問題をおさらい!

  • このクルマの正体? という問題でした

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【答え】マツダ「オートザムAZ-1」

オートザムAZ-1は1992年10月に登場したマツダの軽自動車です。

  • マツダ「オートザムAZ-1」

    マツダの軽自動車「AZ-1」。当時のマツダはいくつかの販売チャンネルを持っており、このクルマは「オートザム」で販売していたことから「オートザムAZ-1」とも呼ばれています

マツダは1976年に「シャンテ」の生産を中止して以来、長らく軽自動車をラインアップしていませんでした。しかし、1980年代に入ると、女性ドライバーの増加などにより軽自動車の需要は拡大していきます。

そこでマツダは、新しい価値「Enjoy Car Life」を提案し、軽自動車を含む独自の新規需要を創出することを目的として、コンセプトの立案をスタートさせました。

そこから生まれた軽自動車は2台あります。1台は過去にあった軽自動車の名前を復活させた「キャロル」というクルマで、20~22歳の独身女性をターゲットに曲面を多用した親しみやすいデザインを採用していました。そして、もう1台がAZ-1だったのです。

「独自の新規需要を創出する」ことを目的とした「オフライン55プロジェクト」の立ち上げは1983年10月。正式承認を得る前に試験的に商品企画を進めるという当時としては画期的なプロジェクトで、何よりも自由な発想が求められました。同プロジェクトから生まれたのが初代「ロードスター」や初代「MPV」、前述のキャロル、AZ-1といったクルマたちでした。

  • マツダ「オートザムAZ-1」

    「AZ-1」量産車のラインオフの様子。紅白幕に和太鼓という演出がシブいですね

AZ-1はマツダがイギリスのエンジニアリング会社と共同で開発したクルマです。車体はスケルトンモノコックフレームにプラスチック製の外板パネルをボルト止めするという個性的な構造でした。

  • マツダ「オートザムAZ-1」

    開放感あふれるグラスキャノピーデザインや、日本初のオールプラスチック外板の採用などで個性的なスタイリングを実現しました

全高が1,150mmと非常に低いAZ-1。ガルウイングドアは大きな乗降スペースを必要としないため、低い車体にちょうどよく、狭い道や交通量の多い都市環境にも適していました。もちろん、乗降時に個性を表現できるところも魅力です。軽自動車でガルウイングを採用したのはAZ-1が初めてでした。

  • マツダ「オートザムAZ-1」

    ガルウイングの装着は必然? それとも遊び心? たぶん両方です

エンジンはリアミッドシップに搭載された3気筒インタークーラー付きターボ。性能は最高出力64PS/6,500rpm、最大トルク8.7kg.m/4,000rpmですから、Nm(ニュートンメーター、トルクの単位)ではおよそ85.3Nmを発生していました。これを5速マニュアルで走らせていたのです。

エンジン、トランスミッション、サスペンション、ブレーキ周りなどはスズキから提供を受けました。ちなみにエンジンは、スズキ「アルトワークス」のものを流用しています。スズキはAZ-1のOEM供給を受け、「キャラ」(CARA)という名前で販売していました。

  • スズキの「キャラ」

    こちらがスズキの「キャラ」です。ちなみに「OEM供給」というのは、ある会社が作ったクルマを、別の会社が自社のエンブレムなどを取り付けて販売することです。例えばマツダの「フレア」という軽自動車は、スズキから「スペーシア」のOEM供給を受けて販売しているクルマです

AZ-1の生産は1994年10月に終了します。デビューがちょうどバブル崩壊の真っ最中だったこともあり、生産台数は計4,500台ほどだったと伝えられています。149.8万円(税抜き)という価格は、当時のキャロルが120万円を切っていたことを考えると割高感があったのかもしれません。ちなみに、スズキのキャラも500台ほどで生産終了となりました。

まさにバブル絶頂期に企画が生まれ、さまざまなチャレンジを経て商品化にこぎつけたAZ-1。クルマ作りの世界で社外との協業という手法は今や当たり前となりましたが、マツダにとって、その手法を確立するための大きな1歩となったことは間違いないでしょう。

それでは、次回をお楽しみに!