上司「来月から営業部に異動です」
Aさん「えっ、今の製品開発部でもっと専門スキルを伸ばしたかったのに……」

従業員約2,000人の機械メーカーに勤務する入社8年目のAさんは、製品開発部で特定製品の設計を担当し、ようやく主担当として新製品に関われるようになったところ。ところが、年度替わりを前に上司から異動を告げられます。

辞令を受け取った社員の戸惑いは、決して珍しいものではありません。会社にとっては配置転換の一つでも、本人にとっては、仕事内容も人間関係も、時には働く場所まで一変する大きな出来事です。

最近は、異動をめぐって「配属ガチャ」という言葉を耳にします。どの部署に配属されるか、誰が上司になりどんなメンバーに恵まれるかは運次第。そんな不安や不満を表す言葉です。

もちろん、会社組織においてすべての異動を本人の希望どおりにするのは難しいでしょう。事業上の必要から、経験のない部署へ異動してもらうこともあります。ここでいう「配属ガチャ」における問題は、異動先を決めた時点で人事の仕事が終わったかのように扱ってしまうことといえます。

私が労務相談を受ける中でも、人間関係のトラブルや急な退職などは、異動を契機に起こることも多い印象です。異動した社員が力を発揮できるかどうかは、配属先での「受け入れ方」に大きく左右されると考えられます。

異動後につまずく職場に共通する「受け入れ不全」

上述したように、異動後の社員が思うように動けないという話は少なくありません。冒頭のAさんもその一人です。異動の際、上司からは「製品を深く理解しているAさんなら、その知識を営業でも生かせるはずだ」と伝えられました。

しかし、営業部では担当顧客や引き継ぎ事項の説明が十分でないまま、「まずは顧客を訪問して、関係を築いていこう」と大した準備もしないまま現場に出されます。製品については詳しくても、商談の進め方や見積もりの判断基準は分かりません。何をどこまで求められているのか分からず、「経験者」と認識されている中で周りに質問するのも気が引ける。「私はここでは浮いている。合っていないのかも」と感じ始めたのです。

一方、受け入れた上司はこう言います。

「経験者として来てもらったので、雰囲気はわかっていそうだった。細かく教えなくても大丈夫だと思っていた」

このすれ違いこそが、受け入れ不全の典型だといえます。

異動先で起きるのは、単なる仕事の引き継ぎ不足ではありません。役割や期待が曖昧なまま、相談相手も決まっていない。前任者の業務をそのまま渡される一方で、本人が持っていた知識や経験をどう生かすかも話し合われない。こうした状態では、本人は「新しい仕事を覚える」ことと「職場に受け入れられる」ことを同時に一人で背負わされます。

令和8年7月31日に厚生労働省の令和7年度「能力開発基本調査」が公表されました。調査結果では、能力開発や人材育成に何らかの問題があるとする事業所は80.1%でした。また、正社員に計画的なOJTを実施した事業所は64.1%です。異動は人を育てる機会と説明されることがありますが、配置しただけで育成が始まるわけではありません。育成を現場任せにしていないか、立ち止まって考える必要があります。

なお、この調査は異動者だけを対象にしたものではなく、異動と育成の因果関係を示す数字でもありません。それでも、育成に課題を感じる事業所が多く、計画的OJTもすべての職場で実施されているわけではないという事実は、異動後の支援を現場の善意だけに委ねることの難しさを示しているものと考えられます。

配属ガチャで終わらせない会社は、何を設計しているのか

受け入れ設計とは、異動者が新しい職場で力を発揮できるような仕組みをつくることです。異動者が自分の役割を理解し、必要な支援を受けながら仕事を覚え、これまでの経験を生かせるように準備します。特別な制度を一から作る必要はありません。まずは、異動前後に生じやすい「何を期待されているのか」「何から覚えればよいのか」「誰に相談すればよいのか」という空白をなくすことです。

