FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「三大バブル破裂相場の類似性」を解説します。

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  • 「バブル破裂」には類似のパターンとは

    「バブル破裂」に類似のパターンとは

株の「三大バブル破裂(崩壊)相場」とは、世界恐慌の1929年からのNYダウ暴落、そして日本のバブル崩壊における1990年からの日経平均暴落、そしてさらに、今回書いているITバブル崩壊の米ナスダック指数暴落とされます。

この「三大バブル破裂相場」は、このように時代も国もバラバラですが、実は共通点も少なくないのです。何と言っても、この3つの暴落相場は、2年半から3年続き、その間の最大下落率は7割前後になったのでした。

ただ相場ですから、2年半以上かけて7割前後も下落する中で、一時的に上がることもあります。そんな上がったり下がったりするパターンすら、実は「三大バブル破裂相場」には一定の類似性があったのです。

「日銀の悲劇」、その原因は何だったのか?

図表は、上述の株「三大バブル破裂相場」について、暴落の始まりを100とした指数で重ねてみたものです。これを見ると、3つの暴落相場は、暴落が始まって2カ月前後で3~5割下落したものの、その後は「半値戻し」を達成しています。そして暴落の開始から半年程度過ぎた当たりから「暴落第二幕」が始まるといった具合で、上がり下がりのリズムに、時代や国の違いを超えた類似性があるように見えませんか。

  • 【図表】株「三大バブル破裂相場」の類似(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

    【図表】株「三大バブル破裂相場」の類似(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

念のために確認すると、株の「三大バブル破裂相場」には、以下のような共通のパターンがありました。

暴落第一幕=2カ月前後で3~5割下落、中休み=一幕の下落幅の「半値戻し」、暴落第二幕=暴落開始から半年頃から下落の本格再燃、暴落終了=暴落開始から2年半~3年で、最大7割前後で下落する。

考えてみると、そうですよね。いくらバブル破裂相場といっても、2年半以上で7割前後も、ずっと下がり続けるわけではなかったのです。中長期的に展開した下げ相場においては、さすがに「息継ぎ」とか「中休み」もあったわけで、ただ興味深いのはそのタイミングなどにも一定の共通性があるということです。

バブル破裂の株暴落は、時代を超えて、国の違いすら超えて、似たようなパターンで展開する―――。2000年当時の日銀が、そんな株の「バブル破裂パターン」を知らなかったとしても、それはとくに強く責められることではなかったと思います。ただ、残念なのは、株バブル破裂との判断が、遅過ぎたのではないかということです。仕方のないことですが。

「名台詞」の多い、グリーンスパンFRB議長の発言にこんなものがありました。

「相場のバブルを事前に警告することにあまり意味はない。何百、何千万の市場参加者の売買によって付いた価格について、バブル(=間違い)ということには意味がない。肝心なのは、バブルが破裂した後、いかに速やかに対応するかである」

グリーンスパンFRB議長は、本当にいいこと言うなって思います。ここで彼が言ったことを参考にすると、ITバブル破裂後日銀の最大の失敗とは、「破裂後に速やかに対応」しなければならないところを、そもそも「破裂の認識が遅過ぎた」ということだったのではないでしょうか。

今を生きる私たちからすると、すでに歴史となったITバブル破裂は、米ナスダック指数が2000年3月から2002年10月までに約7割も暴落したことがわかります。ただ、渦中にいた人たちからすると、バブル破裂も決してすぐには、むしろかなり長い間認識できなかったのでしょう。

すでに述べたように、日銀は1999年2月に行ったゼロ金利政策を、2000年8月に解除(=利上げ)しました。一部のメンバーからすると、1年以上待たされたゼロ金利解除ができた一因は、明らかに円高リスク後退があったでしょう。一時1米ドル=100円割れに迫った米ドル安・円高は、この2000年8月には110円程度まで米ドル高・円安に戻していました。

ようやく、1年も待ちぼうけをくらったゼロ金利解除という利上げができる。ただ、当たり前ですが、金融政策は為替で判断するものではありません。それ以上に、この2000年8月というタイミングは、今から思うと、2000年3月からITバブル破裂が始まって半年近く経っていました。上述の株バブル破裂パターンからすると、株暴落第二幕が始まるタイミングだったわけです。

そういった中で、日銀はゼロ金利解除の利上げに踏み切りました。結果を見る限り、すでに半年近く経っていた中でも、ITバブル破裂が始まっているといった認識がなかったのでしょう。まるで「運命に翻弄される」ような日銀。この政策の失敗は、その後の日銀を大変な目に遭わせることになってしまったのですが、それは次回以降で