
昨年10月に「FAREWELL JAPAN The "Goodbye" Tour」と題してグランキューブ大阪、日本武道館でのワンマン公演を大成功させたナイト・レンジャー(Night Ranger)。その時ジャック・ブレイズ(Vo, Ba)が「完全に最後とは言っていない、俺たちを呼んでくれ!」という旨のMCをしていた通り、みずほPayPayドーム福岡で8月29日(土)に開催されるフェス「THE GREATEST ROCK FUKUOKA」に、同じサンフランシスコ出身のジャーニーと共に出演する。
来日目前のジャック・ブレイズをキャッチし、オンライン取材を敢行! 同フェスに出演することになった経緯や気になるセットリストについてはもちろん、ナイト・レンジャーというグループが生まれるまでの歴史や、”ソングライターとしてのジャック”についても質問をぶつけてみた。72歳になった今もステージ狭しと駆け回って全力のパフォーマンスを見せてくれるジャック、福岡でもベテランの底力を存分に見せつけてくれるはずだ。
ジャーニー、ラウドネス、Bz松本孝弘との友情
―最近Xの投稿で、あなたがBzの松本孝弘さん、元ガンズ・アンド・ローゼズのマット・ソーラムとスタジオ入りしたことを知りました。
ジャック:ああ、TMGだよ! 楽しいレコーディングだった。2年前に『TMG II』をロサンゼルスで録音した時、Takから「適任のドラマーがいないかな?」と聞かれ、親友のマット・ソーラムを紹介したんだ。『TMG II』は最高のアルバムだった。そして、再び集まったんだ。今はレコーディングの最後の仕上げと、10月の日本ツアーに向けて準備をしてるところさ。
We just finished tracking the @tmgofficial2026 III record with my good pal @mattsorum and the great Tak Matsumoto. So much fun!
Next my bay area buddy @EricMartinBand will be putting on his killer vocals!pic.twitter.com/arS6e4Wk3n — Jack Blades (@JackBlades) July 31, 2026
―今回のフェスではLOUDNESSとも共演しますね。彼らのことは世界進出を果たした80年代から知っていると思います。
ジャック:Akira(高崎晃)は素晴らしいギタリストだ。お互いよく知っているよ。ついこの間も「MONSTERS OF ROCK CRUISE」で一緒になったばかりさ。LOUDNESSは本当にいいバンドだ。Akiraとは何年も前からのつき合いで、僕らが大阪でライブをやると、必ず観に来てくれていた。そんな彼らと同じステージでやれるのは楽しみだね!
―そして同じサンフランシスコの先輩、ジャーニーとも大昔からのつき合いだと思います。彼らの作品からインスパイアされた部分は何かありますか?
ジャック:僕らがバンドをスタートさせた頃、ジャーニーはすでにビッグだった。ベイエリア、サンフランシスコじゃ、ジャーニーがナンバーワン、「イチバン」だった。ヒット曲をいっぱい出してた頃さ。
ニール・ショーンとは、僕がルビコン(Rubicon)というバンドにいた1979年頃に知り合い、その後もずっと友情が続いているよ。ニールとジョナサン・ケインと僕の3人で、ジャーニーのアルバム用に曲を書いたことがある(2000年の『Arrival』で「World Gone Wild」や「I Got A Reason」を共作)。ケリー・ケイギーが心臓の問題でナイト・レンジャーを離れた時には、ディーン・カストロノヴォにドラムを叩いてもらった時期もあった。というように、同じベイエリア出身の家族のような存在なんだ。
今回のフェスでは、そのジャーニーと一緒にやれることが何よりも楽しみだ。彼らも今のツアーを”フェアウェル・ツアー”と銘打っているよね。ナイト・レンジャーがジャーニーのフェアウェル・ツアーで少なくとも1曲は一緒にやる……それが筋ってものだと思う。だからそれをやることにしたんだよ。
―昨年の武道館公演は、普段のライブでやらない曲も聴けて、お客さんの盛り上がりがすごかったですね。福岡ではどんなセットリストが期待できそう?
