家族の死を目の前にしたとき、人はやはり冷静ではいられないのかもしれません。末期がんの母親を看取った経験を持つ岡山容子医師は、そんな母の呼吸が小さくなってきたときの家族の様子を、自身の書籍『毒親を在宅で見送った緩和ケア医が伝える 関係のよくない親を看取るということ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)にて、医師らしい冷静さとユーモアを交えて紹介しています。
本記事では、そのときの状況やその後の展開について述べられた部分を、抜粋してご紹介します。
「死ぬなよ」と叫ぶ父、「逝ってよし」と叫ぶ私
ひととおり父の荷物の整理が終わり、四女が「じゃあ、帰るね」と母にあいさつしたときのことです。母の顔がひょっとこのように歪みました。
「おや?」と思ううち、顔にけいれんが来ます。
やがて顔から始まったけいれんは肩に、腕に、そして足のほうまで広がっていき、全身のけいれんになりました。
この時の私は、実は「おお! これは乳がんの脳転移患者によく起こる『アレ』やー!!」と密かに興奮していました。
〝アレ〟とは、しばしば訪問看護師さんから「先生! 今患者さんが顔からけいれんし始めて、腕にけいれんが広がって、全身のけいれんになりました! 救急搬送します!」という報告を受けていた症状で、実際に目にするのは初めてだったのです。
その報告そのままの事態が目の前で起きたので、不謹慎かもしれませんが、めずらしい症状を見ることができたことに興奮したのは、医師のサガというべきものでしょうか。
ただ、緊急事態ではあるので、サ高住の別の場所にいた父を呼んでくるように妹に伝えました。
けいれんはひどくなり、そのまま息が小さくなってきます。
私はこのとき、「ああ、このまま死ぬのだな」と本当に思いました。
死を前にした母の手を握り、「お母さん、大丈夫、一人じゃないよ。一人じゃないからね。みんな一緒にいるよ。心配しないでね。そばにいるよ」と呼びかけました。
やってきた父と妹にも「声は聞こえてるから、お別れして。もう、お別れだから」と言いました。
すると父はこう叫んだのです。
「ヨシコー! 死ぬなよー!」
思わず私と妹はほぼ同時に、「なんでやねん、逝かしてやれよ」とそろってつっこんでいました。
そして私はというと、
「お母さーーん! 逝ってよーーし!!」
と叫びました。
「逝ってよし」もいかがなものですが、この病気で、この状態で、引き留めて何になるでしょう。
肉体の苦しみが増していくのを引き留めて何になるのでしょう。
私は日ごろから家族に、肉体の苦しみを終わらせてくれる「生の終わり」、つまり「死」というものは、なんら悪いものではないのだと伝えていました。
そして母もその意見に大賛成してくれていました。
呼吸が止まると思ったら、復活した母
母の呼吸はほぼ停止し、唇の色が紫色に変わり、舌が落ち込み、下顎(かがく)呼吸になりました。「下顎呼吸」とは、死を前にした人によく起こる生理的な呼吸です。
この下顎呼吸を前に、気道を確保したほうがいいだろうかとの考えも頭をよぎりましたが、一時的に気道を確保したところで、結局、死に至るだろうから意味はないなと思い直します。
自分の気持ちを落ち着けて、そのまま母を見守ることにしました。
私は「ああ、もう、これで呼吸が止まるんやな」と静かに思いました。
父と妹は、ずっと母に話しかけており、お別れの言葉をかけていました。
ところが……。
母の呼吸は力強く戻ってきて、青くなっていた唇にも血の気が戻ってきたのです。
しばらくして呼吸も落ち着いてきました。
とはいえ、意識がない状態です。呼吸は落ち着いたとはいえ危篤状態。妹は「病院に連れていかなくていいの?」と医師の私にたずねました。
私は「だって病院に行ったってそこで死ぬだけやで? それやったらここでええやん」と返しました。
これは事実で、実際、看取りの現場でも、「自宅で看取る」と決めていても、救急車を呼んでしまう家族も多いものです。
救急車を呼ぶと、救急隊の方は「命を救うのが仕事」ですから、心臓マッサージや呼吸確保など、救命行為をします。それが死にゆく人にとっては、つらいことになることもしばしばです。
さらには病院に連れていったところで治療はなく、申し訳程度に点滴をされるだけなので、病院に行く理由もないというのもあります。
病院に行くメリットはないので、「救急搬送は必要ない」と妹に伝えました。
しかし、実のところ、私の本意はそれだけではなくて、「こんな問題だらけの母を病院に預けて、自分の恥をさらすのもいや」という気持ちもあったのは事実です。
結局、そのままサ高住で母の様子を見ることにしました。
妹はその私に付き合うと言います。「今日帰ろうと思っていたけど、このままいるわ」と。けれども私は「たしかに今日亡くなるかもしれへんけど、このまま数日かかる人もいるから、いったん東京に帰ったほうがいいよ」と提案しました。
妹は妹で夫に相談したり、いろいろ迷ったりしたようです。ただ、後ろ髪を引かれるような顔つきはしたものの、「それもそうか……。それじゃあ予定どおり帰るね」と帰っていきました。
ちなみに、妹とは、あとからこそこそと、「お姉ちゃんがお母さんにあんなこと(「逝ってよし」という言葉)を言うから、腹立てて戻ってきたんやで」「ほんまやなあ」と笑い合ったりもしました。
岡山 容子(おかやま ようこ):おかやま在宅クリニック院長。医師。
1971年、大阪府堺市生まれ。四人姉妹の次女として育つ。1996年、京都府立医科大学卒業後、麻酔科医として京都府立医科大学病院や西陣病院にて勤務、その後在宅医療分野へ転向。2015年、京都市内に在宅療養支援診療所おかやま在宅クリニックを開設し、訪問診療、緩和医療、認知症治療などに携わる。2018年より産経新聞大阪本社地方版でコラム「在宅善哉」を連載開始(筆名:尾崎容子)。2020年、真宗大谷派にて得度を受け僧侶となる。現在は終末期をみる医師として、地域密着医療を実践するほか、看取りの勉強会を主宰する。 著書に『老後を心おだやかに生きる いのちと向き合う医師の僧侶が伝えたいこと』(明日香出版社)など。

