連載:アナログ時代のクルマたち|Vol. 76 ラリー(Rally)スポーツツアラー

ロッソビアンコ博物館にRally という名のスポーツモデルがあった。博物館の公式本によれば1930年式で、搭載エンジンは4気筒987cc、28psとあった。ところが生産国がわからない。まあ、簡単に調べがつくだろうと、たかをくくっていたのだが、どっこい、Rallyで調べると、出てくるのは決まってモータースポーツのラリーの話である。

【画像】1920年代~30年代にかけての仏メーカー「ラリー」のサイクルカーやエンジンの資料(写真6点)

散々調べて小一時間もかかったろうか、ようやく出てきたのは、この車がフランス製で、メーカーは1921年に創業し1933年には閉鎖され、わずか13年ほどの操業期間であったこと。ただし、この間に1395台の車を生産したことなどがわかった。

ただ、どこをどう調べても4気筒987ccエンジンを搭載したモデルに関する記述はなく、排気量、もしくは気筒数が違っているのではないかと想像するしか、方法はなかったのである。

フランスのブランド、ラリーは、1921年にパリ北西部のコロンブという場所で生産を始めた。エンジニアのウジェーヌ・アフォヴァール・アニエールが、軍の余剰品から調達した、空冷ハーレーダビッドソンVツインエンジンを搭載したサイクルカーを製作したのが始まりである。ちなみにこの時使ったハーレーのエンジンが、排気量989ccであり、ロッソビアンコのモデルの排気量987ccと近いのだが、4気筒ではない。そもそも彼がサイクルカーを作るきっかけとなったのは、1920年7月30日のフランスにおける財政法により、サイクルカーの年間税減免に関する新たな規制が設けられたことであった。車両の定義は、3輪または4輪、最大2人乗り、排気量1100cc未満、重量350kg以下であることだったという。

アニエールはこの枠の中で車作りを始めたのだが、1925年にはこの法律が廃止されたことで旨みはなくなった。それでもサイクルカー生産の経験を活かし、フランスでは複数のメーカーが、スポーツカーの研究開発と製造に着手したという。そんなわけで戦間期、即ち第1次大戦と第2次大戦の間には、フランス国内でスポーツカーのニッチ市場が誕生した。彼らが作る車は、今日でもコレクターや愛好家から高く評価されている。そして、その一つが、ラリーだったというわけだ。もっとも、この時代にラリー以上に有名だったサイクルカーブランドに、アミルカーやサルムソンのように、世界的に有名になったブランドがあるため、ラリーの名は埋没してしまったのだと考えられる。ご存じの通りこれら軽量スポーツカーは、フランスではヴォアチュレットと呼ばれていた。この戦間期に作られたフランスのヴォアチュレットの生産実績の数値があるが、やはり、アミルカーとサルムソンが突出していることがわかる。

ラリーのヒストリーを見ると、比較的多くのバリエーションのモデルを作っていたことがわかる。彼らは基本的にシャシーやボディを提供するだけで、エンジンについては他社に頼っていた。ラリーに搭載されたエンジンは、Chapuis-Dornier, CIME, Ruby, あるいは S.C.A.P. など、いずれもフランスのエンジン供給メーカーのものがほとんど。1932年以降は、ライバルだった(と言えるかどうかは?)サルムソンが、レースから撤退したことを受けて、サルムソンのエンジンを搭載した時代もある。さらに1922年には、自社製のOHVエンジンを開発したという記述もあるが、長くは続かなかったようである。

驚いたことに、この会社を創立したのは前述したウジェーヌ・アフォヴァール・アニエールだったが、会社を所有していたのはチャールズ・ロスチャイルド。イギリス、ロスチャイルド家の本家筋の人物である。

さて、件のロッソビアンコ博物館に収蔵されていたラリーであるが、公式本の説明ではかなり解せない部分が多い。ひとつは4気筒エンジンであるという点。初期のサイクルカーはハーレーのVツインなど空冷エンジンが多かったようだが、ほんの1年ほどで前述したエンジンメーカーのものに代わっている。次に作られた年次だが、1930年といえば、ラリーの中でも最も成功したモデルである、タイプABCがすでに誕生していた時代である。ABCは1930年で生産を停止し、その後はタイプNというサルムソンのエンジンを搭載したモデルに引き継がれるが、排気量はより大きなものが搭載され、しかもヘッドはDOHCである。

また、ロッソビアンコにあるものと同型のモデルが、ネット上には出ていて、それはタイプNCPだとされているのだが、これはタイプNの派生型で、サルムソンエンジン搭載車であるから、正しくはないと思う。

行きついたのは、ニック・ボールドウィン、G.N.・ジョルガノ、マイケル・セジウィック、ブライアン・ラバンの共著による、「The world guide to Automobile Manifacturers」という本だった。ここに記述されていたのは、メーカーが最初に競技に参加したモデルは1922年のBol d'Orに参加したモデルであり、その車に搭載されていたエンジンは、Chapuis-Dornier製の4気筒898ccであったという。4気筒898ccは、それでも989ccだとする排気量に合致しないのだが、排気量1リッターのモデルは、それ以降生産されていた記述がなく、排気量から推測するならば、メーカーが誕生してすぐ、エンジンがモーターサイクル用空冷エンジンから、水冷の4気筒に切り替わった時代のものではないかと思える。もちろんロッソビアンコのモデルは立派な傾斜したラジエターグリルが装備されているのだから、空冷のはずはない。いずれにせよ、ラリーという自動車メーカーが1921年~33年までフランスに存在し、数は少ないけれど、高性能な車を作っていたという事実が厳然とある。果たしてこの車はロッソビアンコ博物館が閉鎖されて以後、どこへ行ったのだろう。

文:中村孝仁 写真:T. Etoh