ジャック:ナイト・レンジャーのセットリストはいつも変わるのが常だ。実際にステージで演奏しながら考えることもあるくらいでさ。1曲演奏し終えたら、皆を見回して、僕が曲名を挙げる。フットボールの試合でクォーターバックが直前でプレーを変更するみたいに「次はこれ、この曲で行く!」とね。その場の空気を見ながら変えるのさ。そうやって自分たちにとっても、観客にとっても「次はなんだろう?」とワクワクするものになるんだと思う。
当日はそんな感じでやるよ。それに何より、福岡でライブをやるのはほぼ30年ぶりくらいなんだ。だから僕たちにとってもすごく大切なライブになるだろう。去年のフェアウェル・ツアーで東京や大阪に来られなかったファンのみんなには、ナイト・レンジャーとジャーニーを一緒に見られるチャンスだから、ぜひ来てほしい! きっといい意味でサプライズいっぱいの、楽しいライブになると思う。
昨年の武道館公演にて撮影(Photo by Masanori Doi)
お手本にしたのは「あのバンド」だった
―さて、ここからはあなたのルーツについても聞かせてください。ビートルズの熱烈なファンだったことは有名ですが、あなたがまだ10代の頃、1966年に組んだThe Nomadsも、ビートルズタイプのバンドでしたか?
ジャック:おいおい、どうしてThe Nomadsを知ってるんだ?(苦笑)
―あなたのことならなんでも知ってますよ。
ジャック:たまげたな! それって11〜12歳くらいの、中学生の時のバンドだぜ。信じられない! 余談だが、8〜9歳で兄貴と組んだバンドは、JBsといったんだ。Junior Beatlesの略さ。ビートルズのウィッグをかぶって、ビートルズ・ナンバーを演奏してた(笑)。1965年の話だ。
The Nomadsはビートルズに影響されたというよりも、当時流行ってたトミー・ジェイムス&ザ・ションデルズ(「I Think We're Alone Now」を口ずさむ)やストロベリー・アラーム・クロック(「Incense And Peppermints」を口ずさむ)なんかの方さ。ビートルズももちろん好きだけど、60年代半ばから後半にかけて僕が好んで聴いてたのは、もっとポップなモンキーズとか、カウシルズとかだった。
でもうちの兄貴がジミ・ヘンドリックスやドアーズを聴いてて、「これを聴いてみろ」とレコードを持ってくるんだ。僕が”Hey hey, we're The Monkees〜”♪(「(Theme From) The Monkees」)とか聴いてる隣で、兄の「Purple Haze」が流れてくるという、今思えばすごい時代だった。
―あなたがベースを弾き始めたきっかけもポール・マッカートニー? それとも別のきっかけがあったんですか?
ジャック:何だったと思う? ポール・マッカートニーがベースを弾き始めたのと同じ理由だよ。最初はリズムギターを弾いていた。でも周りもみんなリズムギターを弾いてて、ベースを弾くやつは誰もいなかった。それでベーシストに転身したんだ。ギターアンプと引き換えに、ベースとベースアンプを両親に買ってもらってね。
ポール・マッカートニーもスチュ・サトクリフが亡くなったあと、誰もベースをやると申し出る者がいなかったから、「いいよ、やるよ」とギターからベースにコンバートし、ビートルズのベーシストになったわけだ。僕も全く同じ。別にポールがそうしたからというわけではないけれど、結果的には同じ理由だった。
そして当然、ポール・マッカートニーからは大きな影響を受けている。特に彼のベースプレイからね。同時に、ジャック・ブルース……クリームの『Disraeli Gears』とか……からも影響を受けた。ベースプレイという意味では、ジャック・ブルースからかなり影響を受けたと思う。シンガーでありベース奏者だったってことも含めてね。
もう少し後になってからは、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシストだったラリー・グラハムや、ジャコ・パストリアスも聴いた。素晴らしいベース奏者は大勢いる。そういったすべてを吸収し、僕という人間が形作られたんだと思う。

Photo by Masanori Doi
―リンゴ・スターと共演する夢が叶った時はどうでしたか?
