人口の増加が止まらず、成長著しい川崎市。工業の街というイメージは時代遅れになっている。だからと言って、タワマンが乱立するのは武蔵小杉駅など一部のエリアにとどまる。
小田急小田原線とJR南武線が交差する登戸駅は、新宿駅まで小田急線で30分もかからない。代々木上原駅から東京メトロ千代田線へと乗り入れる電車もあり、赤坂駅・日比谷駅・大手町駅といった都心部のオフィス街にも乗り換えなしで行くことができる。そうした利便性が注目され、最近は都心部へと通勤するビジネスマン世帯が登戸に家を構えるケースも目立つ。そのため、登戸駅一帯は川崎市の大繁栄とはまた別の雰囲気を醸す住宅街が広がっている。
東京のベッドタウン化が進む登戸駅は、川崎市多摩区に所在する。多摩区は"ピクニックタウン"を標榜する。このキャッチフレーズは、住宅地には不似合いな印象を抱かせる。しかし、多摩区内には自然が豊富にあり、むしろ長らく川崎の発展を牽引してきた工場のイメージを払拭させるような観光名所が多く点在する。
そして、ピクニックタウンの中心になるのは、もちろん登戸駅だ。新宿駅から小田急線に乗って多摩川を渡ると、そこからは神奈川県。駅から多摩川の河川敷までは、のんびり歩いても10分かからない。河川敷の入り口に立つ二ヶ領せせらぎ館の手前には、シェアサイクルが設置されている。
ここで自転車を借りて、風を切りながら河川敷を駆けるのも気持ちがいい。水筒やペットボトルを手にした地元住民らしき人たちも多く見かけ、のんびりとした時間が過ぎていく。土手の上からは鉄橋を行き交う小田急線の電車を、はるか向こうには武蔵小杉のタワマン群を臨むこともできる。
登戸住民のアイデンティティやライフスタイルに、多摩川が大きく影響していることは間違いない。区画整理にあたり、市が示した方針でも登戸らしさのコンセプトとして多摩川を挙げている。登戸駅界隈にある"ピクニックタウン"らしさは、多摩川だけではない。2011年に開館した藤子・F・不二雄ミュージアムや、生田緑地ばら苑といった諸施設もピクニックタウンを濃くしている。厳密には、両者は隣の向ヶ丘遊園駅からの方が距離的に近い。
それでも登戸駅が藤子・F・不二雄ミュージアムや生田緑地ばら苑の玄関駅になっていることは、駅を見れば歴然だ。登戸駅はホーム・駅名標・駅名柱など、駅のあちこちの部分がドラえもんカラーに染められている。
ただ、注意したいのは、藤子・F・不二雄ミュージアムは要予約で、生田緑地ばら苑は5月と10月のわずかな期間しか開園していない点だ。気が向いたからといって、ふらっと足を運んでも楽しめない。
しかし、登戸駅や向ヶ丘遊園駅の周辺には、「ドラえもん」や「エスパー魔美」といった藤子・F・不二雄作品のキャラクター像があちこちに点在している。川崎市は来街者に向けて地図を配布しており、それを片手に街ブラするのも一興だろう。
また、ばら苑の開園期間は短いものの、向ヶ丘遊園駅からはばら苑アクセスロードと命名された遊歩道が整備されており、遊歩道脇にはバラが植栽された花壇が並んでいる。向ヶ丘遊園駅から藤子・F・不二雄ミュージアムまでは約1.3キロメートル。徒歩20分前後かかるものの、色とりどりのバラを愛でながら歩けば、その距離は苦にならない。
生田緑地ばら苑は、2002年まで小田急が運営する向ヶ丘遊園というテーマパークだった。戦前期、向ヶ丘遊園駅(当時の駅名は稲田登戸駅)の駅前から遊園地まで、来場者の便を図るために豆汽車が運行されていた。豆汽車に替わって、1966年からはモノレールの運行を開始。2000年に廃止されるまで、モノレールは向ヶ丘遊園の足として活躍した。
ばら苑アクセスロードは、モノレール跡地に整備された。美しいバラが咲き誇る遊歩道には、かつてモノレールが走っていた痕跡も残っている。
また、向ヶ丘遊園駅前の駐輪場は、モノレールの駅舎跡地に造成された。言われなければ気づかないが、じっくり見ると、確かに駐輪場は駅舎っぽい雰囲気を放っている。
期間限定の生田緑地ばら苑に対して、隣接する生田緑地は自由に入園が可能だ。ミュージアム施設は入館料が必要になるものの、公園そのものは入園無料。
広大な生田緑地内は森林が生い茂り、野鳥も観察できるほど豊かな自然が維持されているが、園内には岡本太郎美術館・日本民家園・川崎市青少年科学館などのミュージアムも立ち並ぶ。そのため、地域住民のみならず、川崎市内外からも多くの人が訪れる。園内にはチビっ子が走り回って遊べる芝生広場や水遊び場のほか、SLのD51 408やブルートレインの客車として活躍したスハ42も保存されている。子供たちだけではなく、鉄道ファンも夢中になれることは間違いない。
川崎市なのに工場群はなく、タワマンもない。単なるベッドタウンでもない。登戸駅界隈はピクニックタウンを標榜する一方で、隠れた鉄道タウンでもあった。