
20年前、ブガッティ・ヴェイロンの登場は自動車界を震撼させた。最初に乗ったジャーナリストの一人が本誌のライターだった。そんな彼が、この伝説的な一台を改めて語る。
【画像】20年前に異次元のスペックを備え登場したブガッティ・ヴェイロン。エンジンはW16を搭載(写真5点)
コンディションは完璧だった。路面はドライで日差しの温もりを感じる午後、交通量が少ない時間帯のアウトバーンまであとの数メートルという場所にいた。合流路から本線に入ると前方に何もいないことを確認し、念のためにルームミラーで後方をチェックした。いま思えば、なぜそんなことをしたのかさっぱり分からないが、アクセルペダルを床まで踏み込んだ。ほんの数秒のうちにスピードメーターは80km/hから300km/h近くまで一気に駆け上がった。背後から押し寄せる巨大で信じ難いほど強烈な推進力は、私が文字通り”腰砕け”になるまでずっと続いているように感じられた。驚愕したのは推進力だけではなく、シームレスで容赦ない加速の性質そのものだった。まるで時間と距離を圧縮するかのようで、信じ難い体験だった。
1001psという未到達領域達成の命
もう20年前のことだ。私がヴェイロンに不意を突かれたわけではなかった。「世界最速」の称号を手にしたばかりのヴェイロンの試乗にあたって当時、最高出力600ps超を誇るポルシェ・カレラGTとフェラーリ・エンツォ、つまり最高峰のスーパーカー2台を駆って出向いたのだ。十分に心構えはできていた、はずだった。しかし、ヴェイロンのアクセルペダルをたった一度踏み込んだだけでカレラGTもエンツォも、”熱意はあるが無力”であることに気づかされた。
2005年当時、ヴェイロンのスペックは異次元だった。いや、今でも特異と言えるだろう。見出しを飾ったのは最高出力1001ps(987bhp)、最高速度250mphという数値だった。あまりに浮世離れしていて、なんとなく抽象的にさえ思えてくるものだった。実際に1001psすべての威力が重量2トン近いヴェイロンを250mphへと猛烈に押し進める凄まじさを体感するまでは。停止状態から70mphまでの加速はほぼ1G(0-60mph加速は2.5秒)に迫り、そこから186mphまではわずか14秒で、平均0.65Gを発生する。0-250mph加速は55秒。言葉を選ばずに記すなら、バカげている。
あれから20年後の今、再び私は準備万端でヴェイロンの運転に挑むことになった。偶然にもここ数日間、新型ハイブリッド・スーパーカーのランボルギーニ・レヴエルトを駆っていた。システム合計最高出力はbhp表記で1001(1029ps)を誇る。果たしてヴェイロンは今でも衝撃的な速さを感じさせるのだろうか?そして、レヴエルトと同じくらい速く感じるのだろうか?
