
ビバンダムはすでに知っていた
1枚の古い冊子がある。表紙には、大樽の中で葡萄を踏みしめながらワインを豪快に煽るビバンダムが描かれている。タイヤの輪を幾重にも重ねた体躯、白目をむいた表情、赤く染まった両の手足。これは1909年10月に、ミラノのアジェンツィア・イタリアーナ・プネウマティチ・ミシュランが発行した月刊誌『イル・プネウマティコ・ミシュラン』第16号の表紙だ。副題に「コンシッリ・エ・プロディジ・ディ・ビベンドゥム」、すなわち「ビバンダムの助言と驚異」とある。
【画像】115年前にすでに確立されていた、ミシュランのユーモアあふれるコンテンツ・マーケティング(写真12点)
この冊子を手に取ってまず驚くのは、全16ページの密度の高さだ。ユーモア小説、自動車旅行記、技術解説、業界ニュース、レース結果、そして広告。ありとあらゆるコンテンツが詰め込まれている。そしてそこには、115年後の現在と驚くほど共鳴する思想が随所に刻まれている。
値上げの知らせと、変わらぬ企業の論理
冊子の本文ページを開くと、まずピンク色の差し込み紙が目に飛び込んでくる。「アッヴェルテンツァ・インポルタンテ(重要なお知らせ)」と大書されたその紙には、1909年10月30日付で乗用車・軽量車向けタイヤの価格を引き上げる旨が記されている。理由は原材料費の高騰。ゴムの原料となる天然ゴム相場の上昇を指していることは疑いない。
文面はこう続く。「この変更は以前より予定されていたが、シーズン末まで引き延ばすべく最大限の努力と犠牲を払ってきた」——そしてミシュラン&シーの署名。顧客への配慮を強調しながら価格改定の正当性を説明するそのトーンは、現代の企業コミュニケーションと本質的に何も変わっていない。原材料コストの上昇が製品価格に転嫁される構造も、2020年代の自動車産業が直面したそれと同じだ。1909年のミラノで、企業は既に同じ言葉を語っていた。
同号には関税をめぐる記事も掲載されている。フランス政府がゴム製品の輸入に高関税を課す案を検討していたとき、最大の受益者になるはずのミシュラン自身がそれを公式に拒否した。ロンドンの業界紙『モーター・トレーダー』が報じたその声明は明快だった。「輸出産業は海外顧客を敵にすべきではない。他のフランスメーカーに余分なコストを強いることも不当だ。この不用意な恩恵を辞退する」。同紙はこの声明を「古代ギリシャの賢人でもこれほど見事には語れなかった」と絶賛した。グローバル市場を視野に置いた経営判断が、この時代に既に存在していた。
小説でタイヤを売る:コンテンツマーケティングの起源
本文の巻頭を飾るのは、「ウーナ・プリマ・ノッテ……ディ・ラ・ダ・ヴェニーレ(初夜……まだ来ない)」と題したユーモア小説だ。新婚旅行に出た貴族夫妻が、故障した車で田舎道に取り残され、「四本釘ホテル」に辿り着く。南京虫の大群に初夜を邪魔され、翌朝も散々な目に遭う。そのオチで旧友が登場し、「ツーリング・クラブ・イタリアーノの自動車道路地図を持っていれば」と言う。右ページには即座に地図の広告が展開し、切り取り式の申込券まで印刷されている。
笑わせて、共感させて、商品へ誘導する。この構造は現代のコンテンツマーケティングが教科書に書く手法と一字一句変わらない。しかも広告と記事の境目が極めて滑らかだ。読者は小説を楽しんでいるうちに、気づけば地図を注文している。
走らせるための旅:ミシュランガイドの哲学
同号でもっとも多くのページを割くのは「自動車によるイタリア一周」の第5ステージ、テルニからボローニャまでの393キロを記録した旅行記だ。マルモレの滝、ロレートの聖家、アンコーナのトラヤヌスの凱旋門、ラヴェンナのダンテの墓、クラッセのサンタポッリナーレ聖堂——道路状況、推奨出発時刻、宿の名前まで細かく記されたその文体は、1900年に初版が刊行されたミシュランガイドの精神そのものだ。
ミシュラン兄弟がガイドブックを作った理由は有名だ。ドライバーが遠くまで走れば走るほど、タイヤは擦り減る。観光地や宿の情報を提供することは、タイヤの消費を促す最も優雅な方法だった。同じ思想がイタリアの月刊誌にも貫かれている。392キロを走り切ったその先にボローニャがあるという描写は、読者の走行意欲を静かに刺激する。
天から降ってきた男:ビバンダムという戦略
そしてこの冊子を貫く最大の存在がビバンダム、日本で「ミシュランマン」と呼ばれるあのタイヤの人形だ。彼は1898年にO'Galop(本名マリウス・ロスティロン)が生み出して以来、ミシュランのあらゆる媒体に登場し続けてきた。この冊子でもビバンダムは表紙のヴァンダンジュ(葡萄の踏み込み)に始まり、技術記事の挿絵、広告、カートゥーンと、ページを開くたびに姿を変えて現れる。
世界最古の企業キャラクターのひとりとして数えられるビバンダムの強みは、その変幻自在さだ。酔いどれた陽気な酒飲みにもなれば、精密な技術解説の案内役にもなり、風刺漫画の主役にもなる。ページ14では、道で倒れた歩行者に「ミシュランのタイヤなら危険はない」と言い放つショーファーの台詞が、タイヤの安全性訴求と笑いを同時に成立させている。
航空サロンの記事では、グラン・パレの天井近くに浮かぶ巨大な球形気球に「MICHELIN」の文字が読め、その艇から息子と娘のビバンダムが手を振る。「道路の支配者が空の支配者になろうとしている」という文脈で、ビバンダムは自動車から航空へのブランド拡張を体現する存在として機能している。キャラクターが戦略の核にある。
1909年という座標
この小冊子が発行された1909年という年は、ブレリオが英仏海峡を飛行機で渡り切った年であり、FIATやアルファロメオの前身が台頭しつつあった年だ。イタリア全土の代理店リストには、後にレーシングカーメーカーとして名を刻むビアンキの名前も並ぶ。電話番号は2〜4桁、通信インフラはまだ脆弱で、それでも北はヴェネツィアから南はカリアリまで、ミシュランの代理店網が張り巡らされていた。
この月刊誌は単なる広告媒体ではない。ユーモアと技術と旅と批評を一冊に束ね、読者との関係を育てようとした知的な試みの記録だ。原材料費高騰への対応も、関税保護の拒否も、観光案内と道路情報の提供も——ミシュランがこの冊子で語っていたことのほとんどは、115年後の今も有効な問いとして残っている。
ビバンダムはとっくに知っていた。
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI