
ロッソビアンコ博物館のオーナーであったピーター・カウスは、車のコレクションを始めた当初、マセラティ全車を集めるつもりでいたようだが、その後彼のコレクションをミュージアムにしようという計画に変わり、コレクションはマセラティから徐々に、他のモデルに移っていったという。
【画像】ジェントルマンドライバーたちに愛された、マセラティ4CS 1500 MM(4CS1100)(写真6点)
そもそもロッソビアンコという名前は「イタリア車の赤」と「ドイツ車の白」を意味するもので、それはかつてのレーシングカラーだったのだと、オールドタイマーというウェブサイトに寄稿したヨルグ・エンガーという人物は書いている。日本的にドイツのレーシングカラーといえば、シルバーだと相場は決まっていたように思うし、白はそもそも日本だろう、と突っ込みも入れたくなる。でもロッソビアンコの由来はそれだ、と彼は書いている。ちなみにカウスがマセラティをすべて集めるつもりだったと書いたのは、この博物館が閉まると決まった時、カウスと数日間を共にしたというイギリスのモータージャーナリスト、ダグ・ナイであった。
ことほど左様に、ピーター・カウスはマセラティに情熱を注いでいたようで、91年に刊行された書籍『ロッソビアンコ コレクション』によれば、23台のマセラティが収蔵されていることになっていた。その後、増減はしたかもしれず、我々が取材に訪れた当時は19台に減っていたものの、それでも博物館の最多台数を占めていたのは間違いない。
今回紹介するのは、その中の4CS 1500 MM(『ロッソビアンコ コレクション』という本によれば)である。マセラティという会社が3人のマセラティ兄弟によって、1914年に創立されたことの解説はほかに譲るとして、会社が最初に作ったのは、車ではなく航空機エンジン用のスパークプラグであった。その後、マセラティの名を冠した最初の車が誕生するのは、1926年のこと。市販車ではなくグランプリカーであった。その後も彼らが作るのは、いずれもレーシングガーばかり。フランス語で小型車を意味する「ヴォアチュレット」(最後のtは読まないのかも?)クラスが確立された1920年代中盤からは、多くのブランドがこのクラスに参戦するようになった。マセラティのティーポ26も、排気量が1.5リッターであったから、このクラスに属する。でもエンジンは直列8気筒であった。
このヴォアチュレットクラスには、今でいう多くのジェントルマンドライバーたちも参戦し、プライベーターとして、メーカーから車両を購入してレースに興じた。つまり、レーシングカーが市販される時代となったわけで、マセラティもこうしたプライベーターたちにマシンを供給することで、利益を得ることとなる。その最初のモデルともいうべき車が、4CS 1100と呼ばれるモデルである。それ以前のティーポ26でも排気量1100ccのマシンを開発したものの、さすがに8気筒に1100ccは重量がかさんで不利だったようだ。そこで、4CSは気筒数を半分にした4気筒の1100ccとされ、ツインカムヘッドとルーツ製スーパーチャージャーを装備することで、8気筒車と同等の出力を発揮したという。エンジンが軽くなったことで、パワーウェイトレシオは格段に向上し、戦闘力も同時に引き上げられていた。
4CS1100が最初に登場したのは、1932年のことで、シャシーナンバー1114を持つこの車は当初4CTRと呼ばれ、1台だけが作られた。Cはシリンダー、後ろ二つのTRはTesta Riportataの頭文字で、取り外し可能なヘッドを意味するという。
4CS1100は1100ccの4気筒スポーツカーを意味し、この名称を持つ車は合計5台が作られた。その後4CS1500が作られたのだが、1100の時代から多くのモデルが1500ccエンジンに乗せ換えられていて、ロッソビアンコに収蔵されていたモデルも、実際には4CS1100として生を受けたモデルである。
シャシーナンバーは1124。最初の二桁が11であることが、1100ccとして生を受けた証拠である。したがって正確な名を記せば、4CS1100が正しい。この車は1935年に製造された3台のうちの1台で、発注したのはスクーデリア・スバルピナであった。そしてこの3台のうち1台は、この年のミレミリアに出場し、総合7位、クラス優勝を遂げている。ドライバーの一人は、後にマセラティの名テストドライバーとなる、グェリーノ・ベルトッキであった。スクーデリア・スバルピナもこのレースに参戦していたが、残念ながら目立った成績を収めてはいない。その後、この車は改造されて新たなボディと1.5リッターエンジンを得ることになった。
大戦中の行方は不明だが、1969年に売却され、海を渡りアメリカに行った。新たなオーナーは、博物館を持ち、ル・マンにも何度も挑戦したブリックス・カニンガム氏。彼の元に行き、コスタメサのカニンガム博物館に収蔵された。この時、さらなるボディ改造と、フロントサスペンションの独立化などが施されている。
カニンガム氏の死後、再びヨーロッパに戻り、ピーター・カウスが新たなオーナーとなった。そして2006年に博物館が閉鎖された後、ボナムスのオークションにかけられ、64万3000ユーロで落札されている。そして、新オーナーの元でボディは再びオリジナルに近いものへとレストアされ、フィアットベースのフロント独立懸架のサスペンションは、これも再びオリジナルのビームアクスルに戻されているという。
文:中村孝仁 写真:T. Etoh