福士蒼汰が主演するフジテレビ系ドラマ『東京P.D. 警視庁広報2係』(毎週火曜21:00~ ※全話放送終了後、FODでseason2独占配信)の第5話が、24日に放送された。

今作は数多く制作されてきた“警察ドラマ”の中でも、知られざる「警視庁広報課」を舞台にした完全オリジナル作品。今回は、刑事ドラマの王道ともいえる誘拐事件をフックに、その裏側で繰り広げられる「報道協定」による攻防戦がスリリングに描かれた。

  • (左から)緒形直人、福士蒼汰 (C)フジテレビ

    (左から)緒形直人、福士蒼汰 (C)フジテレビ

王道の器を借りながら全く異なる手触りのエンタメに

エンターテインメントにおいて、“誘拐”という題材は勝利の方程式だ。事件の発生、身代金の要求、「警察には連絡するな」という犯人の定型句、逆探知やタイムリミット、そして受け渡しを巡るスリル……。それらの記号を並べ、警察と犯人の攻防を緻密に描けば、おのずとエンターテインメントとしての純度は高まる。いわば、型が決まっているからこそ外しようのない“鉄板”のトピックスなのだ。

しかし、今作が描いた“誘拐”はどうだっただろうか。そこには使い古されたはずの事象が並びながらも、全く異なる手触りのエンターテインメントが立ち上がっていた。その要因は、徹底して「広報課の視点」を貫いたことにある。

誘拐事件における「報道協定」とは、取材・報道されることによって被害者の生命に危険が及ぶおそれがある場合、警察の申し入れを受け、それに合意した記者クラブ加盟メディア(新聞・テレビ・ラジオなど)が自制するという取り決め。言葉としては聞きなじみがあっても、その実態はベールに包まれたルールである。それをHOW TO的に提示しながら、発動される瞬間の広報課の殺気、特ダネを狙うマスコミとの衝突、スパイ映画さながらの警察内部での情報戦、そして情報の“出し入れ”だけで事態を反転させてしまう恐怖を克明に描いていった。

特に、広報課ならではの逆転の発想で人命を救い、同時に捜査二課が追っていた議員の汚職までも解決へと導いた終盤の展開は、これまでの重苦しさを一変させるほどの痛快さを備えていた。王道の誘拐モノという器を借りながら、中身を「情報の行方」という全く別のゲームに差し替えてみせた手際。これには唸らざるを得ない。

  • (C)フジテレビ

    (C)フジテレビ

薄ら寒い“リアル”が爽快感を常に侵食

しかし、これほどのカタルシスが提示されながらも、今作をエンターテインメントとして手放しに「面白い!」と称賛できないのも事実。それは本作がどこまでも、現実の歪みを映し出す「写し鏡」であることをやめないからだ。

劇中では、警察もマスコミも、最優先すべき人命を前にしながら、一瞬、自らの威厳や保身、あるいはジャーナリズムという名の功名心に足を取られそうになる。その危うさは、決してフィクションの中だけの話ではないだろう。私たちが生きるこの社会でも、正義という看板の裏側で、常にエゴが真実を歪めようとしているのではないか。

また、私たちがニュースで見慣れた「あの映像」さえも、広報課によって“撮らされた”ものかもしれない……。そんな舞台裏を知ってしまうことは、日常の風景を剥ぎ取られるような新たな恐怖を呼び起こす。この薄ら寒い“リアル”が、ドラマとしての爽快感を常に侵食してくるのだ。

結局のところ、私たちはこのドラマに“面白さ”ではなく、一種の“毒”を求めているのかもしれない。見終えた後に残る、わずかだが圧倒的な違和感。それこそが、情報に踊らされ、感覚が麻痺した現代を生きる私たちが、知らぬ間に摂取すべき“解毒剤”なのだろう。

今後の物語の鍵は、今回当然のように描かれた「内通者」の存在だろうか。それを通じて暴かれるのは、組織の崩壊か、それともさらなる深淵か。私たちは、これから起こるクライマックスをただ戦慄して見守ることしかできない。

  • (C)フジテレビ