静岡県の公立高・沼津商の大型キャッチャー・後藤幸樹選手。恵まれた体格からの強肩、強打に加えて50メートル5.9秒の俊足を誇り、多くのスカウトも視察に訪れているプロ注目選手。そんな後藤選手に小・中学生時代のことを中心に、ここまでの野球ヒストリーについて聞きました。


<上手くなっている実感、それが楽しかった小学生時代>

——野球を始めたきっかけから教えてください。

4つ上の兄がやっていた影響で3歳の頃から野球をやっていて、1年の時に「沼津ヒーローズ」という軟式チームに入りました。

——練習の頻度はどれくらいでしたか?

練習は土日と水曜日の週3回で、練習がない日は学校から帰ったら直ぐにバットを握って庭で素振りをしたり、兄とキャッチボールをしたりしていました。バットを握るのがとにかく大好きで、よく1人でプロ野球選手の真似をしたりして遊んでいました。

——試合に出始めたのはいつくらいからですか?

小2の時にレギュラーになって、7番レフトで試合に出ていました。

——2年生からレギュラーとはすごいですね。部員はどれくらいいましたか?

20人くらいはいたと思います。小さい頃からプロ野球選手になりたくて、毎日野球漬けだったので、ボールの捕る、投げるがちゃんとできたのと、あとは結構打てていたので、それで試合に出してもらっていたと思います。

——練習の雰囲気はどんな感じのチームでしたか?

怒声や罵声もなくて練習は毎回楽しい雰囲気でやっていました。たまに厳しいときもあるかなというくらい。練習を毎回楽しみにしていました。

——いま振り返ってみて、野球の練習が「楽しい」と思えた理由はどこにあったと思いますか?

指導者の方の教え方が良かったと思います。ゲーム形式で楽しくやりながらも、そのなかで自然に野球の正しい動きや形が身につくようになっていて、自分でも段々上手くなっている実感もあって、それが楽しかったのだと思います。

——チームの強さ的にはどうでしたか?

最上級生になった時はコロナの影響で県大会が二つに分かれてしまったのですが、その一つの方の大会で県のベスト8まで行きました。そのときのポジションはピッチャーで、打順は1番を打っていました。

——高校では打力もプロに評価されているようですが、小学校のときにスタンドインのホームランを打ったことはありますか?

8本くらい打ったと思います。

<中学で両方経験した、自分に合うチーム、合わないチーム>

——中学のチームはどのようにして選びましたか?

いくつかの硬式チームに声を掛けていただいて、そのなかで室内練習場があるチームがあって、設備が揃っていて良いなと思ってそのチームにしました。でも中2の夏にそのチームを辞めて軟式野球チームに移籍しました。

——辞めた理由は?

自分自身が伸び悩んでいたのもありますし、小学校の時は野球が楽しかったのですが、ちょっと厳しくなって精神的にしんどいなと感じたり、親にも結構負担を掛けているなと思ったり・・・・・・色んなことが重なって「もう野球を辞めたいな」と思ったんです。小学校時代とは真逆の雰囲気の、硬式チームならではの厳しさに自分がついていけませんでした。

——移籍した「伊豆ベースボールクラブ」はどんなチームでしたか?

小学生時代と似た雰囲気の楽しい感じのチームでした。こっちのほうが自分に合っているなと思いましたし、途中からの入部でしたけど中学最後の1年間に随分伸びたなと感じることができました。

——硬式から軟式に変わったことでプロ野球選手になる目標は変わらなかった?

そうですね。目標は遠くなったと思って諦めそうになっていました。でも父に話したら「中学時代に軟式をやっていたプロ野球選手もたくさんいるよ」と教えてもらって、それを聞いてもう一回頑張ろうと思うことができました。

——現在の身長が180センチということですが、いつくらいから伸びましたか?

中学に入った頃が160センチで卒業するときに177センチになってしましたから中学の時に伸びました。毎日9時半には寝て睡眠時間をたくさんとれたことが良かったのかなと思います。

——沼津商業を選んだ理由は?

練習の雰囲気が自分に合っていると思ったのと、ここであれば自分の力が発揮できるかなと思ったからです。中学時代に自分に合わないチーム、合うチームを両方経験していたので、沼津商が良いなと思いました。自分は多分、強豪私学の厳しい雰囲気でやるのは合わないと思ったので。

——今後の目標を教えてください。

帽子のつばの裏に「恩返し」って書いているんですけど、母は毎朝早く起きて弁当を作ってくれたり、父には高い野球の道具を買ってもらったり、ここまで両親にサポートしてもらってきたので、野球を通じて親に恩返しをしていきたい、良い思いをしてもらいたいと思っています。そのためにも自分がプロ野球選手になって唯一無二のキャッチャーになって、息長く活躍したいと思います。

——もしもプロ野球選手になれたら契約金は全部親にあげますか?

契約金がもらえたら自分のためには使わずに、両親のためにはもちろんですけど、沼津商やこれまでお世話になったチームなどのために使いたいなと思っています!(取材・写真:永松欣也)