ネットもスマホもない昭和の時代、テレビ・映画は人々に大きな影響を与えたメディアでした。後に「名作」と呼ばれる作品が生まれた昭和。今回は、没後30年を経た現在も多くのファンに愛される松田優作の代表的な映画「蘇える金狼」、「野獣死すべし」のロケ地を取り上げます。
名作のロケ地は、昭和、平成、令和を経て、どのように変わったのでしょうか? リアル世代も、そうではない世代も注目です!
「蘇える金狼」で印象に残る都心ロケ地
1978年に公開された映画「蘇える金狼」(東映)。松田優作は、東和油脂の経理部に勤める真面目で実直な29歳のサラリーマン、朝倉哲也を演じました。
表向き風采のあがらない社員を装っているが、実は毎夜ボクシングジムでトレーニングを重ねる裏の顔を持ち、明晰な頭脳と鍛え上げた肉体を武器に、密かに東和油脂の乗っ取りを企てるという物語。同作品のロケ地には、いまも撮影時とほぼ変わらない場所があります。
朝倉哲也の職場「東和油脂」の本社はいま
まず、主人公の朝倉哲也が勤める東和油脂本社として登場した「笹川記念会館」へ。同会館は1975年の竣工。作品が封切られた当時、最新の設備を誇るビルディングでした。
1階吹き抜けのエスカレーターは、今も健在。朝倉哲也の出勤シーンを覚えている方も多いのでは?
ランボルギーニ・カウンタックで疾走した神宮外苑の銀杏並木
次に向かったのは明治神宮外苑のシンボルともいえる「銀杏並木」。青山通りから絵画館に向かって木々が連なる景観は、東京を代表する風景のひとつでもあります。
この銀杏並木は蘇える金狼で、朝倉哲也がランボルギーニ・カウンタックLP500Sに乗ってドライブするシーンに登場。撮影当時、松田優作は運転免許を取得しておらず、運転シーンは合成画面でした。
東京駅界隈に点在する「野獣死すべし」のロケ地
蘇える金狼と同じ原作者、監督、主演で、1980年に公開された「野獣死すべし」(東映)。通信社のカメラマンとして世界の戦場を渡り歩き、帰国後、翻訳の仕事をしている主人公・伊達邦彦が、戦場で目覚めた野獣の血と巧みな射撃術、冷徹無比な頭脳を武器に、銀行襲撃を企てるハードボイルド作品です。
同作品の代表的シーンのロケ地が点在する、東京駅界隈を訪ねました。
銀行の下見シーンに登場する歴史的建造物
強盗を企てる伊達邦彦の下見シーンで登場する架空の銀行(東洋銀行)は、日本銀行と野村証券本社。
日本銀行の本店本館は、建築家・辰野金吾の設計で、柱や丸屋根などのバロック様式に、規則正しく並ぶ窓などのルネッサンス建築様式を取り入れた「ネオバロック建築」の建造物です。
架空の東洋銀行として登場したモダニズム建築
次に向かったのは、日本銀行から徒歩5分ほど、日本橋のたもとにある「野村証券本社ビル」。同ビルの設計は、日本におけるモダニズム建築の第一人者で、大阪瓦斯ビルディングなど、数々の名建築を手掛けた安井武雄によるもの。
野獣死すべしでは、伊達邦彦が襲撃を計画する東洋銀行として登場しました。
伊達邦彦と刑事がからむ緊迫シーンのロケ地
日本橋を後にして向かったのはJR/東京メトロ神田駅。銀行強盗を決行した伊達邦彦と真田(鹿賀丈史)は地下鉄銀座線に乗り、神田駅から東北方面へ逃走を図ります。
追跡してきた柏木刑事(室田日出男)に話しかけられながら上ってくる銀座線の「のぼり専用階段」は、今も健在です。
神田駅周辺は伊達邦彦と柏木刑事がからむ緊迫したシーンが数多く登場。柏木刑事が銀行襲撃事件をパトカーの無線で知った「神田一番街」や伊達邦彦と柏木刑事が並んで歩く「神田駅東口ガード下」など、今でも当時の面影を残す風景を見ることができます。
日比谷公会堂の謎に包まれたクライマックス
最後はラストシーンのロケ地である日比谷公会堂へ。1929年に竣工した日比谷公会堂は、当時の建築技術の粋を集めて建設されたホールの草分けともいえる建物です。この公会堂を出たところで伊達邦彦は銃弾のようなもので狙撃され、階段に倒れます。そのシーンの解釈には諸説ありますが、正しい答えは誰にも分かりません。
昔ながらの風景が次々と消えていく都内では、撮影当時の面影を残している場所も年々少なくなっています。それと同時に映画に出演した個性豊かな俳優たちも次々と世を去っていきます。
しかし、作品の中では、あの頃の街も俳優も変わることなく輝いています。昭和の日本映画をもう一度見返して、古き良き時代と懐かしい風景に想いをはせてみる、そんなひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。