企業の経営層は、過去にどんな苦労を重ね、失敗を繰り返してきたのだろうか。また、過去の経験は、現在の仕事にどのように活かされているのだろう。そこで本シリーズでは、様々な企業の経営層に直接インタビューを敢行。経営の哲学や考え方についても迫っていく。

第17回は、海外製品の輸入卸売をメインに、多様な事業を展開する株式会社イーストエンドカンパニーの代表 東端裕介氏に話を聞いた。

経歴、現職に至った経緯

まずは経歴について。1971年生まれの東端氏は、生まれも育ちも大阪。小学生時代は通信簿に「落ち着きがない子」と書かれ続けていた子どもだった。

「いたずらっ子でもありまして、同級生の親が『うちの子をいじめたでしょ!』と家にまでやってきたこともあります。夜、玄関のチャイムが鳴るたびにドキドキしていましたね(笑)」

小学生時代に剣道をやっていた東端氏は、中高生時代はラグビー部に所属。ドラマ「スクールウォーズ」の影響を受けてのことだったそうだ。明るくて陽気な性格で、部活や学校生活を楽しんで過ごした。

高校卒業後、父親の勧めを受けたことを機に、オーストラリア留学を経験。ロレインマーティン・カレッジを卒業後、19歳で帰国。アルバイト期間を経て、父親が働いていた大手商社に入社した。

「いわゆるコネ入社ですよね。入社した理由は、車(ロードスター)が欲しかったから。未成年だったので親の印鑑が必要で、父が提示した条件が入社だったんです」

入社後、東端氏は時計部に配属。1年目は毎日地方へ営業に行く日々を送る。営業成績を上げられるようになると、海外からの仕入れも任されるようになった。時計に詳しいバイヤーと英語ができる商品部の2名体制で仕入れをしていたところ、英語ができる東端氏は1人2役をこなせた。当時の様子を「海外の取引先からも、『若いやつが英語で営業してくるぞ』とかわいがってもらえましたね」と振り返る。

営業・仕入れに携わることで、ビジネスの全体像を学んだ東端氏は、26歳のときに独立を決意する。その背景について、東端氏は次のように語る。

「前職時代には、自分の営業予算の必達のために無理やり商品を販売したことが何度かあり、葛藤を覚えていたんです。お取引先様である小売店や商社は、長期在庫問題・不良在庫問題・販売不振など、さまざまな問題を抱えながら日々営業されています。こうした現状から、輸入商品の卸売りをするだけではなく、お客様の問題を常に共有し、解決していく会社を作りたいと思い、起業を決意したんです」

会社概要について

東端氏が創業したイーストエンドカンパニーは、海外ブランドの総合輸入商社だ。現在の主な事業は、海外ブランド時計、バッグ、ジュエリー、雑貨などの輸入卸売に、リユース品の買取販売、ECショップの運営・プライベートブランドの企画開発販売、アウトドアバッグのブランドの正規代理店と幅広い。さらには、民泊事業や物流事業も展開している。

「プライベートブランドは、現在クレンジングジェルの『アモーリア』とスマートウォッチ『PROJECT-EE』の2つですが、ビジネスバッグやスマートリングなど、新たな商品も展開する予定です。常に新規事業を考えていますね」と東端氏は説明する。

創業後、最大のピンチとなったコロナ禍

1999年の会社設立以来、事業を広げてきた東端氏。一番苦労したことは、2020年からのコロナ禍だったという。

「グループ全体で100億円あった売上が、コロナ禍により58億円まで下がる経験をしました。これまでは順調に上がる一方でしたから、今までにない経験でしたね」

2020年4月に発令された初の緊急事態宣言時には、取引先がほぼ休業になったことを受け、4〜5月の売上はほぼゼロに。当時40名ほどいた従業員の雇用を守り続けられるのか、そもそも会社自体を守り切れるのか、プレッシャーと不安、焦りを強く感じていたという。

できるところから着手しようと、東端氏はこれまで十分にできていなかった経費の削減を開始した。自身の給料をゼロにし、従業員には休んでもらい、40%減の給料で耐えてもらった時期もあったという。「給料の削減を言い出すのは、経営者として非常につらく、心苦しかったです」。

取引先が休業を続け、仕事が減っていた期間は、社員みんなで自社ECショップの出品に携わった。さらに、現状打破への強い想いから、プライベートブランドの企画販売やエステ事業など、今できそうなことにとにかく挑戦。既存事業であるブランド品の卸売も、従来のやり方だったオーダーベースでの仕入れを減らし、海外の仕入れ先にある長期在庫を格安で仕入れて販売するスタイルに転換させた。海外ではあまり売れなかったものだからといって、商品として劣るわけではない。日本では需要がある商品を見出すことで、売上増に繋げていったのだ。