ジャック:あの時は「今死んでも天国に行ける」と思ったさ。「もう一生何もしなくてもいい。これでやるべきことはやった。もうこれで満足だ。みんなさよなら!」
―(笑)
ジャック:マジでそう思えるくらいだった。信じられなかったよ。ロンドンのリハーサルで、リンゴが来る前、僕とジョー・ウォルシュら何人かで「Ticket To Ride」を合わせていたんだ。もちろんまだドラムはいない。僕はベースを弾きながらいい気持ちで歌ってた。”I think I'm gonna be sad〜”♪……すると、突然背後で「バン!」ってドラムが聴こえるので肩越しに振り返ったら、リンゴ・スターが叩いてるんだよ。僕らの演奏を聴いて、いつの間にかドラムの前に座ってたんだ。今、その話をしながらも……ほら見て、鳥肌が立ってきた(笑)。「Ticket To Ride」を歌う僕の後ろで、リンゴがドラムを叩いてるなんて、信じられるかい?!
―わかります。あるミュージシャンがリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドで来日した時、楽屋へ挨拶に行ったら、突然廊下に飛び出してきたリンゴがスティーヴ・ルカサーを捕まえてずっと冗談を言ってて、イメージ通りの楽しい人なんだな〜と感激しました。
ジャック:ああ、リンゴは一旦知り合った相手には「もうお前は知らない”どこかの誰か”じゃない。もうファンじゃない。このグループの一員だ。俺のバンドの仲間だ」と言ってくれる人なんだ。いろんな話をしてくれるし、面白くて、ドライな笑いのセンスがある。あれは人生が変わるような体験だったよ。

Photo by Masanori Doi
―さて、60年代の終わり頃になると、レッド・ツェッペリンなど新しいハードロックとの出会いが大きな転機になったと思います。その頃はどんなバンドに影響されました?
ジャック:レッド・ツェッペリンやディープ・パープルといったブリティッシュ・ロック、そしてブラック・サバスのようなブリティッシュ・メタルにどっぷりハマった。ものすごく影響を受けたよ。自分の演奏もそちらに寄っていったし、書く曲にも影響は表れた。
もう一つ、正直に話すよ。ナイト・レンジャーは大のシン・リジィ・ファンだった。シン・リジィはギター2本で、ひとりがハーモニーを重ねる。そして歌うベーシストがいた。言いたい意味、わかるだろ? 唯一、彼らになくて僕らにあったのは、キーボード。1980年にナイト・レンジャーを結成した時、僕らが参考にしたのはシン・リジィだった……というのが真相さ。
―なるほど! あなたはソングライターとして多彩な作風を持っていますが、もしかしてそれはデビュー前にトップ40のカバーバンドをやっていた時期の経験が活きているんでしょうか。
ジャック:とてもいい質問だ。確かに、僕はいろんなタイプの音楽を聴いてきたし、いろんなタイプの音楽を演奏することを学んだ。ブリティッシュ・メタルにハマった後にはパームデザートからサンフランシスコに移り、そこでファンクにハマった。スライ&ザ・ファミリー・ストーンだ。
実際、1975年にサンフランシスコに着くなり、スライのサックス奏者(ジェリー・マーティーニ)に連れていかれ、スライの家でオーディションを受けた。その晩にはサウサリートにあるレコード・プラント・スタジオでスライとレコーディングしたよ。その頃はファンキーなスタイルにどっぷりで、ファンク一色だった。ビートルズから始まり、60年代のポップソング、その後のブリティッシュ・メタルの時と同じで、僕は一旦好きになるとどっぷりハマるタイプだってことだね。
トップ40のカバーバンドというのは、実はそんなに長くやってないんだ。むしろ、その時に好きになった音楽に完全にのめり込み、すべてを吸収して、また数年後には違う音楽に移って行った……そういう下積み時代の経験が活きているんじゃないだろうか。それが僕をオジー・オズボーンやシェール、ジャーニー、アリス・クーパーといったいろんな人たちと曲を共作し、演奏し、歌える人間にしてくれたんだと思う。
―あなたがソングライターとして他の人に提供した曲が大好きなんですが、個人的にはザ・フーのロジャー・ダルトリーに提供した曲がとても気に入っています。
ジャック:なんていうタイトルだっけ? 自分で書いた曲を忘れがちでさ……。
―あなたがデヴィッド・フォスターと書いた「The Price Of Love」という曲ですよ。
ジャック:それだ! ”I swear it's the price of love〜”♪、思い出したぞ(笑)。
―その曲はどうやってできたんですか?
