日本は過去最多のメダル41個を獲得
熱い戦いが繰り広げられたリオデジャネイロ五輪は21日に閉幕しました。日本のメダル獲得数は41個となり、前回ロンドン五輪の38個を上回って過去最多となりました。金メダルも12個獲得し、目標の14個には届きませんでしたが3大会ぶりの2ケタとなり、1964年の東京(16個)、2004年のアテネ(16個)、1972年のミュンヘン(13個)に次ぐ過去4番目の記録となりました。
終盤からの大逆転、チーム一体となった勝利、そして選手たちが流したうれし涙と悔し涙……リオ五輪での日本人選手の姿は私たちを感動させると同時に、感動と元気と勇気を与えてくれました。
これは日本経済にとっても大いにプラスになるものです。直接的には、選手や競技に関連したグッズやスポーツ用品の消費が増加するなどの効果があります。しかしそれだけにとどまらず、多くの人が前向きな気持ちになったり、どんなに苦しくても最後まであきらめないで仕事に取り組んだりするなどの心理的な効果が生まれ、それが経済活動にプラスに働くのです。
メダル獲得数と景気の相関関係
実は過去の五輪でのメダル獲得数を見ると、意外なほどに景気の動きと相関関係があることが分かります。1964年の東京五輪が日本の高度経済成長の大きなステップとなったことは周知の通りですが、その後、高度経済成長が続いた1968年のメキシコと1972年のミュンヘンでも日本は金メダル2ケタ、合計で25個~29個のメダルを獲得しました。
その次のモントリオール大会が開かれた1976年は第1次石油危機(1973年~)によって高度成長が終わった時期に入っていましたが、それと符合するようにメダル獲得数はやや減少しました。やがて石油危機による不況から脱して景気が拡大していた1984年のロサンゼルスでは合計で32個のメダルを獲得し、当時としては過去最多記録を達成しました。このようにメダル獲得数がそのまま日本経済の浮沈に表れていたと言えます。
ところが1988年のソウルでは金メダルがわずか4個、合計で14個と急減します。このときはバブル経済の真っ只中でしたので、その相関関係はいったん崩れた感がありますが、90年代入るとバブルが崩壊、メダル獲得数でも不振が続きます。1992年バルセロナでは金3個、合計22個、1996年アトランタは金3個、合計でも14個にとどまりました。これは東京五輪以降では最低記録で、日本が戦後に五輪に復帰した1952年ヘルシンキ以来の低水準です。まさにバブル崩壊後の日本経済低迷を象徴するかのような結果となったのでした。
2000年のシドニーでも金5個、合計18個と、若干の復調は見せたものの引き続き低水準にとどまりました。2000年という年はITバブルに沸き、不況脱出に期待が高まった年でしたが、五輪が開催された9月ごろにはすでにITバブル崩壊が始まっており、その後に景気は急速に悪化していきました。
しかし2004年のアテネで日本勢は目覚ましい復活を遂げます。金は16個と、1964年東京の16個の最多記録に並び、合計では37個と最多記録を更新しました。体操・鉄棒の富田選手の着地に合わせた「栄光への架け橋だ!」という名実況は記憶に新しいところです。
その頃の日本経済は小泉内閣の構造改革によって長年の低迷からようやく脱しつつあった時期でした。五輪の影響もあって大型の液晶テレビがブームとなって消費が盛り上がっていきました。アテネ五輪の翌年、小泉首相は郵政民営化で信を問うとして衆議院を解散(いわゆる郵政解散)、総選挙で圧勝したのを機に株価が大幅上昇し景気回復に弾みがつきました。アテネ五輪での日本の復活はそうした時期の日本人の気持ちを明るくさせ、陰に陽に景気回復の効果を与えたと言っていいでしょう。
次の2008年北京でのメダル獲得数はアテネより減って25個となりましたが、それでも90年代から2000年に比べれば高水準でした。ただこのときは直後にリーマン・ショックが起きて不況に陥ったため、五輪効果は打ち消された格好となりました。
そして前回の2012年ロンドンでは38個のメダルを獲得し、最多記録を更新しました。当時の日本経済は日経平均株価が8,000円台、為替が1ドル=70円台の超円高が続くなど低迷の極に達し、加えてその前年には東日本大震災が起きていました。それだけに、このような時期に開催されたロンドン五輪で日本人選手大活躍したことが、どれだけ日本人の気持ちを明るくし自信を取り戻させてくれたことでしょうか。
