東京スタジアム、大阪球場(写真:産経新聞社)

 

 現在、プロ野球の各チームが本拠地とする球場は、歴史が長い球場から新しく建てられたところまで、さまざまな特性を持っている。廃止された球場の中には、今はその面影を残していないところもある。そこで今回は、すでに運営が廃止され、今は球場としての形を残していない“元野球場“を紹介する。[1/6ページ]

東京スタジアム

[caption id="attachment_251149" align="aligncenter" width="530"] 東京スタジアムご自慢の照明灯(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

 所在地:東京都荒川区南千住

 廃止:1972年

 最大収容人数:35,000人前後

 

 使用球団(開催実績)

 ・大毎オリオンズ(1962–1968)

 ・ロッテオリオンズ(1969–1971)

 ※オールスター開催実績あり

 

 現在の跡地情報

 ・住宅地・再開発エリア

 ・球場の形状は完全消滅

 

 東京の下町・荒川区南千住にかつて存在した東京スタジアム。毎日大映オリオンズが本拠地に使用していた球場だ。

 

 1962年に開場した同球場は、サンフランシスコ・ジャイアンツの球場をモデルにし、当時では内外野に天然芝を使用した唯一の球場。

 

 スタンド下にボウリング場を設置するなど、異色の球場として賑わった。

 

 

 

 ロッテオリオンズに名を変えた1970年、パ・リーグ制覇を達成。球団オーナーの胴上げも東京スタジアムで実施された。

 

 だが、観客数が伸び悩んだ上、親会社である大映の経営悪化なども重なり、経営に行き詰まってしまう。最終的に、開場から11年目の1972年に閉鎖が決定した。

 

 現在、跡地には荒川総合スポーツセンターや南千住野球場などが建っており、当時の面影を探すことは難しい。

 

 それでも、多くのファンが駆けつけ、熱狂を生んだ東京スタジアムは今後も語り継がれることだろう。

 現在、プロ野球の各チームが本拠地とする球場は、歴史が長い球場から新しく建てられたところまで、さまざまな特性を持っている。廃止された球場の中には、今はその面影を残していないところもある。そこで今回は、すでに運営が廃止され、今は球場としての形を残していない“元野球場“を紹介する。[2/6ページ]

 

小倉到津球場

 

 

 

 所在地:福岡県北九州市小倉北区

 廃止:1999年

 最大収容人数:20,000人前後

 

 使用球団(開催実績)

 ・クラウンライターライオンズ

 ・太平洋クラブライオンズ

 ※平和台との併用開催

 

 現在の跡地情報

 ・到津の森公園

 ・住宅地・公共施設

 ・当時のスタンド構造は残存せず

 

 福岡県北九州市にあった小倉到津球場は、オープン戦のみが開催された球場だ。

 

 1924年に開業。同球場は陸上競技場を兼ねていたことから、レフトは85メートルという珍しい形をしていた。

 

 1934年には日米野球が開催され、ベーブ・ルースがホームランを打ったことでも知られている。

 

 

 

 戦前は都市対抗野球に加えて、八幡製鉄と門司鉄道管理局の「製門戦」が開催され、多くの野球ファンが駆けつけたと言われている。

 

 プロ野球は大阪タイガース(現:阪神)と東京巨人軍(現:読売)に加え、名古屋軍(現:中日)など、複数の球団がオープン戦を開催した。

 

 しかし、公式戦の開催実績はなく、第二次世界大戦の最中に球場が廃止された。

 

 跡地にはショッピングモールの「アクロスプラザいとうづ」があり、到津の森公園もある。歴史は短くとも、その原風景がなくなることはない。

 現在、プロ野球の各チームが本拠地とする球場は、歴史が長い球場から新しく建てられたところまで、さまざまな特性を持っている。廃止された球場の中には、今はその面影を残していないところもある。そこで今回は、すでに運営が廃止され、今は球場としての形を残していない“元野球場“を紹介する。[3/6ページ]

 

大阪スタヂアム(大阪球場)

[caption id="attachment_242171" align="aligncenter" width="530"] 大阪球場(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

 所在地:大阪府大阪市南区難波

 廃止:1988年

 最大収容人数:32,000人前後

 

使用球団(開催実績)

 ・南海ホークス(本拠地)

 ※オールスター、日本シリーズ開催

 

 現在の跡地情報

 ・なんばパークス

 ・商業施設・オフィスビル

 ・外形の名残はほぼ無し

 

 大阪・難波に存在した大阪スタヂアムは、パ・リーグの名門、南海ホークス(現・ソフトバンク)の本拠地として数々のドラマを生んだ球場だ。

 

 終戦からわずか数年後の1950年に誕生。「昭和の大阪城」と呼ばれた同球場は、限られた敷地内に3万人以上を収容するスタンドを設ける必要があったため、観客席の傾斜は非常に急なものとなった。

 

 1959年、入団2年目の杉浦忠が38勝、防御率1.40と異次元の成績をマーク。リーグ優勝と日本一を成し遂げ、スタジアムがもっとも賑わった1年だった。

 

 

 

 ただ、南海が低迷期に突入すると、球場は空席が目立つように。そして南海がダイエーに球団譲渡を決定し、本拠地移転にともなって閉鎖が決まった。

 

 1988年に閉鎖され、2003年に「なんばパークス」が開業。多くの人が行き交う場所となった。

 

