全国各地で勃発する嫁姑問題。Twitterでは3人の男の子を子育て中の秋山さんの義母ツイートが話題を呼んでいる。「孫の誕生日プレゼントは水ようかんの空き容器」「手土産にお菓子よりも現金を要求する」......そんな衝撃的な義母との終わらない戦いに挑む秋山さん。今回は義実家に泊まれない話(前編)をお届けしよう。

  • 高級住宅街で地下室のある素敵な義実家でのトラウマとは

    高級住宅街で地下室のある素敵な義実家でのトラウマとは

義母ご自慢のお家

私は義実家に泊まれない。遠い昔に、一度だけ一泊したことがあるのだが、それがトラウマになり、あれ以来どうしてもあの家で一晩越すことができない。 義実家はすごい。高級住宅街の、駅から5分もかからない場所に建っている。家自体はこじんまりとしているのだが、とにかく立地が良いので値段も相当だったらしい。

「この家はね、億で買ったの」

年に一度は聞かされるお気に入りの自慢話の一つで、当初は「すごいですね!」と大げさに驚いてみせていた私も、6年目くらいからはさすがに飽きてきて「ほわー」などと怒られないギリギリの線で、わけの分からない声を出すようになってしまった。

「地下室もあるのよ」

二十歳で初めて顔を合わせた時に、お義母さんはそう言った。田舎から出てきた私にとって『地下室』は金持ちがオプションでつけるものだというイメージがあった。最寄り駅の利便性だけでもビックリするのにさらに地下室までついているとは、都会の人はなんてハイカラなんだと感心しきりだった。

トラウマになった義実家訪問

実際に訪問したのは結婚後だった。初めて見る義実家は私の想像する半分くらいの大きさだったが、当時駅から15分歩いた物件に住んでいた私はあまりの近さに感動した。

ただ、少しの違和感を覚えた。最初にそう思ったのは、門の前で立ち止まった時に目に入った出窓だった。なぜか窓の下半分が段ボールで覆われ、隙間からはたくさんの本とぬいぐるみが積まれているのが見えた。私の本能がヤバいと訴えた。いやしかし、入る前からあれこれ想像するのも失礼だろと思いなおしたのだが、大体こういう時の予感は当たるものだ。

インターホンを押し、玄関のドアを開けた私の目に飛び込んできたのは、足の踏み場もないほどの数の靴だった。スニーカー、パンプス、サンダル、長靴、ブーツ……とにかく季節も用途もお構いなしに並んでいて、隣に設置されたシューズクローゼットは、すでに先住の靴たちがクタクタの姿で詰め込まれて息絶えていた。目の前にある階段の手すりにも靴の空き箱が置かれ、実際にこの量を履きこなすなら40人以上は住んでいないと足が足りない計算だ。

「ちょっと散らかっているけど、どうぞ」

出迎えてくれたお義父さんもお義母さんも、この光景に何の言い訳もしなかった。2人にとってはこれが普通で当たり前のことなのだ。

リビングの壁は一面書棚になっていた。私が生涯で一度も手に取ることのないような難しいタイトルのハードカバーや洋書がびっしりと並んでいる。部屋全体が古書店のような匂いがするのだが、それがお義父さんとお義母さんの香水の匂いと混ざって大変なことになっていた。書棚に納まりきらない本は床に積まれ、先ほど外から見えた出窓に積まれている。その周囲には場違いな色使いの、ファンシーな動物のぬいぐるみが何個か乗っていた。

恐ろしいのは、その本のほとんどを「捨てる人がいたので譲り受けただけでほとんど読めていない」と言ったことで、じゃあこのぬいぐるみも貰ったのかと尋ねると、それはお義父さんがこの前ゲームセンターで取ってきたのだという。

「どう?」と聞かれたが「地震が来たら死ぬぞ」とは言えなかった。リビングにはテレビがなかった。正確にはお風呂で使うような小さなポータブルテレビが、食器棚の近くに置いてあるのみで、なぜかその正面には大きい鏡が置いてある。食事の時、そのテレビに背を向ける形で座るお義父さんが「一人だけテレビを見られないのは不公平だ」と言って設置したらしい。

「こうすれば鏡文字になるがテレビが見られるんだ!」

お義父さんはとても自慢気だった。そんなにテレビが好きなのになぜこのサイズなのか、見えているのか、座る位置を工夫すれば真正面からテレビを見られるのではないか、本を処分してテレビを設置するスペースを作ったらいいのではないか―――私は他人の生活にあれこれ口出しできるような人間ではないのだが、ここに来てなぜかアドバイスが止まらなくなった。

憧れの地下室の正体

「秋山ちゃん、こっちにいらっしゃい。地下室を見せてあげるわ」

お義母さんが手招きした。私は今日という日がくるまで、義実家の地下室に夢を見ていた。ワインセラーがあるのではないか、もしかしたら大きなコーナーソファーを設置したシアタールームになっているのかもしれない……。

しかしこうして現実を知った今の私にそんなワクワク感などない。リビングを通り抜け地下室の扉の前まで誘導された時も(きっと本がまた積まれているんだろう)と思っていた。しかし実際は違った。扉を開けると、目の前に段ボールが置かれていたのだ。地下へ続く階段を照らすはずの電球が切れているため、ドアを開けても目の前とその奥に段ボールがあることしか分からない。地下に行けないことは分かった。

「ここね、引っ越してきたときに少し使っただけで、今はすっかり物置なの」 とにかく物を捨てられないお義母さん一行は、こうして買ったり貰ったりした物を日付を記入した段ボールに入れ、地下室に保管しているという。そして数十年の時を経て、ついに階段付近まで物が溢れてきているというわけだ。

「見せても意味ないかと思ったけど、地下室があることは知っておいてもらいたくてね」

これは色々あって家を整理する時は業者を呼べということだな……と理解して私は頷いた。帰ってから夫にも聞いたが、気づいた時にはもう物置で全貌は分からないという。

リビングで見つけた謎の畳

リビングに戻るともう一つ気になるものがあった。琉球畳だ。縁のない正方形が特徴で、その可愛らしい畳が、なぜか半畳(1枚)だけ雑多なリビングの隅に置いてある。

「これどうしたんですか?」

単品で使うものではないので、てっきりどこかから拾ってきたのかと思ったが違った。

「あなた達に子どもが生まれたら、ここで赤ん坊のおしめを変えたり着替えができるように買ったのよ」

どういう人生を送ってきたら息子が「結婚しようと思う」と言ってきた直後に「よーしじゃあ琉球畳を1枚買っておくか」となるのか。ありがとうございますと言ったが、一体何に感謝したのか自分でも分からない。

そこから1年半後に長男が生まれたのだが、1度だけ使わせてもらってからは、私の記憶の中であの琉球畳は登場していない。本に埋もれてしまったのか、それとも例の地下室に送られてしまったのか、もう分からない。

後編へ続く......