
シトロエン待望の”Voiture a Grande Diffusion”(大衆車)が革新的なサスペンション・システムとともに発表されてから70年、それは後に続く3世代にわたって乗り心地の基準となった。
【画像】独自のシステムが人の心を捉えて離さない。魔法の絨毯のような乗り心地のシトロエンDS、CX(写真6点)
フランスの高級車は成功しないというのが世間一般の定説だ。ところがシトロエンは57年間にわたって、普通の人々に風変わりな車を売るという離れ業を行ってきた。その不思議なものは、一旦あなたの血管の中に入るともう二度と消えないのである。
普通の人々に普通でない車
奇妙な物質は「Liquid HydrauliqueMinerale」(LHM)という名でも知られる。漫画に出てくるような緑色のドロドロした液体が、あの革新的なハイドロニューマチック・サスペンション・システムの中を行き来して、魔法の絨毯のような乗り心地を生み出すのである。1954年にトラクシオン・アヴァンのリアに実験的に搭載されたそのシステムは、はるかに時代に先駆けていた。1985年のCXシリーズ2発表時、プレスリリースの中に「もしこのシステムが今日初めて発表されたとしたら、間違いなく新しい技術的基準を築いたと賞賛されるだろう」と述べられているほどだ。
それにまつわる伝説の類は無数にある。曰く、シャルル・ドゴール大統領を暗殺者の襲撃から救った、あるいは大戦後のフランスの荒れた舗装路がなかなか補修されなかった、さらにロールス・ロイスがライセンスを受けてシルバーシャドウに採用したほど優れていた、などなどである。ハイドロニューマチックは豪華なSMや小型車のGS、BXやエグザンティア、C5などにも搭載されたが、本来はフルサイズの DSやCX、XM、そしてC6向けのサスペンションである。そこで4世代すべての車でリラックスできる乗り心地を試してみた。
革命のDS
2025年はDS誕生70周年だったが、まずは意識を再設定したほうがいいかもしれない。1955年の英国の地方都市で、考え事をしながら道を歩いていることを想像してほしい。のろのろ進むスタンダード・エイトやフォード・アングリアの群れの中で、突然ニューススタンドにシトロエンDSの写真を発見する。本物の宇宙船がパリに着陸したという。それはきっとよろめくほどに衝撃的だったに違いない。いったいどうやったら、妖精のような形のものが普通の人々にとって移動の手段になるのだろうか。プラチナ・ジュビリーを迎えた今でも、その時の衝撃は少しも失われていないのである。
改めて言うまでもないが、DSは「 Deesse」と発音し、フランス語で女神を意味する。実にその姿に相応しい、象徴的な呼び名である。DSは一般的な方法でデザインされた車ではない。フラミニオ・ベルトーニの初期のスケッチは「カバ」とあだ名されたというが、コンセプトが進むにつれてクラシカルなトラクシオン・アヴァンの後継モデルは川の中をさまよう小石のように滑らかに磨かれていったという。シトロエンの会長だったピエール-ジュールズ・ブーランジェの指揮の下、エンジニアのアンドレ・ルフェーブル、そしてポール・マジェのハイドロニューマチックという切り札が加わって生まれた車はどこを見ても宇宙船のようだった。ブーランジェは”Voiture a Grande Diffusion”(VGD=大衆車)の開発に際しては、あらゆる手段を尽くすことを強く主張していた。ブーランジェは1950年11月、開発中のドライブトレーンを備えたトラクシオン・アヴァンを運転中に事故死したが、ルフェーブルと彼のチームは困難に挫けずに計画を進めた。初期には空冷フラット6も候補に挙がったが、予算がそれを許さず、トラクシオン・アヴァンの4気筒を改良して使用することになった。1954年の秋、VGDは正式にゴーサインを得た。夢のようなDSの準備が整ったのである。
ロベール・オプロンがデザインしたいわゆる「シリーズ3」、すなわち1967年末にフェイスリフトしてカバー付きヘッドライトを備えたDSも美しいが、マイルズ・トーマスが所有するフェイスリフト前の 1967年型 DS21はより純粋な魅力を持っている。彼の説明によれば、もともとのボディカラーはバーガンディーだったという。「できるだけオリジナルで、中身の状態が良い車を探していた英国のエンスージアストがフランス南西部の納屋に30年以上も放置されていたものを見つけたと聞いている。その後発表当時の色に塗り直したらしい」
レストアはグレーヴセンドのパラス・オートで行われた。エンジンをリビルドし、サスペンション・システムをオーバーホール、さらにボディを完璧に仕上げた後に1955年当時のグリーンとホワイト(ブラン・カラール:カララ大理石の色)に塗り直した。インテリアは濃い緑に仕上げられたが、時代的に正しい色ではないのではないかという議論があったという。もちろん素晴らしい出来栄えであることに疑いはない。マイルズはこの車で国内外のイベントに参加し、今後の予定もびっしり詰まっている。
