「結婚したい」。そう思い始めてから、もう何年たちますか? 出会いを求めて婚活したり、友達に誰かを紹介してもらったり……。何もないわけでもなかったし、努力もした。「結婚できるかも」というチャンスも一度や二度はあった。でも、できていない。

私は高校を卒業して以来、長年一人暮らしをしています。食事をとる時間も、休日の過ごし方も、よく言えば自由ですし、悪く言えば気まま、わがままです。日曜に昼過ぎまで寝ていて気がつけば「笑点」が始まっていても、誰も文句を言う人はいません。そんなとき、ふと思うのです。「こんな自分が、果たして結婚して、誰かと一緒に生活していけるんだろうか?」と。

誰も責めていないのに自分を責めてはダメ

周りの結婚している友人たちは、結婚してからいろいろと生活を変えています。子供が産まれ、忙しい夫と子供が触れ合う時間が少ないからと朝方の生活に変えて、駅まで子供と一緒に見送りに行くとか、夫のためにお弁当を作り、夜食もストックしておくとか、どこか一緒に出掛けたくても、夫が疲れているから休日は寝かせてあげてるとか……。

気づけば、自分が他人に献身的に何かをした記憶などはるか遠く、しかも「風邪ひいたときに看病した」程度しか思い出せないような状態。「相手を思いやる」とか「人に合わせる」とか、そういう概念はすっかり抜け落ちてルール無用のシングルライフを取り返しのつかないような年月を送っている。

こんな自分は、相手がいる、いない以前に「結婚生活ができる」ような女なのだろうかと夜中に自問自答していると、つい「私、少しでも相手に何かしてあげたいなんていう気持ちを持ったことあったっけ?」と、まるで自分の人間性に重大な欠陥があるのではないかという方面に思考が転がり、小さな雪玉が坂を転がるうちに大きな雪の塊になるかのような自己嫌悪が膨らんでゆくはめに……。

最終的には「私は、人を思いやるとかいう、人間として当たり前の感情が欠損しているから独身なのでは?」「独身なのは『人間失格』だからなのでは?」と、人としての根本的な自信すら失いそうになってしまいます。

今の社会で「結婚していない」ことを面と向かって責められる機会は、昔に比べたら減っていると思います。でも、誰が責めなくても、誰よりも自分自身がそのことを責めてしまう。そんな経験はないでしょうか。

私にも、そんな瞬間はあります。でももし、私の友達がそんなことを言い出したら、全力で否定するでしょう。「あなたは思いやりもあるし、人として何かおかしいなんてことない。ただ結婚してないだけで、そこまで自信をなくすなんて、おかしいよ!」と。

結婚していない間、独身の人間はただ無為に生きてきたわけではありません。寂しさや孤独と戦い、一人の生活をせめて快適にしようと努力したり、婚活や恋愛という、自分ひとりの努力だけではどうにもならないことに向き合ったり、してきたはずです。

独身だからといって、そのことで自分を責める悪循環にだけは陥らないでください。たとえ結婚相手がいなくとも、あなたが自分を責めることで悲しむ人は、周りに必ずいるのですから。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。

イラスト: 野出木彩