 また、9階には「南海ホークスメモリアルギャラリー」があり、今もなお歴史を振り返ることができる。

 現在、プロ野球の各チームが本拠地とする球場は、歴史が長い球場から新しく建てられたところまで、さまざまな特性を持っている。廃止された球場の中には、今はその面影を残していないところもある。そこで今回は、すでに運営が廃止され、今は球場としての形を残していない“元野球場“を紹介する。[4/6ページ]

 

洲崎大東京球場

 

[sp_ad]

 

 所在地:東京都江東区洲崎

 廃止:1943年

 最大収容人数:30,000人前後

 

 使用球団(開催実績)

 ・大東京軍(後のライオン軍)

 ・名古屋軍

 ・戦前公式戦開催

 

 現在の跡地情報

 ・住宅地・倉庫・工場地帯

 ・具体的な球場痕跡は確認困難

 

 1936年に開業するも、実働2年にとどまった球場が洲崎大東京球場である。

 

 大東京軍の本拠地として、わずか3ヶ月で完成となった同球場。当時、東京ではプロ球団が使用できる球場がなかったため、短納期で完成させる必要があったのだ。全体的に簡易な造りと言われていた。

 

 海抜が低く、すぐそばまで波が押し寄せる立地だったため、満潮時になるとグラウンドに海水が染み出すことも。

 

 

 

 海水の流入が原因で、オープン戦では水没コールドゲームという珍事も発生した。

 

 1937年には90試合以上が開催されたものの、翌年は試合数が激減。その後は後楽園球場の完成もあり、公式戦の開催がないまま1943年に廃止された。

 

 巨人の沢村栄治やヴィクトル・スタルヒン、阪神の景浦将など、数々の名選手もプレーした洲崎大東京球場。

 

 巨人と阪神による日本一決定戦が開催され、伝統の一戦の歴史は脈々と受け継がれている。

 現在、プロ野球の各チームが本拠地とする球場は、歴史が長い球場から新しく建てられたところまで、さまざまな特性を持っている。廃止された球場の中には、今はその面影を残していないところもある。そこで今回は、すでに運営が廃止され、今は球場としての形を残していない“元野球場“を紹介する。[5/6ページ]

 

県営兼六園野球場

[caption id="attachment_251150" align="aligncenter" width="530"] 県営兼六園野球場の阪神の遠井吾郎と村山実(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

 所在地:石川県金沢市

 廃止:1973年

 最大収容人数:20,000人前後

 

 使用球団(開催実績)

 ・プロ野球公式戦開催(地方開催)

 ・読売ジャイアンツなど主催試合

 

 現在の跡地情報

 ・公園・公共施設エリア

 ・当時の球場構造は残っていない

 

 日本三名園の1つである兼六園、その名前が記された球場が県営兼六園野球場である。

 

 1947年に石川県で石川国民体育大会が開催されることに伴い、開業された同球場。開業当初は両翼85メートル、中堅までは90メートルと非常に狭く、投手泣かせとも言える球場だった。

 

 1949年に開催された巨人−大映の試合では、1試合で13本塁打が生まれる乱戦に。その後再び拡張され、両翼99.1メートル、中堅122メートルの広さに生まれ変わった。

 

 

 

 1948年から毎年プロ野球が開催され、北陸地方のファンを賑わせたが、施設の老朽化などが問題に。

 

 また、周辺地域の宅地化という事情も重なったことから、1973年に球場が廃止された。

 

 跡地には石川厚生年金会館(現:本多の森北電ホール)が建てられたが、球場の扇形に沿った形が維持された。

 現在、プロ野球の各チームが本拠地とする球場は、歴史が長い球場から新しく建てられたところまで、さまざまな特性を持っている。廃止された球場の中には、今はその面影を残していないところもある。そこで今回は、すでに運営が廃止され、今は球場としての形を残していない“元野球場“を紹介する。[6/6ページ]

 

立命館衣笠球場

 

 

 

 所在地:京都府京都市北区衣笠

 廃止:1967年

 最大収容人数:15,000人前後

 

 使用球団(開催実績)

 ・松竹ロビンス(準本拠地扱い試合あり)

 ・プロ公式戦開催実績あり

 

 現在の跡地情報

 ・立命館大学衣笠キャンパス敷地

 ・校舎・グラウンドへ再整備

 ・球場形状の名残は無し

 

 立命館大学の敷地内に建設された野球場が、立命館衣笠球場、通称「衣笠球場」だ。

 

 1948年に開業され、同年には立命館大学と同志社大学の試合が開催された。松竹ロビンスが専用球場として使用した時期もあり、プロ野球の開催実績も少なくない。

 

 ただ、1951年に木造スタンドの一般使用が禁止。さらに翌年には、立命館大学が学外の使用を禁止したことから、公式戦開催はわずか66試合のみに終わった。

 

 

 

 閉鎖後は運動場が整備されたのち、校舎も建設。球場形状の名残は残っておらず、跡地に建てられた立命館大学衣笠キャンパスは、多くの学生や教職員によって活気を見せている。

 

 球場の面影こそ残っていないが、周辺の電柱には「衣笠球場」「キヌガサキュウジョウ」と書かれたプレートも点在している。

 

 関西のプロ野球ファンにとって、思い出の球場として記憶に残る人もいるだろう。

 

 

【了】