
この記事は「ラリー・デ・プランセス・リシャール・ミル 第25回エディション|ヴァンドーム広場にて」の続きです。
【画像】フェラーリ750モンツァ、ランチア・フルビア、ポルシェ356などを華麗に駆る!女性だけのクラシックカーラリー(写真25点)
エルムノンヴィルの森を抜けると、鉄の門が現れた。「MUSÉE JACQUEMART ANDRÉ」—美術愛好家だったネリー・ジャックマール=アンドレが、晩年のすべてを注いだ地の入口だ。その門をくぐり、砂利道を進んだ先に、シャアリ王立修道院の廃墟がある。フランス革命によって教会堂を失った12世紀の石が、初夏の光の中にそびえていた。
ヴァンドームの喧騒がここでは嘘のようだった。観客はほとんどいない。ピロットたちはコーヒーを手に、あるいは愛車の傍らに立ち、静かにスタートを待っていた。ハービーのリバリーをまとったフォルクスワーゲン・ビートル1300がハンドルを握る親子の笑顔とともに砂利道を進み、フィアット500のリアにはウィッカーのピクニックバスケットが積まれていた。1972年製のダットサン240Zはカリフォルニアナンバーを誇らしげに掲げ、ランチア・フルビア1.6 HFは1972年のワークスリバリーをそのままに廃墟を背にした。それぞれの旅支度が、それぞれの哲学を語っていた。
ひときわ注目を集めたのが、やはり1955年製フェラーリ750モンツァだった。アリシアとユリアのハウトリング姉妹がオレンジのレザーヘルメットをかぶって乗り込む姿は颯爽として見えた。しかしパリ市内の制限速度走行でしびれを切らしたTipo 119は、すでにオーバーヒート気味だった。着くやいなや、ユリアはヘルメットを外しもせず、着脱式のエンジンフードに手をかけた。3億から8億円と言われるレーシングマシンが、修道院の庭で現実と向き合っていた。それでも結局、このエンジンは旅を続けることになる。
リシャール・ミルのゲートが設えられたスタートラインでは、オフィシャルがタイムカードに出発時刻を書き入れ、カウントダウンが始まった。次のコントロールポイントまでの所要時間を正確に守ること、それがこのラリーの競技性だ。精度を問う、リシャール・ミルのタイムピースと同じ問いかけをコースに置く。
各チェックポイントには「ラ・ポーズ・カフェ」が設えられ、エスプレッソからフラットホワイトまでが用意されていた。メニューには一文添えられていた。「LE CAFÉ filtre:pour arriver avant les copines!(フィルターコーヒーは女友達より先に到着するために)」このラリーの空気がそこにあった。
日本から初参戦したミチヨは、スタートラインでポルシェ356のステアリングを握りながら言った。「ディーノと違ってドイツ車は堅実に動いてくれる」。その手首にはリシャール・ミルが輝いていた。やがて「RALLYE DES PRINCESSES RICHARD MILLE / PARIS SAINT-TROPEZ」のゲートをくぐったメルセデス・ベンツ280SLの中から、日本人姉妹の笑顔が見えた。他のどのクルーよりも、隠しきれない高揚感が滲んでいた。
トリコロールが振られるたびに、一台ずつシャアリを後にしていく。ジャガーXK140が砂埃を上げ、ポルシェ550スパイダーのフューアマン・エンジンが廃墟の壁に音を刻んで消えた。次の目的地はトロワ、その先にはヴィシー、エクス=レ=バン、ニームが続き、最後にサン・トロペのプラス・デ・リスが待っている。1137年に建立された修道院の石が、100組のプランセスたちの旅立ちを黙って見送っていた。
今回の撮影はここシャアリまでだ。プランセスたちがトロワの街並みを抜け、ヴィシーの温泉地を過ぎ、アルプスの麓のエクス=レ=バンを経てニームの円形闘技場を横目に走り抜ける様子を、筆者はこの先見届けることができない。あとは砂利の記憶と、エンジン音の残像だけが手元にある。
このラリーを取材し始めてから何年かが経つ。何度スタートを見送っても、最後の一台が視界から消えるとき、決まって同じ感覚が訪れる。置いていかれるような、羨ましいような、清々しいような気持ちだ。
Rallye des Princesses Richard Mille 2026 第25回エディション
2026年5月23日〜28日
スタート:パリ・ヴァンドーム広場→シャアリ王立修道院(オフィシャルスタート)
ゴール:サン・トロペ・プラス・デ・リス
経由地:トロワ、ヴィシー、エクス=レ=バン、ニーム
オーガナイザー:ピーター・オート
文:櫻井朋成 写真:櫻井アレキサンドラ智優、櫻井朋成
Words: Tomonari SAKURAI Photography: Alexandra Chihiro SAKURAI, Tomonari SAKURAI