2019年4月30日に幕を下ろす「平成」。マイナビニュースでは、「平成」の中で生み出されたエンタメの軌跡をさまざまなテーマからたどる。この「平成テレビ対談」は、「バラエティ」「クイズ」「ドラマ」「ドキュメンタリー」「音楽番組」「アナウンサー」という6ジャンルで平成に活躍したテレビマンたちが登場。平成のテレビを振り返りながら、次の令和時代への期待を語り合っていく。
「ドキュメンタリー」からは、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)チーフプロデューサーの張江泰之氏と、日本テレビ系『NNNドキュメント’19』(毎週日曜24:55~)チーフプロデューサーの有田泰紀氏。前編では初対面の2人に、制作にあたっての意識や互いの番組の印象、自身が関わってきたドキュメンタリー番組などについて話してもらった――。
■ドキュメンタリーは本来報道
――お2人とも、入局・入社は平成の初期ですから、まさに平成とともにテレビマン人生を歩んできたわけですね。
張江:90年にNHKに入って、最初に日本で一番カバーエリアが広いと言われる北海道の旭川放送局に赴任しました。そこで「朝のニュース企画」から「のど自慢」まで何でもやって、僕はバラエティをやりたかったんですけど、「報道だな」って言われて。その後3年経って東京に異動して以来、NHKでは報道にいました。
――最初に手がけられたドキュメンタリー番組は、どんな内容だったのでしょうか?
張江:朝の全国放送のニュースの中継で、夏にイチゴを出荷するという農家を紹介したんです。そしたら、商社や流通から「そんなのあり得ない」「日本には夏にイチゴは存在しないんだ」と言われ、これはすごいことなんだと分かったので、なぜそんなイチゴが開発できたのかをドキュメンタリーで作っちゃおうと。『赤いダイヤを生み出す男』という30分の番組で、これが僕のデビュー作ですね。その農家の方とは、いまだにお付き合いがあります。
――有田さんはいかがですか?
有田:私は91年入社で、社会部で報道の記者をずっとやっていて、その後『きょうの出来事』『ニュースプラス1』といった番組の制作をメインにやっていたので、いわゆるドキュメンタリストではないんです。『NNNドキュメント』は15年から担当していますが、初めてゼロから立ち上げたドキュメンタリー番組となると、その年の9月に放送した『祈りの絵筆 飢餓地獄を生きのびて』というものです。これは社会部のデスクをやっていたときに都庁担当の記者が上げてきたニュースで、2014年の名誉都民に長嶋茂雄さん、山田洋次さん、そして三橋國民さんという3人が選ばれたというのがあったんですが、「三橋國民さんって誰だ?」というのをドキュメンタリーにしようと思って、50秒のニュースを30分の番組にしました。この方は、ニューギニアでほぼ全滅した部隊を生き残った方で、復員して美術家になったのですが、戦後70年の8月15日の前に1つの作品を描き上げるまでに密着しました。
――お2人とも、最初はニュース番組がきっかけだったんですね。
有田:そうですね。『NNNドキュメント』は、最初は通常ニュースという場合が少なくないです。
張江:ドキュメンタリーというのは、本来報道なんですよ。
■『NNNドキュメント』は“憲法”
――これまでご自身が携わってきた中で、特に印象に残っている作品は何でしょうか?
有田:『NNNドキュメント』という番組は、半分以上がネットワークの系列局が作っているんですが、広島テレビが作った『4400人が暮らした町~吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園~』(17年8月放送)ですね。お父さんが被爆者である吉川晃司さんを語り手にしたものなんですが、僕は広島出身で原爆にはこだわりがありまして、ロケにも立ち会って、最後の仕上げまで関わったので、印象深いです。
――チーフプロデューサーという立場でも、ロケに立ち会うことがあるんですね。
有田:基本的に系列局が制作・著作の場合は取材をお任せしているんですが、年間50本放送する中で企画は数百本上がってきますので、それを全部拝見させていただくんですね。その中から放送する企画を絞り込む過程で、日本テレビ以外の制作でも、それなりに関わらせていただくケースがあります。水俣病や新潟水俣病、イタイイタイ病といった公害病を取り上げる企画などは勉強もしました。
張江:ちゃんと作ってますよね。僕にとって『NNNドキュメント』は“憲法”なんですよ。毎週正座しながら見てます(笑)。先日の『変貌する自衛隊』(19年1月放送)もすごかったですよね。新聞も伝えていないことをきちんとちゃんと取材していて勉強になります。
有田:ありがとうございます(笑)
――張江さんはご自身の印象に残っている作品、いかがですか?
張江:27歳のときに初めて作った『NHKスペシャル』ですね。『秋・御巣鷹山』というタイトルなんですが、ちょうど日航機墜落事故事故から10年目で、ご遺族の方たちがこれまでどのように生きていたのかというのに真正面からぶつかってみようと思って、520人分の乗客名簿を元に手紙を1枚1枚書いて、遺族にお送りしました。当時のプロデューサーからは「山道で10年の人生を語る」という難しい宿題を与えられて、夏の暑い時期を避け、秋から冬にひっそりと墜落現場に登る遺族の方々の心情を山道だけで描くという1時間の番組にしました。日航機墜落事故は、僕にとって永遠のテーマで、フジテレビに移っても、この事故を扱った特番を制作しています。
――原点なんですね。
張江:そうですね。やっぱりドキュメンタリーというのは、人との向き合いが全てだと思います。
――有田さんは『ザ・ノンフィクション』への印象、いかがですか?
有田:張江さんがおっしゃったとおり、人の感情の部分に真正面に向き合っているという印象を受けます。そこにあまり手を加えずに視聴者に届けていますよね。
張江:おっしゃるとおりですね。
有田:北九州連続監禁殺人事件の犯人の息子さんにインタビューされた『人殺しの息子と呼ばれて…』は食い入るように見てしまいましたね。この対談の話を頂いて、あのインタビューをしていた張江さんなんだなと思いました。