経済キャスターの鈴木ともみです。連載『経済キャスター・鈴木ともみが惚れた、"珠玉"の一冊』では、私が読んで"これは"と思った書籍を、著者の方へのインタビューを交えながら紹介しています。第17回の今回は、阿部祐二さんの『「恐妻家」が成功する22の法則』(講談社)を紹介します。

阿部祐二さんプロフィール

1958年8月14日生まれ。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。モデルを経て、現在は俳優やリポーターとして活躍中。「恐妻家」としても有名で、2010年にテレビ番組『行列のできる法律相談所』「第7回気の毒な夫No.1決定戦」でチャンピオンに選出された。妻はプロゴルファーの阿部まさ子(旧姓:礒村)さん。

『「恐妻家」が成功する22の法則』(講談社、阿部祐二著、定価1,300円+税)

「たゆまぬ努力」「謙虚さ」そして「偉大なるメンター(指導者)との出会い」。これらは、この連載を通して出会った多くの賢人たちに共通する3つのキーワードです。

世界を舞台に累計5,000億円を運用してきたカリスマファンドマネージャーさん、一部上場企業の女性取締役となり、喜寿を迎えられた今、さらにニューヨークへの進出を計画中の美容家さん、時価総額世界トップ群の米国企業の会計、コンサルタントを手掛けてきた国際公認会計士さん。各業界で、日本を代表する実績とキャリアを積んでこられた方々には、これら3つの共通項が存在します。成功者となった今となっては、これらを実践してきた、続けてきた、という表現の方が正しいのかもしれません。「たゆまぬ努力」「謙虚さ」「偉大なるメンター(指導者)との出会い」。現役プレーヤーとして仕事人生を歩んでいる限り、この3つキーワードを意識しながら進んでいけば、きっと望む道は拓けてくるのだと思います。

「恐妻家だからこそ、うまくいく仕事と人生」の成功法則

今回は、まさにその道を真っ直ぐに進んでいる方が書かれた書籍をご紹介したいと思います。タイトルは『「恐妻家」が成功する22の法則』。著者はリポーターの阿部祐二さんです。阿部さんは『行列のできる法律相談所』(日本テレビ)「第7回気の毒な夫No.1決定戦」でチャンピオンに選出されたこともあり、読者のなかには「恐妻家=気の毒な夫」というイメージを持ってらっしゃる方も少なくないかもしれません。

阿部祐二さん

ですが、この本を読めば、阿部さんが単に、妻に操られる気の毒な夫ではないことがおわかりいただけるはずです。阿部さんにとって奥様は「偉大なるメンター(指導者)」であり、奥様との関係は、コーチと選手、師匠と弟子、上司と部下etc…。「恐妻家だからこそ、うまくいく仕事と人生」の成功法則がこの本には数多く詰まっています。まずはその具体例からご紹介しましょう。