ジャック:映画『摩天楼はバラ色に』のサントラを手がけてたデヴィッド・フォスターと「The Secret Of My Success」(タイトル曲)を書いた時さ。書き終えて、まだ時間があったんで「もう1曲、こんなアイデアがあるんだけど?」と僕が歌詞を書き始め、デヴィッドがそれにメロディをつけて、気がつくと出来上がっていた。あっという間だったよ。その時、デヴィッド・フォスターがロジャーのアルバムもプロデュースしてたので、曲をロジャーに聴かせたところ、気に入ってくれてレコーディングした、という経緯さ。いい曲だね。キーボードが入ってるぞ! デヴィッドのキーボードだ!(笑)。
ロジャー・ダルトリーは素晴らしいシンガーだ。一度、僕、ロジャー、ニール・ショーン、それとナッシュヴィルのソングライターのゲイリー・バー(Gary Burr)とで、ハウス・オブ・ブルースで演奏したことがあってね。「Who Are You」をアコースティックでやったんだ。ロジャーが”who are you, who, who, who who”♪と歌って……あれは最高だった!
僕にとって、作曲は楽な作業だ。というのも、たとえば「よし、俺はザ・フーのベーシストだ」とその本人になりきって、ザ・フーのための曲を書くから。誤解のないように言っておくけど、自分がジョン・エントウィッスルみたいだなんて言ってるわけじゃないよ。ただ、「もしそうだったら?」と考えるんだ。オジーと作曲した時は自分がオジーのバンドにいるつもりで書いた。エアロスミスと「Shut Up And Dance」を書いた時は、自分はエアロの一員だと考えた。そうやってギアチェンジすれば、いろんなアーティストと曲を書くのもすごく楽なんだよ。
ニューウェーヴ、モータウン…音楽性の源流
―ファンキーなロックバンドだったルビコンが終わってから、ナイト・レンジャーでまったく異なるヘヴィなサウンドに挑戦して、成功することができたポイントはどこにあったと思いますか?
ジャック:ルビコンが解散した時、「こんな最悪なことはない。これからどうすればいいんだ?」と途方に暮れた。でも、もしもルビコンが解散していなかったら、ナイト・レンジャーのフロントマン、ソングライター、ケリーとのWリードボーカルというチャンスを手にすることはなかったんだ。
ルビコンの後、ケリーとブラッド・ギルスと僕は、最初ステレオ(Stereo)というバンドを組んだ。短命に終わったクラブバンドで、オリジナル曲を書いていたんだ。時代的には1978〜79年なので、ニューウェーヴっぽいというか……『Dawn Patrol』の「Penny」も同じ頃に書かれた曲だから、雰囲気は似てたよ。カーズ風というかね。
その時、ルームメイトだったのがモントローズやガンマのベーシストで、サミー・ヘイガーのキーボードでもあったアラン・フィッツジェラルドだ。ちょうどサミーのツアーが終わった頃、「サクラメントにジェフ・ワトソンっていうギタリストがいるから、そいつと、お前ら3人とでロックバンドを作ろう」と言ってきた。「面白いかもしれない」と思ったよ。
当時、僕はラリー・グラハムとかブラザーズ・ジョンソンが好きだったんで、親指でスラップベースを弾いていた。それで、アランが「サムピックをつけて弾いたらどうだ」と提案したんだ。そうすればリードギターみたいに弾ける。いいアイデアだし、弾きやすいと思ったよ。
実際、ステレオにはロックンロールの要素もあった。ブラッドは素晴らしいロックギターを弾いたし、僕にはブリティッシュ・メタルの血がまだ流れていた。たまにライブをやってると、客席から「1976!」と野次が飛んだくらいだ。「1976年じゃないんだから、もっとニューウェーヴっぽいものをやれ」という揶揄さ。ディープ・パープルの「Burn」じゃなく、カーズやブロンディ、ヘアカット100、フロック・オブ・シーガルズみたいなのをやれ、お前らはロックすぎる、とね。ともかく、そうやってナイト・レンジャーは出来上がったんだ。
―僕もカーズやニュー・ウェーヴのバンドが好きで、ヘヴィ・メタルはあんまりでしたが、ナイト・レンジャーはシンセサイザーが入っていて、曲にニューウェーヴのテイストが少しあったので大好きになりました。たとえば、この「(You Can Still) Rock In America」も(日本盤シングルのジャケットを見せる)。
ジャック:その写真を撮った時のことを覚えているよ! 見てみろ、まるで12歳に見える!(笑)

―今ではヴァン・ヘイレンがメタルにシンセサイザーを取り入れた先駆のように言われていますけど、あなたたちの方が早かったですよね?
