家・書評家の印南敦史さんがご紹介。喫茶店から食堂まで、沿線ならではの個性的なお店が続々と登場します。今回は、新宿駅前にある食堂「長野屋」です。

  • 「長野屋」(新宿)(写真:マイナビニュース)

    「長野屋」(新宿)

昭和から時間が止まったかのようなムード

新宿駅の東南口を出ると、すぐ目につくのは左側の「FLAGS」。上階にオッシュマンズやタワーレコードが入った、いかにも駅前っぽい、いまどきのビルです。でも、そちらから視線をちょっとずらすと、真正面に新宿駅前とは思えない昭和の風景が現れるのです。

真っ赤な日よけ看板に白抜きの文字で、「食堂 長野屋」。

  • 新宿駅前とは思えない年季

    新宿駅前とは思えない年季

人の往来も多いなか、そこだけ時間軸が昭和のまま止まっているような印象。近づいてみると、食品サンプルを無理やり詰め込んだ感のある狭い商品棚がいい味を出しています。

そして窓の端には、手書きの「長野屋1915年創業」という手書き文字も。「年」をあとから書き足しているところがご愛嬌ですが、どうあれオリンピックイヤーの2020年は105周年ということになります。

いや~、前から気になっていたのですが、至近距離でチェックしてみれば、なおさら好奇心をくすぐられますね。ということで、人もまばらになっているであろう14時少し前に突撃です。

  • 「年」をあとから書き加えているところがポイント

    「年」をあとから書き加えているところがポイント

  • 雑なところが憎めないディスプレイ

    雑なところが憎めないディスプレイ

味が染みた肉どうふにお酒もすすむ

テーブル席が不規則に並べられた店内はそこそこ広く、隣にお客さんがいたとしてもまったく気にならないレベル。入った時点では三人ほどが食事をしていましたが、大きな声で会話をする人もなく、いたって静かです。

  • 気取っていないからこそ落ち着く店内

    気取っていないからこそ落ち着く店内

定食メニューのなかから選んだのは、この季節に似合うこと間違いなしの肉どうふ定食。でも、他にもなにか頼みたい気がして、勢いでビールと目玉焼きも注文。

「ビールは大瓶と小瓶しかないんですけど」とのこと。小瓶を選べばいいものの、雰囲気に流されるように「じゃあ、大瓶で」と答えてしまうお粗末ですよ。われながら、意思が弱いなぁ……。

とはいえ、半熟具合が絶妙な、いたってシンプルな目玉焼きをつまにみしながら飲むビールは最高です。

  • こうでなくっちゃ。いたってシンプルな目玉焼き

    こうでなくっちゃ。いたってシンプルな目玉焼き

  • 半熟の目玉焼きとビールでいい時間

    半熟の目玉焼きとビールでいい時間

窓の外の景色を眺めていると、ほどなくして肉どうふ定食が到着。煮込まれて茶色くなった豆腐が、見るからにおいしそうです。一丁分がニつに分かれていたので、一つをビールのアテにして、飲み終えたら残りを定食としていただくことにしました。

  • 普通さがたまらない魅力の肉どうふ定食

    普通さがたまらない魅力の「肉どうふ定食」

それにしてもこの肉どうふ、明らかに煮込まれてはいるのものの、味は濃すぎずちょうどいい感じ。もちろんご飯との相性もピッタリですし、これで770円とは、かなりコスパがいいのではないでしょうか?

  • この飴色が食欲をそそります

    この飴色が食欲をそそります

静かな店内で新宿の歴史を感じる

「静かすぎて間がもたないでしょ」僕以外のお客さんがいなくなってしばらくしたころ、白衣姿のお姉さんが声をかけてくれました。どうやら、この家の娘さんのよう。

なにしろ地元の人ですから、近隣の高野、中村屋、紀伊國屋などとも古くから交流が深く、ポンポン飛び出すエピソードも興味深いものばかり。地元に根づいている……というより、新宿での歴史が"日常"そのものだったのだなと実感させられます。

「うちなんか、古いだけの店。カードも使えないし、まだ黒いダイヤル電話だから。商店街のなかでもうちだけファックスがないの。でも来年のオリンピックで外人さんが来るようになったとき、カードも使えないしファックスもないんじゃあ困るかな?」

冗談ではなく真剣に悩まれているようなので、なんとも微笑ましい限り。少し前に訪れた常連さんから「いまどきファックスなんてないよ」とツッコミが入ると、「えっ、そうなの?」と驚いていたりします。

いいなあ、このノンビリとした空気感。ちなみにその常連さんはカツカレーを食べていたのですが、「ここのカツカレーはめちゃめちゃおいしいんですよ」と大絶賛。

だとしたら、次回はカツカレーでいくべきかもしれないなぁと思っていたら、お姉さんがちょっと意外な秘密を教えてくれました。長野屋さんのカレーは、ナイル商会のカレー粉を使っているのだそうです。

ナイル商会の「インデラカレー」といえば、およそ70年前に東銀座の名店「ナイルレストラン」初代オーナーとの交流から生まれた有名なカレー粉。それを使ったカレーなのだとしたら、めちゃめちゃおいしかったとしても当然かもしれません。

さて、話に花を咲かせている間にもぽつぽつとお客さんが入ってきます。いいなぁと感じたのは、いまどきっぽい若者が、外で数分にわたって真剣にメニューをチェックした結果、意を決したように入ってきたこと。

気になって仕方がなかったんでしょうね。でも、いまどきの若い子さえ引きつけてしまうほどの不思議な魅力が、この店にはあるということなのでしょう。

それにしても、ゆったりと時間が流れていく空間に身を置いていたら、ちょっとだけ後悔してしまったのでした。「どうしてもっと早くこなかったんだろう?」って。

さっきの若い子みたいに、思い立った勢いで入ってみるべきだったなあ。でも、一度入っただけで常連になれたような気分になれる不思議な店でもあるので、今後は積極的に立ち寄ることにしようと思います。

次回はぜひとも、絶品のカツカレーを。


●長野屋
住所:東京都新宿区新宿3-35-7
営業時間:12:00~22:00
定休日:水曜日

印南敦史

作家、書評家。1962年東京生まれ。音楽ライター、音楽雑誌編集長を経て独立。現在は書評家として月間50本以上の書評を執筆。ベストセラー『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)を筆頭に、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)ほか著書多数。4月8日発売の最新刊は、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)。