(中略)僕は当時30歳で、リポーターではなく役者をしていました。結婚の前年にレギュラー出演していたドラマ『特捜最前線』が終わり、その後は2時間ドラマや、連続ドラマのゲストといった仕事が中心に。正直、不安定な状態だったので、大学時代から続けていた家庭教師のアルバイトとの掛け持ちで、生活費を稼いでいました。
一方、妻は現役で活躍中のプロゴルファー。元祖・美人ゴルファーとして、アイドル的な人気がありました。今だったら絶対に「美人すぎるプロゴルファー」とかって言われちゃうんでしょうね…。「すぎる」かどうかは別として。
バブル景気だったのもあって、企業のゴルフコンペは羽振りが良く、トーナメントも入れると妻の収入は僕の数倍。プロ意識の高い妻は、すべてにおいてゴルフ中心の生活だったので、自然と僕が合わせるかたちになっていました。(中略)
ちなみに妻は、僕がしていた役者という仕事に対して、一度も文句を言ったことはありません。「私のほうが、あなたより稼いでいるのに」なんてことも、絶対に言いません。言いませんが、僕が一念発起するきっかけをスルリと仕掛けてきたのは、妻でした。
「ねえねえ、見て。こんなのあるよ~♪」
ある日の朝、ニコニコしながら妻が差し出した新聞の折り込みチラシ。見るとそれは、アルバイトの求人広告でした。朝食の納豆をかきまぜていた僕の手が、思わず止まります。
『○○市場での早朝アルバイト/時給650円』(中略)
言葉の真意を図りかねて固まる僕。(中略)
頭のなかがグルグル。それをごまかすかのように、手元の納豆をひたすらグルグル。混乱する僕を無視して、妻はさらに続けます。
「私、これから出かけるんだけど、駅までのお見送り、お願いしていいかな?」(中略)
「あ、そう…。えっと…家出るの何時?」
「11時には出たいかな。朝ごはん食べ終わったら、食器洗っておいてねぇ」
そう言って、外出の準備をする妻の後ろ姿を見ながら、僕は決心しました。
――このままじゃ、いけない!
まず、それまで片手間でやっていた家庭教師のアルバイトを辞め、有限会社を設立し、自分で家庭教師センターを始めることに。知人の講師に声をかけて、自分や彼らを家庭教師として派遣する仕事に力を入れました。
(中略)アルバイトのチラシの件は、あの日以来、二度と話題に出ることもなく、家庭教師センターの仕事はすぐに忙しくなりました。2時間ドラマのオファーも月に1本くらいのペースでもらえていたので、僕は休みも取らずがむしゃらに働き、約1年かけてなんとか家庭教師センターを軌道に乗せることに成功。その収入はやがて…!ついに…!
妻と並んだんです!
(中略)今振り返ると、あのチラシは妻なりの叱咤激励だったのかと思います。まさか、本当に市場で働けとは考えていなかったはず。
(中略)それから数年後、妻は現役を引退し娘を出産。僕はリポーターへの道を歩き始めます。ありがたいことに現在もリポーターとして忙しい日々を送る僕ですが、この時代に築かれた「妻に合わせる」という習慣は、なぜか未だに変わることがありません。
【恐妻家の心得 男のプライドは、扱い方次第。100の言葉よりも、チラシ1枚で変わることもある】
(『「恐妻家」が成功する22の法則』第1章「社会」で成功する恐妻家の法則より抜粋)

このエピソード、まさに夫婦のハートウォ-ミングストーリーです。阿部さんの奥様はきっと、どのようなタイミングで、どのような促しをすれば、一番阿部さんの心に響き、奮起させることができるのかを心得ていたのだと思います。これぞ良きメンター(指導者)。さらに、このエピソードを通してわかるのは、阿部さんご自身が、メンターからの叱咤激励を「謙虚」に受け止め、その後、家庭教師センターの事業で必死に「努力」するようなタイプだということです。奥様はその点もしっかりと見抜いていらっしゃいます。実にお見事!

「"謙虚であること"を忘れてはいけないと実感」

その「謙虚さ」と「努力」、これらのキーワードについて、阿部さんはどのようにお考えなのでしょうか?直接うかがいました。

「妻は僕に対して、『謙虚でいなさい』とよく言います。僕自身もそうでありたいと思っているのですが、時々、その姿勢を忘れてしまうと、妻から鋭い指摘を受けるのです。その度に、『謙虚であること』を忘れてはいけないなと実感します。また、もともと一度凝り始めると、集中し没頭するタイプなので、端から見れば、僕は相当な努力家に見えるようです。学生時代も、極めようと思ったスポーツはとことん練習に励み、結果を出してきましたし、勉強も没頭しすぎて、親から『お願いだから、体のことも考えて勉強しないでくれ』と言われてしまうほど勉強しました。今も日々の仕事に明け暮れるなか、毎朝のランニングを続けてますし、時間が許せば読書もします。『努力』することが苦にならない性格、体質なのかもしれません。ただ、そんなふうに、ともすると没頭しすぎてバランスを欠いてしまう恐れのある僕のことを、コントロールしてくれているのは、やはり妻なんです」

