川崎~立川間を結ぶJR南武線で、4月9日から快速の運転が復活しました。川崎駅から登戸駅まで快速として運転され、登戸駅から各駅停車に種別を変更して立川駅へ。全線通しで、利便性を考慮した形態で運転されています。

その南武線では、遡ること33年前の1978年、"廃"にまつわる2つの大きな出来事がありました。ひとつは快速がいったん"廃止"されたこと。

中原電車区脇を掛け抜ける快速登戸行101系6連。構内には、101系に混じり残り少なくなった73型も見える。1978(昭和53)年4月

南武線の快速は、国鉄時代の1969年12月、中央線から借用したオレンジ色の101系新性能電車を使用し、川崎~登戸間で運転を開始。それまで、茶色の旧型国電オンリーの南武線に一陣の旋風を巻き起こしました。

しかし、「各駅停車の運転間隔が開く」「終点の登戸駅での接続が悪い」など不評だった上に、101系が増備されたのにともない、各駅停車の速度も向上していきました。結局、1978年10月に快速はいったん廃止。それから33年を経て、今年再び快速が復活することになりました。

川崎駅で発車待ちの快速登戸行101系6連。1978年7月

武蔵中原駅を通過する快速川崎行101系6連。1974年12月

そしてもうひとつの"廃"が、南武線本線の旧型国電が引退し、"廃車"となった出来事。南武線の旧型国電の歴史は、終戦間もない1947年、旧南武鉄道(1944年4月、戦時買収により国有化)の電車を置き換えるために17m旧型国電が配置されたことから始まります。置換えは1951年に完了し、その後、戦前形旧型国電も追加配置されました。

1963年、クモハ73形をはじめとする72系電車が初めて配置されます。戦後の高度経済成長による利用客急増に合わせるように、翌年から大量の配置が続き、1968年、支線以外は72系電車に統一。1974年には約150両と、配置両数のピークを迎え、南武線の顔として活躍しました。

近代化改造を受け、独特の顔つきとなったクモハ73形500番台ほか4連の川崎行。駅の雰囲気、バラストがほとんどない線路……、これぞまさに南武線クオリティー! と筆者が勝手に思う1枚。武蔵中原駅にて。1974年12月

多摩川を渡る立川行6連。南武線、南多摩~府中本町間にて。1978年4月

浜川崎支線が分岐する尻手駅に停車中の川崎行6連。カーブと勾配により、ホームがねじれているように見える。1977年3月

1972年、新性能電車の101系が初めて配置され、その後、徐々に増備されていきます。1978年7月、浜川崎支線を除く本線全列車が101系化され、72系は引退。南武線本線の旧型国電の歴史は幕を閉じました。

"サヨナラ電車"の出区前、突発的に行われたミニ撮影会。当日、たくさんのファンが詰めかけたため、奥に留置中だった車両をこの位置まで出してくれた。職員の粋なはからいのおかげで、思う存分撮影することができた。南武線、中原電車区にて。1978年7月31日

その後、職員の方々も"サヨナラ電車"の前で記念撮影していた。101系と並ぶ姿もこれが最後。南武線、中原電車区にて。1978年7月31日

72系電車の特長は、「車体全長20m、片側4ドア」というスタイルを採用したこと。もともとは第2次世界大戦末期の1944年、輸送力増強を目的に製造された"戦時設計車"63系電車で、窮余の策として開発されたものでした。

この「車体全長20m、片側4ドア」というアイデアは、21世紀の現在に至るまで、JRや大手私鉄の通勤形電車の基本スタイルとして広く受け継がれています。通勤や通学などの外出時に乗った電車が片側4ドアならば、それは67年前から脈々と息づく、日本の鉄道史における画期的なアイデアなのです。

クモハ73085(写真)は、前面窓が木製の貴重な車両だった。この車両はモハ63721(63系電車)として1948年に製造され、1952年の改造後に72系に編入されたもの。南武線、中原電車区にて。1977年11月

武蔵溝ノ口駅を発車する川崎行6連。最後尾のクハ79150は、終戦後間もない1946年に製造された63系電車、サモハ63312だった。ちなみに「サモハ」とは、資材不足で電動車にできず、付随車となった車両のこと。1952年の改造後に72系に編入され、制御車クハ79形となった。1977年11月

東京や大阪の国電区間で、戦後の混乱と復興、さらに高度経済成長も支え、63系電車を改造し編入した車両も含めて、最盛期には約1,450両が在籍したという72系電車。次回は、そのバラエティーに富んだ車種と、その他の特長などを紹介していきたいと思います。

※写真は当時の許可を取って撮影されたものです。本誌連載「昭和の残像 鉄道懐古写真」は、毎月最終週を除く水曜日に掲載。次週はお休みをいただきます
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った