悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、けんかの絶えない両親に悩む人へのビジネス書です。

■今回のお悩み
「一番の悩みは両親ですかね。とにかく父が頑固で言う事を聞かない。母ももともと一言多く、他人を傷つける一言を常に放っているという事に気づかない。こんな二人だから、いつもけんかが絶えない」(52歳男性/IT関連技術職)」


ああ、これはちょっとわかるなぁ……。

話題が話題だけに、共感できることは喜ばしくないのかもしれません。でも、(夫婦仲こそ悪くなかったけれど)うちの両親もかなり口は悪かったので、多少なりともわかる部分があるのです。

とはいえ親に関しては、誰しもなんらかの悩みを抱えていたりもするものでもあるでしょう。僕も先日、同い年の友人から「母親が無自覚に人の悪口をいうので困っている」という話を聞き、みんな似たようなことで悩んでいるのかもしれないなとも感じたものです。

しかも、親がこれからさらに老いていき、認知症などの問題が加われば、さらに"困ったこと"は増えていくことになります。

とはいえ、嘆いても仕方ありません。少なくともそれが避けては通れないものである以上、いざというときのために備えをしておくことが大切なのではないでしょうか?

たとえば、今回ご紹介する3冊のような関連書籍に目を通しておくことも無駄ではないと思います。

老いて怒りっぽくなった親にどう接するか

老いた親が「怒りっぽくなった」「意地悪になった」というようなケースがありますが、それは加齢に伴って脳が萎縮し、感情にブレーキがかかりにくくなることが原因。

『老いた親へのイラッとする気持ちがスーッと消える本』(榎本 睦郎 著、永岡書店)の著者は、そう指摘しています。

  • 『老いた親へのイラッとする気持ちがスーッと消える本』(榎本 睦郎 著、永岡書店)

前頭葉は創造する、感情をコントロールするなどの働きがあるので、萎縮すると感情にブレーキがかかりにくくなります。つまり、がまんすることができなくなってしまうのです。(29ページより)

だとすれば、意味不明なタイミングで突然キレたり、怒ったりしたとしても、そんなご老人を説得するのはまず不可能だということになります。

では、どうしたらいいのでしょうか?

著者はこの問いに対し、決して同じ土俵に立たないことが大切だと答えています。「ああ、老化で脳が萎縮しているんだな」と"悟りの境地"で接し、「歳をとるとああなるんだな。次は自分の番かもしれないな」と、自分自身への戒めにすべきだと。

家族の場合はつい真正面からぶつかってしまいがちなので、とくにそれが大切。脳が萎縮すると喧嘩した内容は忘れても、ネガティブな感情のしこりだけは残ってしまうため、それが次の火種になって悪循環になりかねないわけです。

× NG
「何、キレてるのよ!」
「年寄りは横柄なんだから」
「……」(無視)

◯ GOOD
「本当に嫌なことだったんだね」
「お茶でも飲んで、ひと休みしようよ」
「何か手伝うこと、あるかな?」
(31ページより)

突然キレたりするのは、老化現象のせい。いままでできていたことができなくなった苛立ちが、怒りとなって爆発するということです。そのため、悟りの境地でやさしく接することが大切だという考え方。

つまり、寄り添うことが大切なのでしょう。だとすれば、その方法は怒り以外のさまざまなことにも応用できそうですね。

気難しくなったのは性格が変わったわけではない?

ただ、お父様のように頑固である場合は、さらに対応が難しそうでもあります。頑固な人は無愛想であることが少なくなく、真剣に話を聞こうとすると、かえって口を閉ざしたりするものだからです。

ましてや高齢になれば、より無口で気難しくなることも少なくありません。

しかし『老人の取扱説明書』(平松 類 著、SB新書)の著者によれば、その原因は性格が変わったことではないのだとか。

  • 『老人の取扱説明書』(平松 類 著、SB新書)

性格の問題ではなく、実際に声を出すのが得意ではなくなったり、話していると疲れてしまったりすることによるというのです。

しかも、ずっとそんな調子だと、やがて声を出すのも億劫になり、ますます口数が減っていきがちです。

すると「気難しい」と思われてしまうので、周囲もあまり話しかけなくなることになります。その結果、さらに孤立してしまい、本当に気難しくなるという結果にもなってしまうということなのです。

声を出すと疲れてしまうというのは、なかなか気づきにくい点かもしれません。でも高齢者は、なぜ声を出すと疲れてしまうのでしょうか?

