漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「ホテル」である。

しかし、何せ今年はコロナがあったため、旅行どころではなかった。

そう言いたいところだが、現在、感染者数で言えば春より酷いままであるのに、中止になったとはいえGOTOの影響もあり、普通に旅行をしている人も多く、それを咎める人間は減ったように思う。

もしかしたら、みんなコロナそのものよりも、コロナに罹った場合や、コロナを蔓延させるとされる行動をとった時に受ける「人間の攻撃」の方を恐れていたのかもしれない。

結局「脅威」というものは、状況が生み出すものではなく状況に怯えた人間の心が作りだすものなのかもしれない。

ということを巧みに描き出したのが「映画デビルマン」である。

コロナを乗り切るヒントが隠されていると言っても過言な名作なのでぜひこの機会に見てほしい。

少なくとも、この悩み多き日々に2時間ほど「無」になれる時間を作れるというだけでも見る価値がある。

以上、全て映画デビルマンのプレゼンである。

私は自室神推し同担拒否過激派なので、状況に関わらず旅行などにはいかないのだが、何せ「室内」が好きなので、ホテルは嫌いではない。

よって旅行サイトで「高い順に表示する」を選び、心中前夜にしか泊まらなそうなホテルの部屋を行きはしないがたまに見たりする。

私のような部屋狂(ヘヤキョウ)でなくても、旅行は旅行そのものよりホテルを重視するという人は、特に女性に多いのではないだろうか。

中には部屋に入ってアメニティが充実しているのを見た瞬間、アヘ顔ダブルピースになる女もいるので男性の方はホテルを取る時参考にしていだたきたい。

間違ってもリンスインシャンプーや、ドライヤーが壁に埋め込まれているホテルを選んではいけない。

しかし、どれだけ基礎化粧品が2セット揃えられているいいホテルでも「どうせ部屋から出ないなら自室で良いではないか」という結論に達してしまう。

むしろ、旅行というのは、自室のすばらしさを再確認するために行くと言っても過言ではない。

つまり旅行というのは、俺と部屋とホテルのNTRプレイなのである。

「つまり」と言えば何でも説得力が出るわけではないという好例だが、ホテルというのは、最初は快適なのだが、長いこといるとやはり自室の便利さには適わないということが浮き彫りになってくる。

自室というのは文字通り自分が長くいる部屋なので、自ずと良く使うものが手を伸ばせば届く範囲に置かれるようになる。

置き過ぎて、たまに自分が存在するスペースがなくなったり、肘に何かが当たった瞬間全てが崩壊してしまうこともあるが、そのギリギリのバランスを保つのが「部屋職人」の腕の見せ所である。

その点、ホテルというのは、何かが足りなければ「部屋から出て調達しなければいけない」のだ。

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また「まず家から出なければホテルには行けない」という「出鼻をくじかれる」とはまさにこのことなデメリットが、大体どのホテルにも存在する。

これは「屋根がない」レベルで看過できない欠点なので、ホテルは概要欄に「自宅から出ないと入れません」と明記してほしい。

しかし、不便ということは「雑念が少ない」とも言える。

よって、原稿をやるためにホテルや旅館に籠るという作家もいるようだが、今はスマホ1台あるだけで、気を十分に散らすことが可能なため、自らカンヅメになるのはあまり効果がない気がする。

よって現在は専ら、編集者が作家の通信手段や人権などを奪って原稿を書かせる「軟禁」に使われているのではないかと思う。

しかし、どれだけ通信手段を奪い、Wi-Fiルーターを破壊し、ペイチャンネルのラインナップを古希以上の女優にしても、ホテルには「オフトゥン」というものがある。

むしろオフトゥンとの距離だけは自室よりもホテルの方が近い。

そして現実逃避の手段として、スマホもニンテンドースイッシも「ガバい(隠語)ばあちゃんとのアツい夏休み」も、オフトゥンには敵わない。

またスマホやゲームは割と短時間で現実に戻ってこれることもあるし、ペイチャンネルは30分使うことにより、逆にこれ以上ないほど「賢」な状態を与えてくれることもある。

しかしオフトゥンの場合は一度体を許したが最後、8時間ぐらいワープしていることがあり、文字通り雑念としての桁の違いを見せつけて来る。

つまり、ノーパソやタブレット、そしてスマホ持参な時点で「ホテルでカンヅメ」というのはそこまで効果がない。

本当にやる気があるなら、アイマスクにヘッドホン装備、腰につけた縄を編集者に引かれるという受刑者スタイルで、窓のないコンクリート打ちっぱなしの部屋に護送されていくぐらいではないと、もはやこの情報化社会で「カンヅメ」というのは成立しなくなっているのである。