日本を代表する鉄道路線、山手線。誰もが名前を知っている同路線は、東京の一部を環状で走っているに過ぎない。それでも利用者の数が多く、東京の大動脈を担っていることもあって、その知名度が高い。そのため、山手線の動向は常に注目されてきた。
2020年に入ってからも、山手線にまつわる話題は豊富だ。長らく活躍したE231系という車両が、1月に山手線から引退した。E231系は山手線のみで運行されている車両ではなく、ほかの路線でも走っている。他路線では、まだ現役車両として頑張っているので、特に山手線から引退するからといって見納めになるわけではない。
あくまで山手線から引退というトピックに過ぎないのだが、最後の勇姿を一目見ようとしたファンが駅などに殺到。また、写真に収めようとするファンも多く山手線の撮影スポットに撮り鉄が集まった。JR東日本は混乱の大きさを鑑みて、E231系のラストランイベントを断念している。
3月には、約半世紀ぶりとなる新駅の高輪ゲートウェイ駅が開業。同じく、3月には都内最古の木造駅舎として親しまれていた原宿駅が新駅舎へと切り替えられた。山手線は常に鉄道業界の話題を集めてきた。しかし、華々しく注目される駅がある一方で、スポットライトを浴びない駅もある。鉄道ファンから熱い支持を受けながらも、一般利用者から特に関心を持たれない田端駅もそのひとつといえるだろう。
田端駅は、1896年に開業した。当時、まだ山手線は環状運転を開始していない。田端駅を走っていたのは、後に東北本線となる日本鉄道だった。その後、日本鉄道は現在の常磐線にあたる湾岸線を開業。湾岸線は常磐炭田で採掘される石炭を輸送する目的の路線だった。そのため、湾岸線の列車は田端駅まで走ると、その後は池袋?新宿?品川を経由し、横浜へと向かった。石炭は横浜で船に積み替えられ、各地に移送された。こうした状況から、田端駅は北の玄関駅としての役割を担った。
1905年、それまで田端駅を起点にしてきた常磐線が日暮里駅を経由して上野駅まで延伸。こうして常磐線の起点も上野駅へと変更された。起点ではなくなったものの、田端駅には貨物駅の機能が残った。以降も、田端駅は鉄道貨物の要衝地として重要な役割を果たしていくことになる。
田端駅には、北口と南口のふたつの改札口が設けられている。田端駅は武蔵野台地の崖線上にある。利用者の多い北口は崖の中腹に駅舎があり、そこから街が広がっている。そのため、特に注釈がなく「田端駅で待ち合わせ」といった場合は一般的に北口改札での待ち合わせを意味することが田端駅利用者・住民の間で暗黙の了解になっている。
一方、南口は崖の上に申し訳程度の駅舎が設けられているに過ぎない。山手線の数ある駅でも田端駅は地味な存在だが、田端駅の南口はさらに地味な存在でもある。大半の乗降客が利用する田端駅北口には、小さいながらも駅前広場が整備され、路線バスやタクシーが発着している。
その駅前広場の目の前には、JR東日本東京支社の社屋がそびえる。田端駅一帯には田端信号場駅、JR東日本田端運転所といった鉄道関連施設が並ぶ。JR東日本の支社が立地するだけあって、鉄道の要衝地という雰囲気が漂っている。
こうした"鉄分"の濃い関連施設群が並ぶ駅前には、コンパクトなロータリーがある。その頭上には、東北・上越・北陸新幹線が頻繁に行き交う高架線がある。逆に目線を下へ向ければ、そこには新幹線が体を休めている。
田端駅北口から一歩足を踏み出せば、一面は鉄道色に染まる。田端駅が所在する東京都北区も田端が鉄道の街であることを認識しており、鉄道ファンを呼び込んで地域活性化につなげようと住民たちと試行錯誤している。その一端は、北口の駅前広場からつづく歩道からも窺える。歩道には新幹線の"鼻"をカットした部品や車輪などが展示されている。こうした鉄道部品は、商店街を抜けた先にある東田端公園などにも展示されている。
東田端公園から北へ歩くと、踏切があり、その傍らにはポケットパークのような小さなスペースがある。ここにはベンチが整備されて小休止できるようになっているが、ベンチには短く切断された線路が再利用されている。また、ベンチの横には使われなくなった鉄道信号がオブジェとして飾られている。北区では、田端駅の周辺にこうしたミニ鉄道名所を点在させており、それらを"鉄道八景"として売り出そうとしている。さらに北へと歩くと、そこには新幹線の車両基地となる東京新幹線車両センターがある。
2008年、ここに留置されていた新幹線車両に落書きされるという事件が起き、以降はそうした事態を防止するべく歩道と車両センターの間にフェンスが設置されてしまった。そうしたアクシデントによって多少は見づらくなってしまったが、それでも新幹線を眺められるロケーションは変わらない。
東京新幹線車両センターの北側には、尾久車両センターも広がっている。尾久車両センターは東北本線・高崎線が停車する尾久駅と隣接し、ホームからはたくさんの留置されている車両を眺めることができる。尾久車両センターには、お召列車として運行されるE655系、寝台列車カシオペアの車両であるE26系も留置されている。これらの車両は常に留置されているわけではない。運がよければ目にできるというレベルだが、そうした貴重な車両を見ることができるのも田端が鉄道の聖地と崇められるゆえんでもある。
2008年、田端駅舎のリニューアルが実施された。JR東日本と北区・地域住民との話し合いにより、田端駅には駅ビル「アトレヴィ田端」が開設された。駅ビルのオープンと同時に駅ナカにも商業店舗がいくつかオープンしたが、山手線の駅の割に店舗数は多くない。駅ビル・駅ナカ開発は田端駅の活性化につなげる起爆剤と期待されたが、その後に田端駅からはきっぷを販売するみどりの窓口が廃止された。田端駅は、一部のファンから鉄道の聖地として根強い人気を集める。その一方で、日常の田端駅は静かな住宅街としての時間が流れている。