【あらすじ】
コマガール――。細かい女(ガール)の略。日々の生活において、独自の細かいこだわりが多い女性のこと。細々とした事務作業などでは絶大な力発揮をするが、怠惰な夫や恋人をもつとストレスが絶えない。要するに几帳面で神経質な女性。これは世に数多く生息する(?)そんなコマガールの実態を綴った笑撃の観察エッセイです。

独身時代の僕は、恋人同士の同棲や寮生活といったいわゆる赤の他人同士の暮らしというものを経験したことがなかった。血縁以外の人間と同居するのは現在の妻であるチーとの暮らしが初めてであり、だからこそ、今まで気づくことがなかった自分の人間性をあらためて実感することも少なくない。結婚とは、すなわち自己発見なのかもしれない。

中でも自分自身がもっとも驚いたのは、洗面所での理不尽な心境である。これを説明してどこまで伝わるかはわからないが、なぜか僕の中には「洗面所にいる姿を誰かに見られたくない」という、わけのわからない性格が潜んでいるのだ。

たとえば外出先から帰ってきたとき、僕が最初にすることは洗面所での手洗いとうがいである。その後、コンタクトを外して、家の中でのリラックススタイルを完成させるわけだが、この行程の途中でチーが洗面所に入ってきたら、さあ大変。どういうわけか僕の胸がざわざわと波打ち、得体の知れない嫌悪感が台風のように襲ってくるわけだ。

かくして、人間ができていない僕は洗面所に途中入場してきたチーに対して、露骨に不機嫌な態度をとり、時には「ちょっと向こうに行っててくれ」や「入ってくるなよ」といった理不尽極まりないクレームを発することもある。当然、チーにしてみればわけがわからないことだろう。彼女は洗面所に別の用事があって、入室してきただけなのだ。

これと同じようなことは朝の身支度や風呂上りにもあるわけで、たとえば髪の毛を乾かしている姿や洗顔をしている姿をチーに見られると、これはもう排泄行為の最中をまじまじ観察されているかのような嫌悪感がある。我ながら思春期の女子みたいだ。

しかし、だからといって僕が極度の羞恥心の持ち主というわけではない。風呂場の浴槽に悠々と浸かっているところをチーに見られても別に平気であり、たまに気分が乗ったときは全裸でリビングをうろうろしたりもする(どんな気分だ)。排泄行為もそうだ。さすがに大は恥ずかしいが、小の最中を妻に見られるぐらいなら、どんと来いである。

ならば、この嫌悪感はいったいどういうカラクリなのだろう。独り暮らしをしていた時代はもちろん、大阪の実家で暮らしていた時代もまったく気づかなかった自分の知られざる性分。「結婚したことによって伴侶の意外な姿が次々に発覚する」ということはよく見聞きする話だが、「結婚したことによって自分の意外な姿を自分で発見する」ということもあるとは、さすがに予想できなかった。これもまた結婚の真理ということか。

話を展開すると、ここでの嫌悪感のメインターゲットは、おそらく「完成途中」というものにあるのだろう。過去を振り返ると、僕は子供のころから何事も「途中」を見られることに不快感を覚える人間だった。たとえばプラモデルを作っている「途中」、絵を描いている「途中」、作文を書いている「途中」。完成したものを他人に見せるのは大歓迎で、むしろ積極的に見せたがるところがあったのだが、その「途中」を見られるのはどうにもケツの座りが悪い。だから、いまだに身支度の「途中」を見られるのが嫌なわけだ。

そんなことを考えていると、以前ある取材で出会ったストリッパー女史の話をふと思い出した。彼女はキャリア約10年を誇るベテランストリッパーであり、「他人に裸を見せることに抵抗感はすっかりなくなった」と話す独特の女性であった。

しかし、そんな彼女であっても衣装を脱ぐ「途中」を不意に、つまりステージ上ではなく楽屋などで見られるのは、それがたとえ女性であっても不快なのだという。全裸で楽屋回りなどのバックステージをウロウロ歩き回り、それを男性スタッフに見られるのは平気であることを考えると、ステージ上かそうでないかはあまり関係ないのだろう。

ちなみに、そんな彼女に「生活の中で一番羞恥心を感じる瞬間はどこか? 」という質問をしたところ、それに対して返ってきた以下の答えが実におもしろかった。

「服を着ている途中を見られたとき」。

そう、彼女はここでも「途中」を嫌がるわけだ。しかも、普通の人間なら「服を着る途中」より「服を脱ぐ途中」のほうが恥ずかしいに決まっているのに、彼女は職業柄か、「服を着る途中」のほうが嫌だという。人間の羞恥心とはつくづくわからないものだ。

翻って結婚生活とは、それまで赤の他人同士だった男女がある日を境に共同生活をするようになることであり、それによって夫婦は様々な恥部(裸という意味だけではない)を見せ合うことにもなる。だから時間の流れとともに、ある程度は恥部の公開に慣れてくるものであり、そのストリッパーと同じく、伴侶の前では羞恥心が麻痺したりもする。

しかし、それでもやっぱり「完成途中」は恥ずかしいわけだ。裸を見られることには抵抗がなくなっても、身支度をしている「途中」に関しては、それが服を着る「途中」であろうが、コンタクトを外す「途中」であろうが、無性に恥ずかしい。もっと正直に打ち明けると、原稿を執筆している最中を見られるのもなんとなく抵抗がある。だから、僕は家に書斎があるにもかかわらず、よく外の喫茶店などで執筆するのだ。

果たして、僕と同じ感情を抱いている方はおられるのだろうか?

<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち) : 作家。1976年大阪府生まれ。早稲田大学卒業。おもな著作品に『雑草女に敵なし!』『Simple Heart』『阪神タイガース暗黒のダメ虎史』『彼女色の彼女』などがある。また、コメンテーターとして各種番組やイベントなどにも多数出演している。私生活では愛妻・チーと愛犬・ポンポン丸と暮らすマイペースで偏屈な亭主。チーが几帳面で神経質なコマガールのため、三日に一度のペースで怒られまくる日々。
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