まず言えるのは、時の経過とともにヴェイロンは記憶よりも小さいことだ。そして、全幅はワイドに感じる。ヴェイロンは常に驚くほどコンパクトだったが、それはおそらく当初、世界最速の車として構想されていなかったからだろう。1998年にブガッティ・ブランドを買収したフォルクスワーゲン・グループは翌年、後にヴェイロンとなる最初のコンセプトカー「18/3シロン」を発表した。これは4WDのランボルギーニ・ディアブロVTをベースとし、3バンクの狭角VR6を共通クランクシャフトに組み合わせたW18エンジンを搭載していた。自然吸気の W18エンジンは最高出力563psと謳われていた。そして同年後半、18/3シロンは「18/4ヴェイロン」となり、依然としてW18を搭載していたが、より完成車に近いルックスを纏っていた。
そして2000年、ジュネーヴモーターショーにて、フォルクスワーゲン・グループ会長のフェルディナント・ピエヒは”最高出力1001ps、最高速度250mphを誇るヴェイロンを市販化する”と発表し、世界を(そしておそらく自社の多くのエンジニアたちを)驚愕させた。彼は意図的に公の場で宣言したのだ。エンジニアたちに大胆で野心的な目標の達成を迫ることは、彼のキャリアにおいても一貫している。ポルシェ917、アウディ・クワトロなどの実現がその証左である。フォルクスワーゲン・グループの社内規定により2002年に65歳で退任となる前に、ピエヒは自らのキャリアの集大成として前代未聞のハイパーカーを世に送り出したかったのだろう。
W型16気筒+4ターボの選択
先に謳った1001psという最高出力を達成するためにW18を放棄し、狭角V8を2バンク組み合わせ4基のターボチャージャーで過給するW16を採用するよう説得された。それでもヴェイロンの開発は困難を極め、遅延し、プレス向けデモンストレーションの場でクラッシュするなど、良からぬかたちでも世間の注目を集めることとなった。2003年、銀行家でありレーシングドライバー、そして元マクラーレンF1オーナーでもあるトーマス・ブシャーがプロジェクト完遂のためブガッティの社長に招聘された。
「純粋にカオスと呼べる状態でした」と彼は振り返る。「空気抗力(ドラッグ)が過大で、基本的なパッケージングだけで600以上の問題があり、冷却問題が未解決で、声高に宣言してしまった最高出力は紙の上にしか存在しませんでした」と続けた。一方、新たにフォルクスワーゲン・グループの会長職に就いたベルント・ピシェッツリーダーはヴェイロンの”性格”に異議を唱え、あまりにハードコアで、レーシングカー的すぎると評した。
エンジニアたちは当初、8.0リッター・クワッド(4基)ターボエンジンから十分にパワーを引き出すことができなかった。というのも、W16エンジンが必要とする燃料供給レートに対応できる燃料ポンプが存在しなかったのだ。最高速度での走行時、ヴェイロンは100リッターのタンクをわずか12分で空にしてしまう。燃料供給システムを白紙から開発する必要があった。さらに別の問題もあった。1000ps超を発生させるために、エンジンは実際には3000psの燃焼エネルギーを生み出す必要があった。残りの2000psは熱と騒音として失われる。早い話、大がかりで複雑な冷却システムが必要だったのだ。事実、ヴェイロンは10基のラジエーターを備えることになった。
紆余曲折を経てヴェイロンが正式にデビューしたのは、2005年のことだった。ピエヒが約束したあらゆる面において、れもなく攻撃性を秘めている。一方、大多数のスーパーカーは要望通りに応えたのはブガッティ社の功績である。ヴォルフスブルクから約20km離れたフォルクスワーゲン・グループのエーラ・レッシェン・テスト施設で記録された、検証済み(そして驚愕の)最高速度253mph(407km/h)も含めてである。新車時価格の100万ユーロにも驚いたものだが、それでも同社は販売する1台ごとに赤字を出していると噂された。しかしピエヒはこの噂を否定し、2006年末にこう述べている。「我々は今、販売するヴェイロン1台ごとに利益を上げています。そして、シャトーの改装費(本社社屋)を含むブガッティ事業全体のコストは、中堅F1チームの1シーズン参戦予算を下回っています」(編集部註:シャトーとはエットーレ時代のゲストハウス、シャトー・サン・ジャンを示す。VWGはその周囲を入手して歴史的なシャトーを本社とし、敷地内に新ブガッティの生産工場を設置。エットーレ時代のブガッティを環境面からも蘇らせた)
価格とパフォーマンスは別として、ヴェイロンは他に類を見ないスーパースポーツカーだった(今でもそうだ)。角が取れた小石のように滑らかで”ツルン”とした印象を与えながら、紛れもなく攻撃性を秘めている。一方、大多数のスーパーカーは派手で大きなスポイラーを装着しているものだ。対する世界最速の車は、自らの強さを声高に叫ぶ必要がなかったのだろう。
・・・後編へ続く
編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom)
Words:John Barker Photography:Charlie Magee
取材協力:Furlonger Specialist Cars(simonfurlonger.co.uk)+Mr.Egon Zweimuller