漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「褒められたいこと」だ。
褒められたい、だけに飽き足らず褒められたい部分まで指定してくるとは一体どういうことなのか、まずその部分が「褒められたことではない」と言われてしまう気がする。
しかし、確かに「褒める」という行為は難しい。
こちらが完全に褒め言葉と思って他人の新生児に対し「大物の顔をしている、末はラオウかDIO様か」と語呂的にもなかなか良いことを言っても、我が子には一生平和に暮らしてほしいと思っている人にとっては、不吉な予言でしかなく、そもそも女児だった場合愚弄と取られる可能性すらある。
よって性別不明の新生児に言及するときは、とりあえず女児と思って接するのが無難とされている。
ミスっても「かわいくて女の子かと思ったから」でゴリ押せるかららしい。
日本は突然ノーヒントで出題され、間違えると相手の機嫌が悪くなるという辻クイズとの遭遇率があまりにも高すぎる。
それだったら最初から「こいつはスニーカーを褒めるとご機嫌で帰っていきます、一見こだわりがありそうな『FBI』と書かれたキャップは罠です」とカンペを出してくれた方がありがたい。
私に会う人も、せっかく褒めたのに、その場で気持ちの悪い笑顔を返され、あとでTwitterに愚痴られるよりは「とりあえず守護霊を褒めておけ」という正解を知っておいた方が良いだろう。
実際「守護霊が良い」は汎用性のある褒め言葉である。
相手が喜ぶとかいう問題ではなく、自分に対し「厄介」というイメージを付与できるため、必要以上に人と関わりたくないときには有用である。
もはや初手で切られたいという場合は「狐が憑いている」なども有効だ。
私は褒められるのは好きだし、褒め言葉であれば何でもうれしいが「直接褒められるのは苦手」という厄介なところがある。
私の本業がエゴサーチャーで1秒に10回エゴサしているのも、自分の名前でエゴサして、褒められているつぶやきを発見するぐらいがちょうど良い褒められだからである。
直接褒められるのもうれしいが、つい反射的に「嘘をつくな!」と言いそうになるし「俺の本当の姿を見たら君はきっと離れてしまう」と、今すぐ離れたくなるようなことを言ってしまう恐れがある。
それに評価してもらえるのは良いが、過大評価や「誤解」されるのは困るのだ。
「あなたは素晴らしい人間ですね」と褒められても、素晴らしい人間ではないので、知らない老婆に「あなたミヨちゃんよね!」と詰め寄られるのと同じレベルで困る。
これは完全な誤解なため、何かの拍子に素晴らしい人間ではないと判明したとき、相手は「騙された」と感じてしまい「よくも騙しやがったな」という怒りに代わる可能性がある。
これは逆パターンもあるので、誰かに裏切られたと感じたときは、裏切りではなくこっちが相手を勝手に誤解した可能性も考えた方が良い。
しかし「そんなことないですよ」と誤解に対して訂正をいれているだけなのに、それを「謙遜」と取られ「いやいやご謙遜を」「いやいやいや」という気持ちの悪いラリーが始まってしまったりする。
やはり「本体」を褒めるというのは的外れになりやすく、相手にとっても負担になる場合がある。
そういう意味で、身に着けているものや守護霊など、本体以外を褒めるというやり方は間違いが少ない。
しかし、私のように身に着けているものすべてが5年前から全く変わっていない者にとってはよほど褒める部分がない、もしくは「こいつは万人のスニーカーを褒めている」と思われ、適当であることがバレてしまう。
また守護霊も相手の方が「ホンモノ」である可能性もあり、代々怨霊が憑いている人に対して守護霊を褒めたら「嫌味」と取られる可能性があるので、褒めるなら「憑いているものが強い」など、新生児を女児前提で褒めるように、どちらとも取れる言い方をした方が良い。
もうこの時点ですっかり面倒くさくなって褒める気自体失せていると思うが、やはり相手が何かしらクリエイティブな仕事についている場合は、作ったものを褒めるのが無難である。
姉が勝手に四季賞に応募した、などのジュノンボーイシステムでない限りはその分野に自信があるからその職についているはずだ。
それで金をもらっている以上は「あんなのクソです」などと謙遜する方がプロとして間違っている。
ただクリエイターというのはナイーブなので、謙遜ではなく本気で自分の作るものはクソで、一刻も早くこの世から消えた方が良いと思っている場合も多い。
その状態になっているクリエイターには何を言っても無駄である。
褒めれば褒めるほど、そして励ませば励ますほど落ち込むという確変状態になっているため、こっちが悪いことをしているような気分になってしまう。
こう考えると「褒める」という行為はリスクが高い。
これだけハイリスクな行為をして得られるリターンが「どうでも良い奴のうすら笑い」では割にあわなすぎる。
どこを褒めたら良いかより、まずは褒める価値のある人間なのか、どうかを見極めた方が良い。