漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
今回のテーマは「スケジュール管理」だ。
たまに「連載を複数抱えてどうやってスケジュール管理をされているのですか?」と言う質問を天井のシミから受けるのだが、答えは実に明快であり「管理できていない」だ。
私のスケジュール管理は、まず連載が何本あって月に締め切りが何個あるかを把握せず、心の安寧を得るところから始まる。
ただフリーランスとして、仕事の数が片手で足りるようになり、逆に指の数を物理的に減らすことを考えるようになっても困る。
やはり、仕事はあってもなくても地獄、人生というのは「カバディ! カバディ!」と叫びながら地獄から地獄への反復横飛びでしかない。
そんな私だが、小癪にも現在ライフプランをテーマにした漫画を連載しており「まずは何からはじめるべきでしょうか」というインタビューを壁のヒビから受けることもある。
そんな時は「まず現状を把握することです」と答えるようにしている。
それが一番無難で炎上しづらいからであり、匿名で良いなら「ソープへ行け」もしくは「ポンドを買え」と言うところだが、あながち間違いではない。
現在地がわからなければ、どこへ向かえばいいかわかるわけないし、良く見たら闇夜の東尋坊だったということもある、そういう時は動くことすら危険なのだ。
よって、とにかく「今の状況を把握すべし」と言うようにしているのだが、このアドバイスには例外がある。
それは「現状を把握したと同時に即死する場合」だ。
つまり、行き詰ったときに本当に大事なのは「現状把握」などという炎上避けワードではなく「心を守る」ことだ。
心が折れていたら、手も足も頭も動きようがないのである。
逆に心さえ折れていなければ、自分は使い物にならなくても、他の頭が働いている人間に頼るという発想がまだ生まれる。
よって、現実を見たら即死するとわかっている時は、現状把握はとりあえず置いておいて「1日を無事生き抜く」という、薬物依存症のようなスローガンを持ち、現実を見ても死なない体力をつけてから改めて状況を把握するといい。
そんなわけで、現実を見ても死なない体力がつかないまま10年経ってしまった上に、昔は締め切りを守ることだけが取り柄だったのだが、最近ではそれもおぼつかなくなっており、いよいよ「呼吸」以外の特技がなくなってきた。
とは言え「締め切りを覚えていながら間に合わない」ということはあまりない。覚えていさえすれば間に合わせるのだが、それを忘れるのである。
よって最近は、壁にホワイトボードを取りつけ、それに締め切りを書くようにしているのだが、締め切りを知った瞬間に書かないので「ホワイトボードに書き忘れる」ということもままある。
ちなみに今まで「手帳」というものを持ったことがない。
「手帳に書きこむ予定が皆無」という青春を送ったおかげで、手帳に予定を書くという概念がないのだ。
一度卓上カレンダーを置いて予定を書く、というのもやってみたが、どうやら「カレンダーをめくる」という概念もなかったようで、永遠に4月のままな上、机が汚いので数々の障害物によりカレンダーが完全に視界から消えてしまった。
結局不完全ながら「壁にホワイトボード」に落ち着いた、辛い時たまに話しかけてくれるし、やはり「壁」は裏切らない、ズッ友だ。
また、連載の場合、締め切りというのは毎回決まっているし、覚えやすい。
よってその決まった締め切りの隙間に残りの仕事をねじ込むという方法を取っているのだが、タイトなジーンズにも限界があるので、たまに戦うBODYという名の仕事がはみ出ていることもしばしばだ。
また、打ち合わせは電話でしない、というのもポイントだ。
リモートワークが導入されたことにより、ZOOMで女子社員とやたら繋がりたがるリモートセクハラおじさんが爆誕したり、未だにツイッターへのスクショ投稿で大活躍している痛いLINEのおじさんがいるように、使うツールによって、人に与える印象というのは変わってしまうのだ。
私の場合、リアルで会ってもそこそこヤバいが、電話で話すと本格的にヤバいらしく、電話の打ち合わせはするだけ無駄なのでしない。
別仕事の担当が交代したとき、新担当が「電話でごあいざつさせてください」と言うのを「辞退します」と断ったぐらいだ。
よって、仕事の打ち合わせは専らメールなのだが、メールには「やりとりが残る」というメリットがある。
締め切りを覚えていなくても、そういう仕事があったということを忘れていなければメールを遡って確認することができる。
電話だと、まずメモを取り忘れるし、取っても「読めない」という、リスクがすでに2つもある。
またメールだと、言った言わない、の揉め事を回避でき、担当を詰める時にも有用である。
ただし、同時に詰められる材料にもなる、そんな時は伝家の宝刀「メール見逃してました」の出番である。
自分が使うため、相手に使われると「絶対嘘だ」と思うが、自分も今後何度も使う言い訳なので、そこは詰めない。
つまり、何事も少しの遅れぐらいは目をつぶるのが、お互いのためということだ。