このロンドン五輪から4カ月後の2012年12月に安倍内閣が発足し、アベノミクスによって景気回復が始まったわけです。この間の景気回復はアベノミクスという政策の力によるところが大きいことはもちろんですが、多くの日本人がロンドン五輪で勇気づけられ前向きな気持ちになれたことと重なった側面も無視できないと思います。
その翌年の2013年9月のIOC(国際オリンピック委員会)総会で、2020年の東京五輪開催が決定しましたが、実はこれもロンドン五輪での日本の好成績が間接的に貢献しています。もともと東京は五輪開催への国民の支持率がライバル都市に比べて低いことが弱点とされていたのですが、ロンドン五輪を通じて多くの人が感動したことで東京開催への支持が高まり、誘致合戦に勝利する一因となったと言えるのです。そして東京五輪が決まったこと自体が、経済効果への期待や訪日外国人増加も相まって景気にプラスに働いたのです。
このように過去の五輪と景気には想像以上に相関関係があるのです。1980年代以降の株価を見ても、日本のメダル獲得数が多かったロサンゼルス、アテネ、ロンドン大会の後は株価が上昇し、逆に日本が不振だったバルセロナ、アトランタ、シドニーの後は株価が下落しています。
選手たちの活躍は日本経済にもプラス
そして迎えた今回のリオ五輪。日本経済は景気が回復していると言っても今一つさえない状態が続く中で、ちょうど安倍内閣が28兆円の大型経済対策を打ち出し消費増税も延期して、これから再び景気を回復軌道に乗せようとしているところです。そのようなタイミングで、今回の日本選手たちの大活躍と感動的な姿は私たちを発奮させ、日本経済にもプラスの効果を与えてくれることは間違いないでしょう。
個別に見ても、今回の結果は日本経済の本格復活にとって多くのヒントを与えてくれています。たとえば、男子で全階級メダル獲得という快挙を成し遂げ、日本のお家芸復活を果たした柔道。報道によれば、前回ロンドンで不振に終わった反省を踏まえ、リオ五輪に向け現役ボディビルダーをコーチに迎えて体力・筋力づくりに力を入れたほか、ロシア発祥のサンボという格闘技を練習に取り入れたり、足技を磨くため畳の上でサッカーをさせたりしたそうです。有力選手を単身で海外への武者修行に派遣もしてきました。リオ五輪ではこのような取り組みの成果が出たということでしょう。
この柔道のたどった道は、ちょうど日本が得意のモノづくりで新興国の追い上げを受けて業績が悪化し、そこから復活を目指している日本企業の姿に似ています。柔道界が取り組んだように、日本企業も基本に立ち返って自らの強さをしっかり磨くと同時に他のよいところは取り入れる、グローバル化に対応する――こうしたことが大事だと教えてくれています。
もうダメかと思われた土壇場からの大逆転で獲得した金メダルが多かったことも今回の特徴でした。体操個人総合の内村選手、女子レスリングの伊調、登坂、土性の3選手、バドミントンの"高松ペア"などです。高松選手は16-19でリードされた最終場面で「レスリングの伊調選手など3人の逆転勝利が頭をよぎった。ここからでも勝てると思った」と語っていました。
まさに、どんなに苦境に立っても最後まであきらめないことが勝利を呼び込んだわけで、これは経済活動やビジネスにおいても当てはまるのではないでしょうか。逆にマイナス思考に陥ってしまうと勝てるものも勝てなくなります。日本経済は長年低迷が続いたため日本人はややマイナス思考になりがちですが、もっとプラス思考に切り替えていくことが経済復活の原動力につながるように思います。
個人的には自分が高校時代に卓球部だったこともあって、卓球の福原愛選手の涙に大いに感動したのですが、卓球女子と男子がともに団体でメダルを獲得したことはチーム力の素晴らしさを見せてくれました。陸上400メートルリレーの銀メダルという快挙も、まさにチーム力のたまものです。これも経済復活に不可欠の要素です。
これまでメダルに焦点を当てて書いてきましたが、メダルに手が届かなった競技や種目でも多くの選手が素晴らしい戦いを見せてくれました。それらのすべてが私たちに活力を与えてくれるものです。
さて4年後はいよいよ東京五輪です。東京五輪ではさらに多くの日本人選手の活躍とメダル獲得が期待されますが、2020年に向けての経済効果の拡大も見込まれるところです。それが日本経済の本格復活に結びつくことを期待しましょう。
執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)
1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。MXテレビ「東京マーケットワイド」に出演。