人事は異動を決めたら、本人に辞令を渡すだけでなく、異動の目的と期待する役割を本人と受け入れ上司に伝えます。「なぜこの人を異動させるのか」「半年後に何ができていればよいのか」が共有されていなければ、上司は目の前の人手不足を埋めるために、本人は前任者の仕事をこなすために、それぞれ動いてしまいます。

次に、受け入れ上司は、最初の面談で本人の経験や不安を聞きます。「前の部署では何をしていたの?」「今回の異動について、どんな説明を受けた?」「今、心配なことはある?」。こうした問いは、本人を評価するためではなく、会社が伝えた期待と本人の理解にずれがないか確認するためのものです。

そして、最初の数か月に何を覚えるか、誰に相談するか、どの時点で振り返るかを決めます。すぐ成果を求める業務と、習熟を待つ業務を分け、指導担当者の業務量にも目を配る。受け入れ担当を決めても、その人に仕事を丸投げすれば、今度は指導する側が疲弊します。

異動を成長機会に変える上司・人事の関わり方

受け入れ上司に必要なのは、現場でよくある「困ったら聞いて」で済ませないことです。新しい職場では、何が分からないのかさえ本人には分からないことがあります。

私自身、部下との面談を重ねる中で、自分から意見を言いにくい人もいると感じてきました。こちらから尋ねて初めて、困っていることや迷っていることが分かることもあります。「面談の機会をつくっておいてよかった」と思う場面は少なくありません。

たとえば、上司が「仕事は順調?」と聞くと、部下は「大丈夫です」と答えるかもしれません。そこで、もう少し具体的に尋ねます。

上司「今週、仕事で迷ったことはあった?」
部下「実は、この件を誰に確認すればよいのか分からなくて……」
上司「そうだったんだ。次からは、まず〇〇さんに聞いてみよう。来週また様子を聞かせて」

最初のうちは、週に一度でも短い面談を設け、仕事の進み具合だけでなく、相談のしやすさや周囲との関係も確認しましょう。きちんと機会をつくり、表情を見ながら話すことで分かることがあります。

また、異動者に「前の部署のやり方を持ち込まないで」と伝えるのではなく、「前の部署でうまくいっていた方法があれば、ぜひ教えてください」と尋ねてみてください。異動は、本人が新しい仕事を覚えるだけでなく、受け入れる職場が別の視点を得る機会でもあります。

人事も辞令を出した後は現場に任せきりにせず、本人と上司の双方から状況を確認します。本人の適応だけでなく、上司が受け入れに必要な時間を確保できているか、業務量に無理がないかも見てください。問題があれば、本人の努力不足と決めつけず、役割や支援の仕組みを見直すことが大切です。

会社が今すぐ見直すべき、異動成功のチェックポイント

異動のたびに、次の点を確認してみてください。

・異動の目的と、本人に期待する役割を説明しているか
・異動前に本人の経験や希望、不安を聞いているか
・受け入れ上司、相談相手、引き継ぎ担当者が決まっているか
・最初の1〜3か月で覚える仕事と、到達目標が明確か
・受け入れ側に指導や面談の時間を確保しているか
・異動後に本人と上司の双方から振り返りを行っているか

もちろん、受け入れ設計をすれば、どんな異動も成功するわけではありません。本人の希望と会社の必要が一致しないこともあります。それでも目的を説明し、学ぶための時間と相談先を用意すれば、納得感のないまま孤立する事態は防ぎやすくなります。

異動は、会社が人を動かす手続きであると同時に、社員のキャリアを左右する出来事です。だからこそ「辞令を出した。あとは現場で何とかして」では、成長の機会が「配属ガチャ」で終わってしまいます。

「この人に来てもらえて助かった」 「新しい仕事を通じて、自分の強みが広がった」

異動をそんな経験に変えられるかどうかは、本人の適応力だけで決まるものではありません。会社が受け入れを設計し、現場任せにしないことが重要です。このような取り組みが、社員を成長させる職場と意欲を失わせてしまう職場の違いをつくるのです。