政治家というのは、もしかすると芸能人以上の人気商売ではないかと思うのです。理想論で言えば、国のためになる政策を考え、法律を作れば有権者は支持してくれるはずです。しかし、現実はそうは甘くない。国の財政が厳しくても増税を喜ぶ国民はいませんし、選挙の直前にバラマキ政策がとられるのも、結局自分は損をしたくないと思ってしまう人間の弱さのためでしょう。

そういった人間のずるさや甘さに真っ向から、立ち向かっていた女性政治家がいます。イギリス発の女性首相、マーガレット・サッチャーです。

超簡単に振り返る、マーガレット・サッチャーの人生

イングランド東部に生まれたマーガレットの両親は、食料雑貨店を営んでいました。イギリスは階級意識の強い国ですから、マーガレットが首相になってからも、「食料雑貨店の娘」という侮蔑はついてまわることになります。マーガレットの父親は優秀であるにもかかわらず、家庭の事情で進学することができませんでした。が、父親は不屈の精神で働きながら勉強をし、市長にまで上りつめます。「自分で努力する」「他人や国家をアテにしない」という父親の政治方針は、サッチャーの人生に大きな影響を与えます。

子どもの頃から抜群に成績優秀だったサッチャーは、オックスフォード大学に進み、化学を勉強しますが、経済にも傾倒し、政治家になるという夢を持っていました。それを現実のものにしたのが、夫であるデニス・サッチャーとの出会いでした。デニスは化学メーカーの二代目社長で、お金持ち。選挙にはお金がかかりますから、お金持ちであることは願ったりかなったりです。さらに10歳年上でバツイチですから、マーガレットの言うことを聞いてくれやすい。森英恵センセイもそうですが、女性の夢を応援してくれる配偶者を持てるかというのは、人生の一つのポイントのようです。結婚後、マーガレットは双子を出産し、弁護士資格を取得しています。

さすがのマーガレットも下院議員になるまでには苦労したようで、9年の歳月を要しています。議員となって11年が経過したころ、教育相として内閣入りします。この頃のイギリスは週休4日、「ゆりかごから墓場まで」のモットーのもと高福祉をかかげていましたが、そのせいで社会保障の費用が国の財政を圧迫していました。予算縮小のため、図書館の本を有償化する案が持ち上がりましたが、子どものころに図書館でいろいろな本から知識を得たマーガレットは、子どもが本と出合う機会を奪うことは避けたかった。代わりに、牛乳の無償提供を廃止する提案をします。

この提案には例外があり、健康上の理由で牛乳を必要としている児童や、六歳以下の児童には引き続き提供するなど配慮がなされていますが、カネを出すことに敏感なのは、どこの国でも一緒。目的や例外は報道されず、「マーガレットが子どもに牛乳を与えない!」と報道されたのでした。“Margaret Thatcher, Milk Snatcher”(マーガレット・サッチャーはミルク泥棒)というダジャレのような批判が起きたのは、このためです。

政治家としてキャリアを積んでいたマーガレットでしたが、女性が首相になれるとは全く思っていませんでした。しかし、党首選挙の候補が問題を起こしたことから急遽サッチャーに白羽の矢が立ちます。マーガレットはこの機会を逃さず、ダイエットをして外見や、話し方まで変えて保守党の党首となり、イギリス初の女性首相となったのでした。

首相となったマーガレットが着手したのは、国営企業の民営化です。当時のイギリスは企業の半分が国営で、赤字が出てもどうせ国が助けてくれる、労働者も仕事は適当にすればよいという英国病に陥っていました。マーガレットは労働者の反発にあいながらも、民営化を強行。多くの失業者が出て、貧富の差が拡大されたことも事実ですが、競争原理を持ち込んだことで多くの企業はV字回復。好景気がやってきます。南大西洋のイギリス領、フォークランド諸島にアルゼンチン軍が上陸したときは、マーガレットは即座に軍隊を派遣、人命を失いつつも、勝利を収めたのでした。

マーガレット・サッチャーの名言「好かれようとしているだけなら、いつでもなんでも妥協する必要があり、何も達成しないだろう」

  • イラスト:井内愛

「好かれようとしているだけなら、いつでもなんでも妥協する必要があり、何も達成しないだろう」というマーガレットの言葉は正論ではありますが、もしマーガレットが国会議員や首相になれていなかったら、まったく説得力がありません。まさに「勝てば官軍」なわけですが、それではなぜマーガレットが「人をアテにするな、自分で努力せよ」と言い続けてきたかというと、人をアテにしない“楽しさ”を知っていたのだと思うのです。

人をアテにしないというと、見捨てられた、もしくは他人を拒絶する孤独な印象を受けるでしょう。しかし、必要に迫られて、ひとりで何かをやってみた場合、すべてはできなくても「ここまではできた」という自分の意外な能力に気づくでしょう。そして、「ここまでできた」ことで自信もつく。周囲にとっても、何もやろうとしない人は助けにくい。しかし、「ここができません」とピンポイントで指定されれば、教えやすいし、助けやすい。助けるほうも助けてもらうほうも、いい気持ちになれるのです。

「誰にも助けてもらわなくても、できた」という経験は、新しいジャンルに挑戦するときも活きてきます。「あの時もできたんだから、今回も大丈夫だろう」というふうに、自然とメンタルが楽観的になるからです。私は悪いオトナなので根性論のように「やればできる」とは言いたくありませんが、「やってみたら、案外難しくなかった」「やってみて、失敗してもたいしたことはないとわかった」ということは言えると思います。人をアテにしないことで、自分の殻が破れたり、可能性が広がったりするのです。人にほめられたことで身に着ける自信は、誰かにほめられなくなったら「私ってダメかも」と自信を喪失することになりかねません。しかし、自分で決めて、自分で動くことで得られる自信は人にふりまわされるものではないので、半永久的です。ただし、これはそもそも能力のある人むけの理論で、本当にできない人には政治的な別のケアが必要になるでしょう。

マーガレットと言えば“鉄の女”というニックネームも有名です。これは東西冷戦下時代、ソ連と距離をおいた姿勢に対し、ソ連側がつけたものですが、この名前をマーガレットはとても気に入っていたそうで、私はある確信を得たのでした。

美人女優に「美人ですね」とほめても、喜ばれることはないでしょう。なぜなら、美人であることは当たり前だからです。となると、マーガレットが“鉄の女”と言われて喜ぶのは、本当のマーガレットが鉄ではないことをほのめかしているのではないでしょうか。

マーガレットが優秀であり、運が味方した稀有な女性であったことは言うまでもありません。けれど、マーガレットとて最初から鉄人なわけではなかった。人をアテにせず、妥協せず、戦い抜いた結果として“鉄の女”になった。最初から強い人なんて、誰にもいない。マーガレット・サッチャーは弱い自分に妥協しない人だったのかもしれません。

※この記事は2019年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。