うつ、離婚、そして子どもと離れて生きることになった――。すべてを失いかけた過去を持ちながらも、フランスで36店舗を展開するまでに再起したパン職人・石川芳美さん。
しかし、事業の成功とは別に、彼女の中に残り続けていたのが「子どもたちとの関係」でした。「いつか子どもに自慢してもらえる母になりたい」。その思いを胸に、離れて暮らす息子たちのもとへ何度も通い、食事を作り、時間を重ねていきます。
すぐには埋まらなかった距離。それでも諦めずに“記憶を上書きするように”向き合い続けた先に、少しずつ変わっていった親子の関係とは――。本記事では、書籍『フランス流自分に素直に生きる方法』(宝島社)より、石川さんが歩んだ“再び家族になるまでの時間”を抜粋してご紹介します。
記憶を上書きするように何度も会いに行った子どもたちとの大切な時間
フランスに行くと決めたとき、両親はおそらく相当心配していたと思います。私自身、そのころはうつ病を患っていたので、当時のことをはっきり覚えているわけではないのですが、離婚して、うつ状態だった娘が突然、「フランスに行く」と言い出したわけですから、親としては「なんてことを言うのだろう」と感じたはずです。とはいえ、当時私はパン業界のツアーに参加して渡仏する流れでしたし、「仕事の延長」として説得できたこともあって、最終的には納得して送り出してくれたのだと思います。
亡くなった叔父が昔、たまたまフランスに仕事で来ていたことがあったので、パリに知り合いがいたのです。そのつながりもあり、渡仏当初にホームステイする場所はその方に紹介してもらいました。業界の方のツアーと一緒に来て、しばらくそのホームステイ先に滞在する形にしたので、両親も多少は安心できたのかもしれません。35歳ですから「いい大人」ではあるのですが、精神を患っていたことは事実なので、とにかく心配だったと思います。
当時は私自身も、3カ月で帰ってくるつもりでいましたし、周りもそう思っていたはずです。まさか、そのままフランスに根を張っていくとは、誰も想像していなかったでしょう。
その後の私を見て、母はよく「あなたが言ったことは、全部本当になるね」と言います。うつ病で調子が悪かった時期でさえ、私は「未来はこうなる」と言っていたらしくて、それが少しずつ実際に叶っていく様を見て、母も「もしかしたらあの子が言っていることは本当なのかもしれない」と思い始めたのではないかと思います。
もちろん、それを叶えていく力が自分自身にあるかどうかは、よくわかりません。ただ、離婚して子どもたちを育てることができなかったけど、「いつか子どもたちが自慢できる母になりたい」という思いはずっとありました。離れていても、子どもたちは守る、とも。それらは確かに私の大きなバネになっていたと思います。もちろんそれだけで全部がうまくいくほど簡単ではないので、私はつくづく運や人に恵まれたのだと感じています。
私には前の夫との間に息子が3人いますが、3人とも高校卒業の18歳のタイミングで父親の家を出て、大学に進学しました。離婚後も子どもたちには頻繁に会っていましたが、そのときから私は、親子関係を再構築したいという気持ちで、とにかく「できる限り子どもの面倒を見る」ことを続けました。たとえば長男が東京の大学に進学したときは、私が東京に行くたびに息子のところに泊まり、ご飯を作ったり身の回りの世話をしたりしました。その後、就職して藤沢に住むようになっても、私は都内から藤沢まで通い、必ず会いに行くようにしました。
次男が京都の大学に通い始めたときには、今度は京都に行って1週間ほど一緒に過ごし、毎日ご飯を作って、ということを繰り返しました。それは三男も同じです。3人が大学に進学したタイミングからは、仕送りも私が始めました。親権は父親側でしたが、私は私で、できる限りの支援を続けたかったのです。
今の夫との間に生まれた娘を連れて日本に行くと、「お兄ちゃん巡り」といって3カ所を回る旅を、娘が小さいころからずっとしていました。夏休みに日本に行ったら、3人の息子のところを順番に泊まりながら回る。そうやって時間を積み重ねていきました。
彼らに過去のことを詳しく話すことはあまりありません。ただ長男は、大学2年くらいまでは私に対する反抗のようなものがあり、目を見てくれない時期があったのも事実です。「自分を置いていった母」という感情が心のどこかにあったのだと思います。それでも私は彼のところに通い続けました。
そして、私が「明日パリに帰るよ」と言ったある日のこと。ドアが閉まる直前に、長男が「母さん、ありがとう」と言ってくれました。その瞬間、涙があふれ出し、長男と別れた後も電車の中で一人ずっと泣き続けました。
その日を境に、どこかよそよそしくなってしまっていた関係から、親子に戻れたように感じています。それからも変わらず通い続け、就職のための引っ越しを手伝ったり、一緒に旅行に出かけたりと、長男とはとくに密に関わってきました。
思えば、私は「記憶を上書きする」ような作業をずっとしてきたのだと思います。子どもたちが小さいころに作っていたご飯を、大学生になった息子たちにも作って食べさせる。たとえば、3人を育てていたころの定番メニューにハンバーグがあるのですが、1個ずつ丸める暇がなく、フライパンで大きく焼く「でかハンバーグ」を作っていました。長男は覚えていても、下の子たちは覚えていなかったのですが、それでも繰り返し作って食べさせたら、今ではそれが「母の味」になりました。
私は母と「今はもう、子どもたちと距離感も違和感もなくなったね」と話すことがあります。息子たちとは喧嘩もするし、長男とはしょっちゅう言い合いもします。でもそれも含めて、ようやく自然な親子になれたのです。
私が努力しただけではなく、子どもたちもたくさん努力をしてくれましたし、そして何より、私は愛を諦めずに伝え続けてきました。
そうやってみんなが助けてくれて、努力してくれたおかげで、今は長男一家もパリで暮らし、毎日会えるようになりました。距離が近くなったら近くなったで、「結婚してお嫁さんもいるし、彼ももういい年なので口出ししすぎてもな」と思うのですが、つい親心で小言を言ってしまうこともあります。
石川 芳美(いしかわ よしみ) プロフィール
1966年、東京都生まれ。広島県育ち。フランス在住のパン職人で、女性起業家、クリエーター、アーティストとしての顔も持つ。29歳からブーランジェとしてのキャリアをスタートさせ、子連れ可能なパン教室を広島に開校。口コミで人気となり、2校目を開校すると同時にベーカリーもオープン。その後、35歳で渡仏。数店舗での修業を経て、フランス人パティシエの夫・ロドルフとともに「メゾン ランドゥメンヌ」をオープン。2026年4月現在、グループ全体でフランスに36店舗、東京に3店舗を展開。


