私は大変毛量の多いオンナですが、成人式の際、振り袖用に髪を結ったところ、美容師さんが扱いに困ったのでしょう。イメルダ夫人みたいなでっかいヘアスタイルになった覚えがあります。

イメルダ夫人は、言わずと知れたフィリピン大統領、フェルディナンド・マルコスの妻です。彼女の“代名詞”は靴。1986年、マルコス大統領の独裁に苦しんでいた人々が起こしたピープルパワー革命でフィリピンを追われ、ハワイに亡命します。あるじのいなくなったマラカニアン宮殿に人民が押し入ると、そこには3000足の高級ブランドの靴が残されていたそうです。

さて、いつものようにイメルダの人生を振り返りましょう。

超簡単に振り返る、イメルダ夫人の人生

イメルダは名門家庭に生まれたものの、母親は後妻であり、次第に父親の仕事もうまくいかなくなって、貧乏生活を余儀なくされます。イメルダのここまでの人生はデヴィ夫人にそっくりです。2人が親しかったのは、赤貧から美貌を武器に権力者の妻にのしあがったという点が共通していたからかもしれません。

イメルダは美貌を武器に、ミスコン荒らしを始めます。故郷のミスコン「タクロバンの薔薇」「ミス・フィリピン」を経て、「ミス・マニラ」に挑みますが、次点に終わります。コネ社会のフィリピンでは、袖の下が横行していました。審査に不正がなされていると感じたイメルダは、マニラ市長に直談判。市長もイメルダの言い分を認め、「マニラのミューズ」の称号を与えます。ことの顛末は新聞でも大きく取り上げられ、マルコスはこれをきっかけにイメルダを知ることになります。

プレイボーイだったマルコスは、イメルダに興味をひかれ、猛アタックを開始します。イメルダもマルコスを自分の夫としてふさわしい人物と思っていましたが、簡単に落ちては多くの女性のように一時の恋人で終わることを知っていました。

決してYESと言わない、他のオトコの存在を匂わせることで闘争心に火をつけ、イメルダはマルコスと結婚にこぎつけます。

権力のあるオトコと結婚するという野望をかなえたイメルダの次なる目標は、夫をトップオブトップ、つまり大統領にすること。イメルダは自分も貧困家庭出身であることと、その美貌、また美声を武器に有権者の中に入っていきます。自分たちの意見を聞いてくれる政治家などいなかったと貧困層は感激し、マルコスを支持、大統領選に勝利します。イメルダは36歳の若さで、大統領夫人になったのです。

イメルダ夫人の名言「Wonderful!」

  • イラスト:井内愛

デヴィ夫人とイメルダ夫人は生育環境が似ていると書きましたが、政治家の妻として似ているのは、アルゼンチンのフアン・ペロン大統領夫人、エビータです。デヴィ夫人はすでに大統領だったスカルノと結婚しましたが、エビータもイメルダ夫人も、夫と共にし烈な大統領選を戦い抜いたのです。

エビータは、上から下までクリスチャン・ディオールで固め、きらびやかに装うことで「あなただって、私みたいになれる」と貧困層にメッセージを送ったとされていますが、イメルダも全く同じ。1回着たドレスは二度と着ず、朝令暮改もたびたび。イメルダのドレスに刺繍をほどこす職人は24時間体制で仕事にあたっていたといいます。激務のあまり、失明する人もいたそうですから、人使いの荒さが知れるというもの。しかし、当のイメルダは「They need a star」(国民にはスターが必要なのよ)と、国民のために装っている、私利私欲ではないというスタンスを崩しません。エビータとイメルダは、国家予算の着服や横領の疑いをもたれている点も一緒です。

エビータは「金持ちからぶんどって、貧乏人に与える」という、常識でははかれない方針で自分の支持層である貧困層に恩恵を与えました。しかし、イメルダはエビータとはちょっと違っています。マニラ市の美化をまかされていたイメルダは「街が汚いのは、貧困層のせいだ」と思ったのでしょうか、貧しい人々を強制退去させてしまいます。方法に問題はあれど、貧困層にメリットをもたらそうとしたエビータと、当選したら貧困層のことはどうでもよくなってしまったイメルダ。おそらく、彼女は自分以外どうでもいい人なのでしょう。ドラマで悪役に存在感がありすぎて、主役を食ってしまうことがありますが、貧困を経験したイメルダは大衆にとって、悪女的なスターだったようです。

革命が起き、亡命を余儀なくされたイメルダ。故郷を追われ、財産も持ち出せず、さぞ失意の日々を送っていたかと思うでしょうが、実際はそうでもなかったようです。

イメルダは誇らしげに語るのです。 「ニューヨークに行くと、あちこちにショッピングバッグやプレゼントの箱がたくさん描かれているポスターを見かけるの。そこには“There is a little Imelda in all of us”(私たちの中に、小さなイメルダがいる)と書いてあるの」。

個人が自分の稼いだカネで買い物をする分には何の問題もありません。が、イメルダは国のお金を横領したからこそ、故郷を追われたわけです。しかし、イメルダはそのあたりはスルーで、「wonderful」(素敵ね)とコメントしています。まるで、超大国アメリカで自分が話題になっているのがまんざらでもないといった感じでした。

イメルダを見ていると、「自分にうっとりする才能」というものがあるのではないかと思うのです。

たとえば、大統領夫人になるといった具合に、だれが見てもすごいことを成し遂げて「うっとりする」のは、当たり前のことです。「自分にうっとりする才能」とは、落ち目の時にこそ効力を発揮します。「みんなが私に注目している、まいっちゃうわね」というイメルダのメンタリティーは、精神科の専門医が診れば、なんらかの診断名がつくかもしれませんし、周りにとっては迷惑以外の何物でもありません。が、「自分にうっとりできる」からこそ、「もう一度頑張ってみよう」と思えるのではないでしょうか。「失敗したから、不幸になる」と考えている人は多いと思いますが、本当は「自分をダメだと思ったら、挑戦しない」「挑戦しないから、成功しない」の悪循環に陥ってしまうのだと思うのです。

実際、イメルダはチャレンジをしています。夫であるマルコスが亡くなった後、フィリピン政府に帰国を許されたイメルダは、横領や贈収賄の裁判を受けつつも、選挙に立候補して国政に復帰しています。今年の7月で90歳になるイメルダですが、昨年は州知事選挙に立候補すると表明し、話題を呼びました(後に撤回)。

長命なイメルダですが、これまでに命の危機を経験したこともありました。一向に生活はよくならないのに、イメルダたちは贅沢三昧。貧困層を顧みないマルコスの政策に反感を持つ人は多く、暴漢にナイフで刺されたこともあったのです。

一命はとりとめましたが、その際も「あんな醜い武器で死ぬのなんていや」「せめて、黄色いリボンがついたものにしてくれれば」とすっとぼけたことを言っています。政敵や暴力にも屈しない自分をアピールしたのかとも思いましたが、もしかしたら、これは偽らざる気持ちなのかもしれません。リボンのかけられたものは、プレゼントを予想させ、「中に何が入っているのだろう」と人の気持ちを高揚させます。自分や自分にまつわるすべてにリボンをかけて、うっとりすること。これがイメルダ最大の「らしさ」なのかもしれません。

※この記事は2019年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。