2024年の『M-1グランプリ』で初の決勝進出を果たし、一躍その名を全国に轟かせたお笑いコンビ・エバース。結成10年目を迎えた彼らが、『学級王ヤマザキ』や『コロッケ!』で知られる漫画家・樫本学ヴ氏とタッグを組んだポップアップイベント「エバース×樫本学ヴ展」が東京・渋谷MODIで11月11日まで開催中だ。自身の単独ライブのポスターイラストを樫本氏が手掛けたことをきっかけに実現した本展示会開催を記念し、佐々木隆史と町田和樹にインタビューを実施。イベントへの思いから、激動の10年、そして『M-1グランプリ2025』への意気込みを語ってもらった。
会場には、樫本学ヴ氏によって描かれたエバースのイラストや、単独ライブのポスターなどがずらりと並ぶ。まさにエバース一色の空間だ。子供の頃に夢中になった漫画家とのコラボレーションという、芸人人生でも稀有な体験に、2人は感慨もひとしおといった表情を見せる。
町田は「いやもう本当に、10年頑張ってきてよかったなという感じです。子供の頃に見ていた漫画の作者の先生に、こんなにたくさん描いていただいて。普通にうれしいですね」と素直な喜びを口にする。佐々木もまた「そうですね、10年やってきてよかったなと思います」と町田の言葉に静かに頷いた。
自分たちが主役の空間に立つ心境を尋ねると、町田は「少し恥ずかしさもありますけど」とはにかむ。一方の佐々木も「僕らが10年間頑張ってきたことが、この空間に現われているのかな」と、冷静ながらも確かな手応えを感じている様子だ。
会場で販売されるオリジナルグッズも、ファンにとっては見逃せない。町田のお気に入りは、自身のキャラクターがデザインされたピンズ。「ジャケットにつけているんです。お気に入りです」とうれしそうに紹介する。佐々木は「パーカーは単独ライブの時は出していなかったので、初めてなんです」と、新たなアイテムに手応え。町田が「ランダムステッカーも、先生がこのために描いてくれたイラストとかもあって、すごいです」と続けるように、細部にまでこだわりが詰まっている。
憧れの漫画家の手によって二次元のキャラクターになる。それは、ほとんどの人が経験できない特別な出来事だ。佐々木は「僕ら世代の芸人はみんな知っている漫画家さんなので、すごく羨ましがられましたね」と、周囲からの反響を明かす。樫本氏のポップな絵柄についても「アニメっぽい感じなのもいいですよね」と魅力を語った。
描かれた自分たちのキャラクターについて、佐々木は「町田はそのまんまですね」と評する。当の町田は「先生、ちょっとやりすぎじゃないかとは思いますけど」と苦笑いしつつも、「でも、特徴は掴んでいただいて。本当にうれしいです」と再現度の高さに満足げ。「もう少し可愛らしくしてほしかった?」という問いに、「もうちょいできたんじゃないかと。そこはプチクレームとして(笑)」と笑っていた。
神保町への移転と先輩からの言葉 コンビを支えた2つの転機
結成10年目を迎えた2人。しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。町田が「最初の頃は辞めてもおかしくないような状況はいくらでもありましたが、10年目にして、辞めなくて本当によかったなという感じです」と語れば、佐々木も「自分たちが頑張ってきた結果かなと思います」と静かに10年の重みを噛みしめる。
2人が走り続けることができた原動力はどこにあったのだろうか。コンビの転機について尋ねると、佐々木は「環境の変化」を挙げた。
「5年目くらいの時に、劇場が渋谷から神保町に変わったんです。それが結構大きかったかもしれません。若手の劇場になって、切磋琢磨する感じになったので。それがモチベーションになりました」。
当時の渋谷の劇場は1年目から10年目まで幅広い芸歴の芸人が混在し、一番下のクラスに甘んじていたという。しかし、神保町よしもと漫才劇場では1年目から7年目の若手が中心。「ちょうど同じくらいの世代の人たちと切磋琢磨できたのが良かった」と佐々木は振り返る。そこには、今をときめく令和ロマンや金魚番長といった存在もいた。「『負けないぞ』と言うのはおこがましいくらい差はありましたが、結構ライバルみたいな感じでした」と、当時の熱気を語った。
一方、町田にとっての転機は「人との繋がり」だった。
「なんだかんだで舞台にも結構出させてもらいましたし、吉本の先輩方がちょくちょく『面白い』と言ってくれたり、自分のライブに呼んでくれたりしたんです。僕らがまだ全然の頃から。そういうことがあったので、『まだ大丈夫だ』という給水地点のような感じで、走り続けることができました。それがなかったら、もっと違ったのかなと思います」。
環境の変化をバネにした佐々木と、先輩からの言葉を支えにした町田。異なるアプローチでモチベーションを維持し続けた2人がいたからこそ、エバースは10年を駆け抜けることができたのだろう。