著者によれば、理由は2つあるようです。

一つは、声を出す声帯が衰えてくること。体の筋肉が衰えてくるように、声帯も衰えるのです。これで、声がうまく出なくなります。
二つ目には、声を出すための体の筋肉が衰えてしまうこと。声を出すというと喉の筋肉かと思われがちですが、そうではありません。「腹から声を出す」とよくいいますが、胸やお腹の筋肉を使って息を吐き出して人間は声を出しているのです。だから歌手やミュージカルなど舞台に出演する人は、体を鍛える必要性もあるのです。(86ページより)

また声の衰えは、男性のほうが起こりやすいようです。年齢の上昇に伴う声帯の萎縮が、男性は67%、女性は26%起こるといわれているそうなので、男性のほうが女性の2倍以上も声が出しにくくなるということになります。

それに、そもそも使わなくなれば衰えても当然です。

定年退職すれば話す相手がいなくなりますから、声を出さなくなって衰えることになります。するとさらに声が出しにくくなり、口数が少なくなっていくというわけです。

もちろん、無口で無愛想な人のすべてがこのパターンにあてはまるわけではないでしょう。とはいえ、こういったこともありうるという知識を持っておくだけでも、頑固なご老人とのつき合い方を改善できるかもしれません。

次に進みましょう。

どうすればよい親子関係を築けるか考える

親の介護が必要になるころには、子どものほうも多かれ少なかれ自分でも老いを意識し始めているはず。そのため、親が老いをどう受け止めているかを理解することは、それほど難しくないと考えることも可能。

しかし、もし自分自身の老いを肯定的に見ることができないのであれば、親がいろいろなことをできなくなって介護を必要とするようになったとき、その事実を受け入れることが難しくなるーー。

こう主張するのは、『老いた親を愛せますか? それでも介護はやってくる』(岸見 一郎 著、幻冬舎)の著者。哲学が専門で、プラトンの翻訳をするなど研究を続けているという人物です。

  • 『老いた親を愛せますか? それでも介護はやってくる』(岸見 一郎 著、幻冬舎)

親は歳を重ね、少しずつ老いていきます。そして、ついには過去のことを忘れてしまう親を子どもは見捨てるわけにはいきません。親の現実を認めるのは子どもにとってはつらいことですが、その現実を受け入れられなければ、親とかかわることはできません。
親が子どもである自分のことを誰かわからなくなるということも起こりえます。子どもの頃から親との関係がよくなかった人はもとより、かつては親に愛された人でも、もはや老いた親から愛されなくなった時にどうすればいいのかを、親が若く元気なうちから考えておかなければなりません。
私の母は三十年以上も前に、脳梗塞により四十九歳で父と子どもを残して足早にこの世を去って行きました。父はその後も長生きしましたが、晩年アルツハイマー型の認知症を患って亡くなりました。(「はじめに」より)

つまり本書では実際の看病体験、介護体験を軸として、「どうすればよい親子関係を築けるか」「看病、介護をする際にどんなことを心がけるべきか」さらには親の看病や介護を通じて学んだことをもとに、「この人生をどう生きていけばいいか」について考えているのです。

たとえば著者は、認知症などで老いた親が「自分に価値がある」と思えるように援助することが大切だと説いています。

行動について「ありがとう」「助かった」といってもいいのですが、もはや身体の自由も利かず、物忘れの激しい親に対しても、親が生きているということがいかに家族に貢献しているかということを言葉で伝えることができます。(44ページより)

そうすれば、親は自分に貢献感を持てるようになるということ。たしかにこうした小さな配慮も、親との良好な関係を保つためには欠かせないのでしょう。