これぞまさに理想的なパートナーシップ! その関係性を裏付けるエピソードはさらに続きます。ご紹介しましょう。

僕が念願だったリポーターの仕事を始めたのは、1993年のこと。知り合いの先輩プロデューサーから、「朝の情報番組のリポーターをやってみないか」と声をかけてもらったのがきっかけでした。(中略)
「リポーターを始めたら、家庭教師の仕事はとてもじゃないけど掛け持ちできないと思う。会社は閉めないといけないだろうし、収入も下がる。それでもやってみたいんだ」
そう打ち明けると、妻はあっさりと僕にこう言いました。
「やってみたら?確かに収入は下がるだろうけれど、生活ができればいいし」
今振り返ると、子供が生まれるという状況で、よく承諾してくれたなと思います。それからはもう、毎日が必死でした。(中略)
その後、やっと仕事に慣れ始めた矢先に番組が終了。僕は他局の情報番組に移ったものの、そこではすでに先輩リポーターたちが活躍されていて、実績も人脈もない僕に声がかかることはほとんどありませんでした。
(中略)妻に心配かけたくないという思いはあっても、どうしても明るく振る舞うことができなくて、家に帰るとすぐに部屋でひとり、籠っていました。
――チャンスさえもらえれば、俺だってちゃんとリポートできるのに!なんで認めてもらえないんだ!
僕のひねくれた思いあがり。それを妻は、敏感に感じ取っていました。
「どんなに不満でも、それを現場で口にしたら絶対にダメ!それよりも足を使い、汗を流して、自分の努力をまわりに認めてもらえるように頑張らなきゃ!」
まだ小さい娘を育てながら、ゴルフ場でのレッスンコーチをしていた妻は、そう言って僕を奮い立たせてくれました。
そんな矢先のこと。
月に1回、コーチ契約していた福井県のゴルフ場に行った際に、妻がなんと偶然、その先輩リポーターのひとりに会ったというのです。(中略)その瞬間、妻は迷わず先輩リポーターのもとに駆け寄りました。
「あの、失礼ですが○○さんですよね?私、阿部祐二の妻です。主人が大変お世話になっております!彼からいつも話を聞いているんですよね。"○○さんはすごいリポーターで、本当に尊敬している"って!」
実はその先輩リポーターも、僕にどう思われているのかを気にしてくれていて、この言葉をすごく喜んでくれたというんです。
(中略)僕がなかなか乗り越えられなかった壁を、妻は意外な場所から壊してしまいました。壊したというよりも、その壁に取り付けられていたドアを見つけた、と表現したほうが正しいかもしれません。僕はその壁をよじ登り、無理やり乗り越えようとしていた。その壁に、ちゃんとドアがあることすら気付かなかった。ドアを見つけようともしていなかった。妻は、そのドアの存在を教えてくれたんです。
「これはもう、運命だよね。我ながらすごいと思う。このチャンスを生かさなかったらダメだよ!こんな強運の妻がついてるんだから、上手くいかないはずがないよ。あとはパパの頑張り次第だからね!」
妻の言葉通り、僕はその先輩リポーターを通してスタッフとの交流が一気に広がり、仕事の声をかけてもらえる機会が増えました。こうしてもらえた貴重なチャンスに応えようと、必死でリポートしているうちに、現在にまで続く流れが自然と出来上がっていたんです。(中略)
それにしても、神様。
必死にチャンスを願っていた僕にではなく、妻にあのような機会を与えたのは、僕の修行がまだまだ足りなかったからでしょうか…?
【恐妻家の心得 チャンスの神様は、そのチャンスを一番生かせる人間に降りてくる】
(『「恐妻家」が成功する22の法則』第1章「社会」で成功する恐妻家の法則より抜粋)

「今であれば、『チャンスの神様』が僕のところにも降りてきてくれる」

この連載でも何度も登場している「チャンス」という言葉。阿部さんも「チャンスの神様の前髪」をつかまえようと、必死になっていた時期があったようです。当時、「チャンスの神様」は阿部さんのところではなく、奥様のところに降りてきた…。果たして今も同じなのでしょうか?うかがいました。

「今であれば、『チャンスの神様』が僕のところにも降りてきてくれると思います。ですので、リポーター業と併せて、役者の仕事をさせていただくことになっても、相乗効果というか、何かしら納得のいく役目を果たせるような気がするのです。もちろん、リポーター業は、僕にとって欠かせない仕事ですし、天職だとも感じています。ただ、型にはまることなく、常に自分を追い込み、自分を試し、チャレンジしていきたいという意気込みがあります。その意気込みやパワーを発揮するのと同時に、謙虚さを持ち続けていれば、これからもやりたいと思った仕事でチャンスをもらい、充実した日々を妻(家族)と一緒に送っていけるだろうと感じています」