「イーストエンドカンパニーでは、『最速が最高』という言葉を大切にしているのですが、それはコロナ禍で1番苦しかった時期に生まれた言葉です。私が以前から個人的に持っていた思考を言語化し、会社の指針としました。我々のようなベンチャー企業が大手企業と競うために大切なのは、速さなんです。例えば、『最高のスマートウォッチ』を作るには時間や資本力、ノウハウが必要ですが、『最速でスマートウォッチを出す』なら、リソースの少ないベンチャー企業でも努力すればできる。だからこそ、私たちにとっては『最速が最高』なんです」。

会社を守るための変化を厭わないことが、「人々すべて」の幸せに繋がる

創業後、最大の危機となったコロナ禍を乗り越え、東端氏にはどのような変化があったのか。東端氏は「私と会社の考え方が大きく変わった」と述べる。

「イーストエンドカンパニーの目標は『イーストエンドカンパニーに関わる人々すべてを幸せにする』ですが、コロナ禍を経て、この『人々すべて』の定義が変わりました。昔は、自分たちが楽しく仕事ができることが1番の価値であり、その上でお取引先様など関係者も幸せになっていただけるようなお取引をしてきました。しかし、『楽しく』を1番の価値にし続けたままでは、人々すべてを幸せにすることは難しいと感じるようになったのです」

東端氏は、「走り続ける、チャレンジし続けることが生き残るために大切」だと続ける。

「私は初心に帰り、研修に行くなど勉強の機会を設けるようになりました。いろいろな方から話を聞くことで刺激を受け、もっと速く走ろうと力を蓄えています。私たちが変化することで、昔の価値観のままでいたい人の幸せは守れなくなるかもしれません。そうした意味では『人々すべて』ではなくなってしまうかもしれませんが、会社を存続させることが最大数の『人々すべて』を幸せにできることだと捉えています」

さらに、東端氏はコロナ禍での経験から学んだこととして、「エステ事業での失敗」を挙げた。新しい挑戦を果敢にしていた際に立ち上げた事業だが、開始1年で残念ながら撤退することになってしまったのだという。

「上手くいかなかった原因の1つは既存ビジネスとシナジーがなかったことでしょう。新しい挑戦はすべきですが、シナジーがないと成功しづらいのだろうという学びになり、これから新事業を行う上での指針になりました」

そう語る東端氏だが、現在、グループには民泊事業という一見シナジーのなさそうな事業も残っている。これはなぜ順調に成長を続けられているのだろうか。

「民泊事業には情熱を持ってがんばろうという社員がいたのが大きかったのだと思います。やらされたものとは異なり、自ら成功させようと日々がんばれる人がいれば、既存ビジネスとのシナジーがたとえ薄くとも、成功する可能性が上がるのかもしれません」

就活生・若手ビジネスパーソンにメッセージを

最後に、就活生・若手ビジネスパーソンに向けてメッセージをもらった。

「失敗はそもそも糧になるものです。失敗しない方がおかしく、失敗していないのは行動していないからだといえます。大切なのは、目標を持ち、その実現のためにいろいろな行動を起こすこと。その過程で起きる失敗は、次に同じ轍を踏まないよう努力することに繋がるため、糧になります。また、目標達成に向かう覚悟を決めることも大切ですね。覚悟を決めて継続できるようになると、行動が習慣になるのでしんどさを感じにくくなります。覚悟→行動→習慣という成功体験を持てるようになると、我慢や自制に対する価値が上がる。1つ目標を達成したら、また新たに目標を立てる。その繰り返しがさらなる成長に繋がるでしょう」

コロナ禍を経て、あらためて「現状維持は後退するだけだ」と感じたという東端氏。「世界中が進歩しているのに、目標を低く設定してだらだらしていると、どんどん差を付けられてしまうでしょうね」と語る。最後に、自身が社会人1年目だったころの体験を振り返り、次のようにエールを送ってくれた。

「1年目はずっと地方に行っていて大変でしたが、その分、吸収することや出会いが多く、楽しかった覚えがあります。若いうちだからこそ、いっぱい仕事をして経験を積み、しんどいと感じることを習慣化させてしまうことで、周りと差を付けましょう。勉強し成長することは、会社にとってだけではなく、その人自身にとってもプラスになるはずです。働きやすそうという理由ではなく、自分が成長できるかどうかで環境を選んでほしいですね。これからの社会は、自分に力を付けなければ生きていけないと思っています」