福士蒼汰が主演するフジテレビ系ドラマ『東京P.D. 警視庁広報2係』(毎週火曜21:00~ ※全話放送終了後、FODでseason2独占配信)の第7話が、10日に放送された。

今作は数多く制作されてきた“警察ドラマ”の中でも、知られざる「警視庁広報課」を舞台にした完全オリジナル作品。物語が佳境に入る第7話、その構成の妙はいよいよ極まった。

  • (左から)味方良介、福士蒼汰 (C)フジテレビ

    (左から)味方良介、福士蒼汰 (C)フジテレビ

このタイミングで“コミカル”だった理由

これまでの本作は、従来の警察ドラマと比較しても極めて社会派でハードな手触りを持っていた。制作がフジテレビということもあり、放送開始当初、今作に向けられる視聴者側の目線は決して甘いものではなかったはずだ。

しかし、初回で描かれた警察官による殺人事件の“隠蔽”、続く“実名報道”がもたらす遺族の葛藤――ポップでエンタメ性の強いイメージのあるフジテレビが、ここまで骨太で容赦のない作品を世に送り出すという意外性も相まって、視聴者は本作から並々ならぬ「本気」を見たに違いない。

だが、第5話・第6話と進むにつれ、社会派という骨格は維持しながらも、多重構造の事件や鮮やかな伏線回収といったエンターテインメントとしての純度も急速に高めていった。それは“誘拐事件”や“通り魔”というセンセーショナルな題材が、物語をドライブさせた側面も大きいだろう。

そんな硬軟併せ持つ本作が、第7話で見せたさらなる一面が、意外にも“コミカル”だった。人間模様を丁寧に積み上げてきた本作なら、軽妙な描写も十分に成立することの証明でもあるのだが、なぜこのタイミングで“コミカル”だったのか。その答えは、広報2係長・安藤(緒形直人)が放った一言に集約されている。

「“金の事件”は世間に関心を持たれない。世論が広がらなきゃ、ただのニュースで終わる」

作劇の定石としても、“金の事件”をエンターテインメントに昇華させるのは極めて難しい。動的な展開に乏しく地味な心理戦が続くため、映像的なカタルシスを生み出しにくいからだ。特に“汚職”というテーマは、フィクションであっても現実の生々しさが常につきまとい、勧善懲悪のきれいな着地を拒絶する。

しかし今作は、序盤の“社会派”で視聴者の信頼を勝ち取り、中盤の“エンタメ”で良質な娯楽体験を提供してきた。この盤石な土台があったからこそ、あえて“コミカル”というオブラートに包むことで、描きにくい“金の事件”を物語の核心へと封じ込めてみせたのだ。

もし序盤からこの軽妙さを出していれば、作品の深層にあるテーマは看過され、単なる“いつもの”として消費されていたかもしれない。しかし本作は、急なトーンの変化にも耐えうる強固な骨組みを既に証明しており、むしろコミカルさを逆手に取って、地味で難解な汚職事件を最後まで見せきるという、実に巧妙なテクニックを披露したのである。

“巨悪を一掃させない最大の土壌”への風刺

さらに唸らされたのは、今回の“コミカル”が、前2話での主人公・今泉(福士)の“大活躍”へのカウンターだった点だ。今作は主人公を安易にヒーロー化しない。前回までの活躍を「たまたま上手くいっただけ」とコミカルに相対化し、慢心による暴走を危惧する仲間たちや、それを見守る上司の構図を浮き彫りにした。これは1話完結の形式をとりながらも、連ドラ全体を横断する極めて重層的なキャラクター描写といえる。

しかも物語の終盤、今泉を案の定の失敗として落とすのではなく、今回の案件がそう簡単に解決するほど甘いものではないという、現実の非情さを浮き彫りにした。前半の“コミカル”によって、後半待ち受ける“シビア”を鮮明にしてみせたのだ。この構成の妙には、もはや戦慄すら覚えてしまう。

しかし、ここで真に戦慄すべきは、「世論が広がらなきゃ、ただのニュースで終わる」という言葉が、我々視聴者にも向けられているということだ。

なぜ“金の事件”を描くのに、これまでなかった“コミカル”を用いてまで、“見やすく”する必要があったのか。それは、我々世間が“エンタメ”や“面白さ”という刺激がなければ、社会を蝕む巨悪にすら関心を持とうとしないからに他ならない。地味だと決めつけた不正を退屈だと切り捨て、分かりやすい勧善懲悪のみに喝采を送る我々の無関心こそが、巨悪を一掃させない最大の土壌となっているのではないか。

“コミカル”は、そんな私たちへの風刺だったのではないか。そこまで巧妙に仕組まれた今作。“面白さ”という名の毒を飲み下しながら、その結末を静かに注視したい。

  • (C)フジテレビ