
球春到来を迎えたプロ野球。2025年ドラフト会議では計116人(支配下73人・育成43人)が指名を受け、プロ入りの切符を掴んだ。一方で、現代では数少ないケースとなっているが、ドラフト指名を受けながら入団拒否を選択した選手もいた。ここでは、ドラフト指名を拒否し、プロ入りしなかった選手を取り上げる。[1/6ページ]
諏訪部貴大(すわべたかお)
[caption id="attachment_238395" align="aligncenter" width="530"] Hondaの諏訪部貴大(写真:産経新聞社)[/caption]
Hondaで活躍した諏訪部貴大も、入団拒否を選んだ1人である。
中越高時代には、本格派右腕として注目されていた諏訪部。ただ、目立った成績は残せず、社会人野球のHondaに進んだ。
入社3年目から頭角を現し、同年の都市対抗野球に出場。準々決勝・東芝戦では好投を見せて勝利投手になった。
同年の活躍が評価され、複数球団からドラフト候補としてリストアップ。
迎えた2009年ドラフト会議では、中日ドラゴンズから6位指名を受けた諏訪部。しかし、下位指名だったこともあり、入団拒否を決断した。
その後、右肘の靭帯を痛めたことが影響し、登板機会が減少。2012年に勇退が発表され、社業に専念することとなった。
球春到来を迎えたプロ野球。2025年ドラフト会議では計116人(支配下73人・育成43人)が指名を受け、プロ入りの切符を掴んだ。一方で、現代では数少ないケースとなっているが、ドラフト指名を受けながら入団拒否を選択した選手もいた。ここでは、ドラフト指名を拒否し、プロ入りしなかった選手を取り上げる。[2/6ページ]
石井章夫(いしいあきお)
社会人日本代表の指揮官も務めた石井章夫も、ドラフト指名を拒否した1人だ。
石井は、桐蔭学園高から慶応大に進学。捕手として大学選手権にも出場し、特に強肩を活かした守備面が高く評価されていた。
その後、1986年のドラフト会議で、横浜大洋ホエールズ(現・DeNA)から2位指名を受けた。
しかし、高い評価を受けたものの、プロ入りではなく社会人野球・東京ガスへの入社を選んだ。
東京ガスでも、正捕手として長らく活躍。12年に渡ってプレーし、東京ガスのコーチ・監督も歴任した。
また、2017年からは社会人日本代表の監督に就任。2023年まで指揮をとり、指導者としてのキャリアを積んだ。
球春到来を迎えたプロ野球。2025年ドラフト会議では計116人(支配下73人・育成43人)が指名を受け、プロ入りの切符を掴んだ。一方で、現代では数少ないケースとなっているが、ドラフト指名を受けながら入団拒否を選択した選手もいた。ここでは、ドラフト指名を拒否し、プロ入りしなかった選手を取り上げる。[3/6ページ]
山口裕次郎(やまぐちゆうじろう)
[caption id="attachment_238397" align="aligncenter" width="530"] 履正社高の山口裕次郎(写真:産経新聞社)[/caption]
高校時代にドラフト指名を受け、入団拒否を選んだ山口裕次郎。熟慮の末の決断だった。
履正社高では、1年秋からベンチ入り。東京ヤクルトスワローズでプレーした寺島成輝と切磋琢磨し、高校最後の夏は甲子園に出場した。
しかし、聖地では常総学院高戦で打ち込まれ、鮮烈な印象を残せなかった。
その後、プロ志望届を提出した山口。2016年ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから6位指名を受けたが、下位指名だったこともあり、JR東日本入りを決断した。
社会人からのプロ入りを目指したものの、140キロ台後半を誇った速球の球速が低下するなど、苦しみ続けた。
6年間プレーを続けた後に勇退し、社業専念を決意した。
球春到来を迎えたプロ野球。2025年ドラフト会議では計116人(支配下73人・育成43人)が指名を受け、プロ入りの切符を掴んだ。一方で、現代では数少ないケースとなっているが、ドラフト指名を受けながら入団拒否を選択した選手もいた。ここでは、ドラフト指名を拒否し、プロ入りしなかった選手を取り上げる。[4/6ページ]
佐藤雄偉知(さとうゆういち)
[caption id="attachment_238396" align="aligncenter" width="530"] 東海大相模高の佐藤雄偉知(写真:産経新聞社)[/caption]
東海大相模高の「140キロカルテット」の一員として、当時から注目されていた佐藤雄偉知。育成入団を拒否した1人だ。
東海大相模高では、2年夏の神奈川県大会で5回参考記録ながら、ノーヒットノーランを達成。下級生時から活躍を見せていた。
しかし、3年夏は思うようなピッチングができず、チームは夏の甲子園を制したものの、登板機会がなかった。
その後、プロ志望届を提出し、中日ドラゴンズが2014年ドラフト育成ドラフト1位指名。しかし、育成指名だったことで、Honda鈴鹿への入社を選択した。
社会人野球の舞台では、けがや病気に悩まされた。本来の実力を披露できないまま、5年間の社会人野球生活にピリオドを打った。
球春到来を迎えたプロ野球。2025年ドラフト会議では計116人(支配下73人・育成43人)が指名を受け、プロ入りの切符を掴んだ。一方で、現代では数少ないケースとなっているが、ドラフト指名を受けながら入団拒否を選択した選手もいた。ここでは、ドラフト指名を拒否し、プロ入りしなかった選手を取り上げる。[5/6ページ]
開田博勝(ひらきだひろかつ)
即戦力として期待されていた開田博勝。入団拒否の背景には、「契約金ゼロ枠」があった。
柳川高では、甲子園で6打席連続ヒットを記録。夏の甲子園ベスト8を経験し、法政大に進学した。その後、三菱重工長崎に入社すると、キャプテンとしてチームを牽引した。
都市対抗野球で準優勝を成し遂げ、オリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)が2000年ドラフト5位で指名。
しかしオリックスは、同年から契約金なしで入団し、一軍登録の日数によってインセンティブが発生する「契約金ゼロ枠」の制度をスタート。この条件を知り、最終的に入団を拒否した。
翌年以降も社会人野球で一定の成績を収めた開田。2008年まで現役としてプレーした。
球春到来を迎えたプロ野球。2025年ドラフト会議では計116人(支配下73人・育成43人)が指名を受け、プロ入りの切符を掴んだ。一方で、現代では数少ないケースとなっているが、ドラフト指名を受けながら入団拒否を選択した選手もいた。ここでは、ドラフト指名を拒否し、プロ入りしなかった選手を取り上げる。[6/6ページ]
高見泰範(たかみやすのり)
バルセロナ五輪で日本代表の主将を任された高見泰範も、ドラフト指名を拒否した経験のある1人だ。
高見は、羽島北高から愛知工業大に進学。リーグ戦通算打率3割超えと、非凡なバッティングセンスを発揮していた。
迎えた1985年ドラフト会議では、阪急ブレーブス(現:オリックス)から5位指名。ただ、下位指名だったこともあり、社会人野球・東芝でのプレーを選んだ。
東芝時代も、主力選手として都市対抗野球など全国の舞台で活躍。かつて開催されていたIBAFインターコンチネンタルカップ、さらにはバルセロナ五輪など、日本代表でのプレーも経験した。
その後、コーチ兼任の期間を経て、2001年から2006年まで東芝の監督を歴任した。
【了】