キーを捻り、スロットルペダルを踏み込んでスターターボタンを押すと、2175㏄のエンジンは特徴的なリズミカルなアイドリングを始める。おそらくは6インチ(約 15cm)ものシートクッションに埋もれているせいで、さらにカーペットの下にも分厚いパッドが敷かれているおかげでかなり和らげられてはいるが、横方向の揺れも感じる。コラムシフトは滑らかに動くものの、ブレーキはちょっと慣れが必要だ。一般的なペダルの代わりの、ゴム製のキノコのようなペダルは、ほとんどオン/オフ・スイッチのように敏感だが、一度慣れれば楽に使える。もちろん特筆すべきは乗り心地である。夢の揺りかごの中にいるような、雲の中に浮く角砂糖にアブサンをたらすようにまったく蕩けるような乗り心地である。第二次大戦後のフランスのように現代の英国の道も穴でデコボコだが、DSはまるで気づかないようだ。
希少な右ハンドルCXプレスティージュ
CXは今も、そしてこれからも変わらず気位の高いパリジャンである。このサリー州のみずみずしい緑の中にあっても、ゴロワーズを吹かしながらパリ7区を散歩しているかのようだ。奇妙なリアスポイラーの作る複雑な影はエッフェル塔のそれを思い起こさせ、それはアンドレ・シトロエンの名が輝いていた時代の記憶につながる。実際にはCXはそのランドマークから20kmほど離れたオールネイ・スー・ボワに建設された新工場で生産された。
DSからCXへのモデルチェンジがとんでもない難題であることは明白だった。単にDSではないということだけで、批判を受けることも容易に想像することができた。ところが、エグゼクティブサルーンにエアロダイナミックなノーズと切り落としたカムテールを与えることで生み出された4ドアクーペのスタイルは、結果的に何十年も時代を先取りすることになった。DSからCX、そしてXMからC6までのルーフラインを見れば、各モデルそれぞれの特徴を持ちながらも、同じ思想を持つ一族であることが伺える。
リチャード・ヘッドが所有する87年型 CXはきわめて例外的なスペックを持っている。それはプレスティージュであり、ということはワゴン仕様と同じほとんど30cmも長いホイールベースを持ち、退廃的なほど広いレッグルームを備える贅沢なモデルだが、一方でターボ2の刺激的なパワートレーンを備えている。およそ1100台の左ハンドル車が生産されたというが、右ハンドル仕様はたったの5台のみ、しかもネプチューン・グレーのボディカラーはこの1台のみと言われている。もともと英国向けのこのCXは20年あまりをフランスで過ごした後に送り返され、眼が飛び出るほどの費用をかけてレストアされた。
インテリアはオリジナルに代えてドイツ仕様のプレスティージュから流用、他にもリチャードは当時の装備品にこだわっており、リアウィンドーのルーバーや80年代の最高級オーディオ、加えて奇妙なブラウプンクトのリモコンも備わる。ステレオ本体は左脚の太腿辺りに備わるためにこのリモコンは有効だ。
走り出せば、まさに大統領車に相応しく洗練されている。ふかふかだが、収まりの良いシート、ステアリングホイールの10時と2時を握った手から近い場所に配置されたスイッチ類が特徴的だ。パワーはターボブーストが効いても内臓が捩じれるほどではないが、豪勢に滑らかに湧き出るトルクのおかげで、地平線のかなたまで飛んでいけると感じさせられる。このようなラグジュアリー・サルーンには似つかわしくないほどのパンチを秘めているのである。
言うまでもなく車全体の印象を支配するのはサスペンションである。漫画のように傾くDSとは対照的に、CXのハイドロニューマチックはロールをしっかりとコントロールし、路面の不整を無視するのではなく、押し付けて均すように進む。リムジンであると同時にホットロッドでもある。VGDのコンセプトは敏捷で快適でなければならないというものだったが、この CXはまさにそれを体現している。
・・・【XM、C6編】へ続く。
1967年シトロエンDS21
エンジン:2175㏄ 4気筒 OHV、ウェバー・キャブレター×1基
最高出力:109bhp/5500rpm 最大トルク:128lb-ft(174Nm)/3000rpm
トランスミッション:4段 MT、前輪駆動 ステアリング:ラック・ピニオン、油圧アシスト
サスペンション(前):ダブルウィッシュボーン、車高調整付きハイドロニューマチック・スフィア
サスペンション(後):トレーリングアーム、車高調整付きハイドロニューマチック・スフィア
ブレーキ:インボード・ディスク(前)/ドラム(後) 車重:1293kg
パフォーマンス:最高速 110mph(177km/h) 0-60mph加速:12.2秒
1987年シトロエンCX25プレスティージュ・ターボ2
エンジン:2499㏄ 4気筒 OHVターボ、燃料噴射
最高出力:168bhp/5000rpm 最大トルク:217lb-ft(294Nm)/3250rpm
トランスミッション:5段 MT、前輪駆動 ステアリング:ラック・ピニオン、パワーアシスト
サスペンション(前):ダブルウィッシュボーン、車高調整付きハイドロニューマチック・スフィア
サスペンション(後):トレーリングアーム、車高調整付きハイドロニューマチック・スフィア
ブレーキ:ディスク、ABS 車重:1440kg
パフォーマンス:最高速 138mph(222km/h) 0-60mph加速:7.7秒
編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA
Words:Daniel Bevis Photography:GF Williams