ジャック:ああ、そうだ。さっきも話したが、僕らはシン・リジィを手本にした部分があった。同時に、ジャーニーからも大きな影響を受けた。ジャーニーにはジョナサン・ケイン、そしてオリジナルメンバーのグレッグ・ローリーと、素晴らしいキーボード奏者がいたからね。キーボードを使ったのは、そんなサンフランシスコのロックサウンドへ敬意を払う、という意味もあったんだ。それに、シンセサイザーが僕らのサウンドをしっかり埋めてくれたから、その上でギタリストふたりが、ツインでハモってソロを弾くことができた。ベースのブンブンという低音に、ギターが絡み合い、その下でキーボードの持続音が土台となってすべてを支えていたわけ。
もうひとついうと、僕らは「Dont Tell Me You Love Me」のように、音が出た瞬間、ガツンと人の心を掴む曲を作りたかった。その手本になったのは昔のモータウンだ。ベリー・ゴーディはいつも「曲のスタートから人の心を掴み、引き込む曲にしたい」と言っていた。(シュープリームスの)「Stop In The Name Of Love」がいい例だよ(歌い出しとドラムの”バン!”を口で再現)。ベリー・ゴーディが手がけた曲はみんなそうだった。「Dont Tell Me You Love Me」も、最初のあのギターを聴いた瞬間、みんな「え?」ってなって、ラジオの音量を上げて「今のは何だ? 聴いてみよう」と思う。僕らがやったのは、あらゆるジャンルの音楽からいろんな経験や要素を取り入れ、融合させ、ナイト・レンジャーという形にして世に送り出したってことなんだよ。それができたのは、メンバー全員がナイト・レンジャーを始める10年近く前から、ジャンルに関係なく、いろいろな影響を受け、経験してきたからだと思う。
「(You Can Still) Rock In America」2023年のライブ映像
―ちなみに、”ジャック・ブレイズというソングライターの基礎を作った曲”をいくつか挙げてもらえますか?
ジャック:ワオ、なんていい質問なんだ。1曲を選ぶとしたら……1964年、10歳の時に聴いたビートルズの「I Saw Her Standing There」だ。1stシングル「I Want To Hold Your Hand」のシングル盤を買ったら、そのB面が「I Saw Her Standing There」だった。僕はA面よりそっちの方が好きだった。
もう1枚、僕に大きな影響を与えてくれたアルバムを挙げるなら、エルトン・ジョンの『Madman Across The Water』だ。あの曲たち、あのソングライティング……バーニー・トーピンの物語を語るようなリリック。その物語に音楽をつけて演奏するエルトン・ジョンの才能。あのアルバムを聴いた時、僕は人生を変えられた気がする。
―最後に確認ですが、フェアウェル・ツアーはやったけれど、今後もこういう形でナイト・レンジャーのライブを見るチャンスはまだあると思っていいですか?
ジャック:”絶対にない”とは絶対に言わない主義だ。今回に関して言うと、実はナイト・レンジャーとして日本のフェスに出演したことが今まで一度もなかった。TMGではサマーソニックに出たし、2年前にもフェスに出演している(テレビ朝日ドリームフェスティバル2024)。でもナイト・レンジャーにとって、これは僕らアメリカ人が言うところのbucket list(死ぬまでにやりたいことリスト)のひとつだった。そのひとつをクリアしたのさ。「日本のスタジアム会場でフェスに出る」! それを遂行しに行くよ。

THE GREATEST ROCK FUKUOKA
2026年8月29日(土)福岡・みずほPayPayドーム福岡
OPEN 10:00 / START 11:30
※21:00〜21:30頃終演予定
出演:ジャーニー / ナイト・レンジャー / BAND-MAID / HOUND DOG / LOUDNESS / RED WARRIORS
チケット:
VVIP席 118,000円(税込)
VIP席 49,800円(税込)
アリーナ席 29,800円(税込)
Sスタンド席 19,800円(税込)
Aスタンド席 17,800円(税込)
車椅子席 29,800円(税込)
※未就学児童入場不可
公式サイト:https://fukurock.com/