これからもまだまだ続く夫婦の物語。最後にその愛情あふれるシーンをご紹介しましょう。その場面は「あとがき」に記されていました。

2011年3月11日午前1時半過ぎ、仕事を終えた帰宅途中に、僕の乗っていたタクシーが衝突事故に遭いました(タクシーの運転手、ぶつかってきた自動車の方も無事です)。事故直後の記憶はほとんどないのですが、僕は朦朧とする意識のなかで、救急隊員の手を借りて妻と携帯電話で話をしたようです。
その後、救急車で運ばれた病院で頭部を2カ所縫い、CT検査をしたところ、第二頚椎の骨折が判明し即入院。ヘタに動かせば脊髄を損傷する危険性があるので、首を10度の角度に固定したまま、絶対に動かさないようにと医師から告げられました。ケガの治療や検査を済ませ、個室に移って1時間程したとき、あの東北地方太平洋沖地震が起きたのです。
当時病室には、事故の知らせを聞いて駆けつけた番組プロデューサーと、妻がいました。2人とも、地震で反射的に起き上がろうとする僕と、大きく揺れるベッドを押さえるので必死だったそうです。そして、自分の身に起きた事故でさえ、まだ冷静に受け止めきれていない僕の目に飛び込んできたのは、病室のテレビ画面に映し出される津波の映像でした。
阪神淡路大震災のとき、僕はリポーターとして現地に向かいました。そこで命の尊さと儚さ、残酷な自然の脅威を目の当たりにし、自分の無力感に押しつぶされそうになりながらも、気力を振り絞ってカメラの前に立ち続けました。しかし東日本大震災では、僕はベッドに寝たまま首を固定され、水さえも一人では飲めない状態。リポーターとしてはおろか、今後、普通の生活に戻れるのだろうかという不安と闘っていたのです。かつての取材経験で被災地の過酷さを知っていながら、何もできない自分のふがいなさも感じていました。そんな僕の姿をずっと見ていた妻は、ある日、こう言ったのです。
「大丈夫、パパは絶対に治るから。パパ、最近きつそうだったじゃない?朝のランニングも起きられないくらい、疲れているときもあったし。きっと神様が、"あなたは少し休みなさい"って言っているんだよ。ちょっとくらいのケガじゃ、すぐ仕事しようとするだろうから、神様もここまで動けなくしたのかもね。まずは安静にしてしっかり治して。すべてはそれからでも遅くないでしょ?」
僕は妻のこの言葉に、すっと気持ちが軽くなりました。
事故に遭ったあの日、マンションを飛び出し現場にやってきた彼女は、僕の姿を見るなり、救急隊員に「輸血しなくていいんですか!?」と詰め寄ったと聞いています。救急のプロである彼らに向かって一般人が言うセリフではないと思いますが、その気丈さが妻らしくて、僕はそれを思い出し、ふっと笑顔になりました。(『「恐妻家」が成功する22の法則』あとがきより抜粋)

一時期は大ケガを負い、休養を余儀なくされていた阿部さんですが、今ではすっかりお元気! インタビューに応じてくださった際にも"正のエネルギー"を静かに放っていらっしゃいました。「キング・オブ・リポーター」の道を極めるべく、引き続きのご活躍を心よりお祈りしたいと思います。

『「恐妻家」が成功する22の法則』

◆はじめに
◆第1章 「社会」で成功する恐妻家の法則
◆第2章 「家庭」で成功する恐妻家の法則
◆第3章 「男」として成功する恐妻家の法則
◆あとがき

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執筆者プロフィール : 鈴木 ともみ(すずき ともみ)

経済キャスター、ファィナンシャルプランナー、DC(確定拠出年金)プランナー。 中央大学経済学部国際経済学科卒業後、ラジオNIKKEIに入社し、民間放送連盟賞受賞番組のディレクター、記者を担当。独立後はTV、ラジオへの出演、雑誌連載の他、各種経済セミナーのMC・コーディネーター等を務める。現在は株式市況番組のキャスター。その他、映画情報番組にて、数多くの監督やハリウッドスターへのインタビューも担当している。