晴れた秋の日には廃線めぐり
かつて京浜工業地帯には、支線、専用線・引き込み線が縦横に敷かれていた。その多くはすでに廃止・撤去されてしまったが、今もなお、ほんの少しだが、その残滓を見ることができる。しかし、これから紹介する新興線のように、その跡も消えつつあるのも現実である。今回は、京浜東北線の東神奈川駅 - 新子安駅 - 鶴見駅の海側にあった諸々の線を紹介しよう。
森の公園になりつつある新興線
まずは、新興線を紹介しよう。新興線は、鶴見駅 - 東高島駅 - 桜木町駅を結ぶ高島線の支線にあたり、鶴見駅 - 東高島駅間にある新興駅(旧入江駅)から元の新興駅まで結ぶ貨物支線である。
なぜ、こんなにややこしいかというと、入江駅は、1985年に隣の新興駅に併合されたからだ。さらに、新興駅の駅舎は旧入江駅のところにあるが、横浜市営バスの「新興駅前」のバス停は元の新興駅の前にあり、また「新興駅前」という交差点も元の新興駅の前にある。これでは、なにがなんだかわからなくなってしまう。
ところで新興駅(旧入江駅)は、京浜東北線・新子安駅の南側にある。新子安駅の改札口を出て右手の階段を登ると、神奈川産業道路という広い道路に出る。産業道路の歩道を南側に1分ほど歩いて高速道路と高島線の上を跨ぎ、右手を見ると、そこが新興駅というわけだ。
ところが、高島線に平行する構内の線路が取り外されているではないか! 前回訪れたのは2008年11月初旬。当時は構内の線路、駅舎からさらに奥に入った引き込み線や踏切も残っていたが……。
急いで産業道路から階段で右手に降り、100mほど歩いて、新興駅舎方面に行く。いやな予感は的中。昨年まであった引き込み線や踏切は撤去されてしまっていた。う~ん。非常に残念である。
神奈川産業道路は高島線をまたいだあと、地上を走る。さらに、しばらく行って日本ビクターの本社工場を過ぎ運河も渡る。橋を渡る時、右手を見ると新興線が通っていた橋(新興第1号橋りょう)も見える。新興線は、新興駅(旧入江駅)から日本ビクターの本社工場あたりを通って運河を渡り、昭和電工の工場に向かって続いていた。
さて、新子安駅から神奈川産業道路を約800m行ったところに、恵比須町の交差点である。右に曲がると、両脇に昭和電工の工場があり、道路を横切る新興線の線路が一部まだ残っている。神奈川産業道路は、交差点を左に曲がって続き、新興線は昭和電工の工場からこの神奈川産業道路に沿って、東に向かっていた。すでに、線路はもちろん鉄道バラス(砂利)は除去されたものの、盛り土はされたままなので、廃線跡だとわかる。
新興線は、元の新興駅まで2つの橋を渡っていたが、この橋の跡は2つとも残っており、廃線郷愁度を高めてくれる。恵比須町の交差点から約1.7km行ったところが新興駅交差点。バス停の近くに新興駅があったらしいが、すでに公園になっていた。恵比須町の交差点とこの交差点の間の廃線跡は「貨物線の森緑道」となる予定で、その第一弾として元の新興駅の跡が公園として開園したわけである。
次はアメリカ、瑞穂埠頭在日米軍専用線
京浜工業地帯には、他にも使われていない鉄道がある。その1つが瑞穂埠頭米軍専用線だ。瑞穂埠頭の在日米軍施設横浜ノースドックと高島線東高島駅を結ぶ専用線である。かつては瑞穂支線と言われていたが、1950年代に在日米軍専用線として使われるようになった。仮に「瑞穂埠頭在日米軍専用線」と呼んでおこう。
この専用線を見に行くには、JR東神奈川駅か京浜急行仲木戸駅で下車。東南に大通りを行くと、運河にかかる橋を2つ渡る高島線の踏切「千鳥橋踏切」にぶつかる。右手に行けば東高島駅だ。専用線は踏切からは見にくいが、踏切の向かって左手奥にある踏切「塩業踏切」付近からカーブを描いて分岐し、ゆるやかな上り勾配になって瑞穂埠頭方面に行く。もともとは、先ほどの入江駅 - 千若信号所 - 瑞穂駅の貨物支線だったが、千若信号所が東高島駅に吸収されたので、起点が東高島駅となったわけである。
専用線は、瑞穂橋の隣の鉄橋で運河を渡り、瑞穂埠頭に続いていく。ここからは、特別の許可を得た日本人しか橋を渡れないのだ。
夕闇に浮かぶ、謎の鉄橋
瑞穂橋近辺から運河に沿って横浜方面にブラブラ歩くと、東高島駅にたどり着く。その近辺に、謎の鉄橋が夕闇に浮かんで見えた。実は東神奈川駅から東高島駅の間にもかつては専用線があって、この橋はその残骸。そしてわたしはまたふらふらと廃線跡をさがして消えていくのであった。