漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「家事分担」だ。

おそらく、夫婦など家族間のもめ事第1位は「金」である。

しかし、これはあまりにも絶対王者過ぎてもはやオッズは0.7、逆に掛け金が減るレベルなので殿堂入りという名の棄権をしてもらうなら、1位の本命は「家事分担」になるのではないだろうか。

子持ち家庭限定レースなら「育児」が差してくるかもしれないが、無差別級ならおそらく王者は家事である。

何故なら家事は基本的に面倒くさい、そしてやったところで、賃金など具体的な得が発生しない、よって出来ればやりたくない、誰かにやってほしいと思いがちなのだ。

だが、当然多くやらされている方はそれを不満に思う。それで文句を言って、改善されるなら良いが「こっちの方が仕事してるし稼いでいる」「家事なんて大したことはない」というお決まりのセリフが繰り出され、モラハラリンピック2020が無事開催されてしまうことも珍しくない。

よって、家事分担は非常に重要であり、できれば最初に決めておいた方が良い。「時間がある方」などという曖昧な決め方をすると、絶対「こっちは忙しいんだ」と言ってやらない側が出てくる。

さらに、忙しいはずのその手には、スマホかニンテンドースイッチが、縫い付けられているのかというレベルで握られているのでストレスは倍プッシュだ。

しかし、現代の家庭というのは両方フルタイムの共働きも珍しくないので、実際忙しかったりする。

よって、最近の家事分担レースは、どっちがするしないで競り合うより、潔くドーピングを入れた方が良いと言われている。

ドーピングとは、御存じ食洗機師匠やドラム式洗濯機パイセンたちのことである。

安価ではないが、購入者が後悔しているケースは稀であり「もっと早く打てば良かった」と時間の無駄を悔やむ声も多い。

導入にあたり「おふくろはそんなもの使わずにやっていた」という、モラハラリンピック恒例「それは反則」の物言いがつくこともあるが、むしろその言葉自体が、協会永久追放レベルの反則である。

おふくろがドラム式洗濯機を使ってなかったのは、なかったからである。

文明の力はズルいから使わないという方針なら、洗濯板を使っていないとおかしい。洗濯機を使っている時点で、おふくろだって、便利なものがあれば使う派なのだ。

便利なものがあれば家事は楽になり、極論外注してしまえばする必要さえなくなる。ただ、当然「金」という殿堂入りの問題があるので、全てそれで片づけるわけにもいかず、結局面倒臭さと戦いながらやっていくしかない。

昔であれば、男は仕事、女は家事という分担であった。これはこれで分担が出来ているから良いじゃないかと思うかもしれないが、そうでもない。

昔から、女は夫が死ぬと元気になり、男は妻が死ぬと老け込んで1年持たないという話を聞く。

これは男が精神的に弱く、女が男の死で完成される究極生命体だからという意味ではない。

女は家のことが出来るため、夫が死んでも、経済的なことがクリアできていれば、生活自体は「何も変わらない」のだ。むしろ世話をしなければならない人間が減ったことにより余力が出来る場合もある。「元気になった」というのはこのケースだ。

逆に、家事ができない男の方が残されると、今まで妻の世話で成り立っていた生活が一瞬で破綻するため、金があってもすぐ体を壊すなどして、1年持たないという現象が起きるのだ。

つまり男女差というわけではない。逆に妻が死んで元気になる、ババアみたいなジジイも今後増えるはずだ。

「仕事」はいつか終わるが「生活」はほぼ死ぬまで続く。よって、仕事と生活を役割分担して、仕事しか出来ない人間を作り出すのは老後極めて危険である。仕事担当の方が先に死ぬことを神に祈る他なくなってしまう。

仕事をしていようがしていまいが、最低限自分のことは自分で出来るようにさせておくのが本人のためでもある。

などと言っているが、まず私自身が、先に死ぬことを神に祈るしかない人間になりつつある。

家事をやらない人間というのは、最初からやる気がない人間、そして、最初はあったが、相手がやってくれるので、堕落してどんどんやらなくなっていくタイプの2種類がおり、私は後者だ。

パートナーが、己の死後ゴミ屋敷のヌシとなり、最終的に、腐乱死体で発見されないように、家事のやりすぎは注意である。時には放置して自分でやらせることも大事だ。

しかし、そういうタイプは「汚れ」に対し凄まじい耐性があるので、放置しても永遠にやらず、結局ゴミ屋敷化する可能性もある。

そういうタイプを1人残して、周りに迷惑を掛けさせぬよう、ぜひ健康に気をつけて長生きしていただきたい。