JR北海道の赤字ローカル線について報道が続いている。日高本線運休区間については沿線自治体が廃線を容認したと報じられた(自治体側は報道を否定)。留萌本線、札沼線と根室本線の一部区間でも、自治体にバス転換を提案する意向と報じられた。鉄道ファンとしては寂しい。しかし、これは地域の交通手段の選択問題だ。

日高本線と沿線自治体の略図

ただし、日高本線の報道に対して地元紙の日高報知新聞は「廃線容認の事実はない」と1面で扱っている。記事によると、日高町村会と日高総合開発期成会は廃線容認を報道した北海道新聞に抗議し、記事の訂正を求めているという。

また、週が変わって本稿執筆時点の10月25日、JR北海道は3つの線区で地元自治体に対し、バス転換を協議する意向と報じられている。これは読売新聞とNHKが報じている。対象となる区間は札沼線の北海道医療大学~新十津川間、留萌本線の深川~留萌間、根室本線の富良野~新得間だ。

廃止・バス転換の理由は乗客数の減少による赤字問題だ。日高本線と根室本線については自然災害による不通区間でもあり、復旧に巨額の費用が見込まれる。JR北海道としては、復旧しても赤字になるとわかっている区間のために、復旧費用を支出したくない。そもそも会社自体が赤字となっていて余裕がない。JR東日本、JR東海、JR西日本の本島3社のように、他の路線の黒字で赤字路線の損失を補填するゆとりはない。

その本島3社にしても、JR西日本は三江線を廃止、JR東日本は只見線などの被災路線の復旧に消極的で、三陸地域ではBRT(バス高速輸送システム)へ転換した。JR東海も2009年に名松線の一部区間が台風被害で不通となり、バス転換を提案した。その後、地元自治体が災害防止工事と維持を担う条件で復旧させている。どの鉄道会社も赤字路線に手を焼いており、機会があれば廃止したいと考えている。その傾向はずっと続くだろう。赤字事業の撤退は、企業としては当然の考え方だ。

しかし一方で、鉄道会社には公共交通事業を担う責任がある。長い間、鉄道事業は免許、軌道事業は特許制だった。これは独占的な事業として利益を得る代わりに、路線の新設、廃止について、国から厳しく制約を受けるという制度だった。後の規制緩和政策によって、鉄道事業は許可制となっており、路線の新設も廃止も鉄道会社の意思が尊重されるようになった。しかし、企業の社会的責任は問われる。

食品メーカーが安全性に責任を持つように、鉄道会社は地域の交通に責任を負う。それだけに、勝手に路線を廃止できない。だからこそ、きっかけとなる事象を廃止の好機とするわけだ。

鉄道ファンとしては、鉄道を残してほしい。沿線自治体も鉄道を残してほしい。両者とも思いは同じ。だから沿線自治体は廃止反対運動を始めるし、鉄道ファンはローカル線を盛り上げようとする。しかし、両者の温度差は大きい。当然だ。沿線自治体にとって、ローカル線の存廃は生活にかかわる問題だ。鉄道ファンにとって、ローカル線の存続は趣味の対象が減るかどうかという問題である。同列には語れない。

だから、赤字ローカル線問題について趣味の立場から存廃を語っては失礼にあたる。趣味人としては、そのくらいの謙虚な姿勢でありたい。地域にとって鉄道が必要か否かは、地域の交通問題の選択による。それを尊重しなくてはいけない。鉄道ファンとしては悔しいけれども、気仙沼線も大船渡線の沿岸区間もBRTに転換されると、このほうが生活の交通手段として便利にみえる。運行本数も多いし、波動的な需要増にも対応しやすい。駅弁を食べにくいかどうかは、地域の人々には関係ない。

沿線自治体も、本気で鉄道を必要としているか考える必要がある。各地にローカル線活性化協議会が存在し、活動しているけれども、その定例会の参加者のほとんどがクルマでやって来る、という笑えない話がある。なぜそうなってしまうのか。会場となる公民館や役所が駅から遠いというなら、普段から駅と公共施設を結ぶシャトルバスを運行するなど、鉄道を利用しやすい環境作りを話し合うべきだ。そもそも市民を集めて会合する設備は駅のそばに作るべきだ。クルマ前提のまちづくりをしておきながら、使わなくなった鉄道を残せとは辻褄が合わない。地域が鉄道を見捨てている。

鉄道ファンや旅行者が求めるローカル線らしさとは何か。自然の豊かな車窓、ゆっくりのんびり走る雰囲気、ボックスシートを独り占めできるほどの乗車率だ。これらは鉄道会社の利益とは真逆だ。自然が多い、すなわち人家の少なさであり、日常の乗客の不在である。ゆっくりのんびり走っていたらクルマに負ける。鉄道の良さは、つねに優先で線路を走り、早く目的地に着くところにある。クルマより速く走らなければ、クルマから鉄道へ切り替えてくれる人はいない。閑散とした車内は無駄すぎる。普通列車はつねに立席があるほうが利益になる。

鉄道趣味全般として、広い視野に立ってみよう。鉄道会社が赤字路線を抱えると、私たちの趣味の対象そのものが危うくなる。幹線の新型車両の導入は遅れる。駅の改築も進まない。ローカル線の赤字を補填するために、黒字路線でコストカットが行われる。そうなると、鉄道の魅力は全体的に薄れていきそうだ。ローカル線の乗り歩きは楽しい。だからといって「赤字でも残してほしい」という願いは正しい趣味人のあり方だろうか。

鉄道は趣味のために存在するわけではない。あるがままの状態を謙虚に楽しみたい。鉄道趣味人として、消えゆくローカル線にどのように向き合うか。長い歴史を持ち、地域に貢献し、私たちの旅を楽しくしてくれたローカル線だ。その役目が終わったと地域に判断されたなら、「感謝の思いを胸に看取る」という態度が最もふさわしいと思う。

※記事初出時、タイトルを「日高本線一部区間、自治体が廃止容認」としていましたが、読者からの情報提供をもとにタイトルを変更し、日高町村会および日高総合開発期成会が新聞報道に抗議している旨、本文に追記しました。