家庭、友人関係、仕事、趣味など…生活における読者の「お悩み」に寄り添う、さらには解決してくれるかもしれないドラマ、バラエティ、ドキュメンタリー、リアリティショーなど、配信サービスの映像コンテンツを、コラムニストの長谷川朋子が“処方箋”としておすすめする「長谷川朋子のエンタメ処方箋」。
第9回は、思春期のお子さんを持つ親の悩みに、Netflixで配信中のドラマ『アドレセンス』を処方します。
「息子が思春期で会話してくれずコミュニケーションが取れず何を考えているか分からないこと。行動が一切読めない」(東京都在住・53歳男性)
思春期の子どもとの距離に戸惑う気持ち、よくわかります。筆者自身も、同じように悩んできた親のひとりです。ついこの間まで当たり前に会話していたはずなのに、急に何を考えているのかわからなくなる。話しかけても返事はそっけなく、部屋にこもってスマートフォンばかり見ている。その姿を前にして、「自分は親として何か間違えているのではないか」と不安になることもあるはずです。
けれど、思春期とはそもそもそういう時期でもあります。子ども自身も、自分の気持ちをうまく言葉にできず、外の世界との関わりの中で揺れ動いている最中にいるのです。
だからこそ、「理解しようとしても、わからない」という状態のときに、親がどう向き合うのかが問われるのです。そのヒントになる“処方箋”として勧めたいのが、Netflixで配信中のリミテッドシリーズ『アドレセンス』です。
この作品が効くのは、思春期の子どもをうまく理解する方法を教えてくれるからではありません。むしろ、「わかっているつもりでも、実は見えていないことがあるかもしれない」という現実を、親の視点で突き付けてくるからです。
全4話の筋立ては、極めてシンプル。イギリスの地方都市に住む13歳の少年ジェイミーが、同じ学校に通う少女の殺害容疑で逮捕される。そこから家族の人生が崩壊していく様子が描かれます。犯罪ドラマの枠組みを持ちながらも、本質的には「父と子」の関係を見つめた物語です。見進めるほどに、これは特別な家庭の話ではなく、どこにでもあり得る日常の延長にある物語だと気づかされます。
決して劇的ではない“処方箋”
ジェイミー役のオーウェン・クーパーは本作が初演技とは思えない存在感を放ち、父親役であり共同クリエイターでもあるスティーブン・グラハムが、物語全体に深い説得力を与えています。こうした見応えある演技が、物語を他人事ではなく、自分ごととして感じさせもします。
思春期の子どもを持つ親にとって、特に胸に迫るのは、現代の子どもたちが置かれている環境です。SNSの影響は想像以上に大きく、子どもたちの価値観や行動に深く入り込んでいます。劇中では、見た目や人気を過度に重視する空気や、絵文字を使ったサイバーいじめの実態、さらにはミソジニー的な価値観に影響を受ける若者の姿が描かれます。
でも、現実的に子どもたちの変化は見えにくいものです。部屋で静かにスマートフォンを見ている我が子を見て、「問題はない」と思ってしまう。そう思ってしまうのも、無理のないことです。ジェイミーの両親もまた、同じように考えていました。
このドラマが提示する“処方箋”は、決して劇的なものではありません。むしろ、拍子抜けするほどささやかなことです。子どもを理解しようとすること、そしてそのための時間を持つこと。それだけです。
親子の関係性を少しだけ軽くしていく感覚に
象徴的なのが、物語の中で登場するもうひと組の父親と息子のやり取りです。自分の息子とどう接していいかわからない刑事が、最終的に選んだのは「一緒にポテトとコーラを買いに行かないか」と声をかけることでした。息子に何かを聞き出すわけでもなく、説教するわけでもない。「時間を共有する」という一見何でもないような行為が、親子関係の出発点になることを教えてくれます。
完璧な理解も、正しい言葉も必要ない。ただ関わろうとする意思があるかどうか。それだけが問われているのです。この気づきは、子どもとの関係に迷いを抱える親にとって、大きな転換点になり得ます。
このドラマは、親の悩みや不安を消してはくれません。むしろ、より鮮明にします。けれど同時に、すぐに答えが出なくても、子どもとの距離を見失わずに関わり続けていくという在り方にも、ふと目が向くようになります。それを、日々の中で我慢づよく重ねていくことが、親子の関係性を少しだけ軽くしていく――そんな感覚を残します。思春期の子どもとの距離に戸惑っているとき、この作品は、自分の見え方を少しだけ変えてくれるはずです。

