全編を通して意外なのは、マユミさんが書き遺した手紙を読んでも、思い出の場所に行っても、家族が涙を見せないことだ。それはこの家族が、マユミさんの選択を受け止め、着実に前を向いて歩んでいることを裏付けている。
「マユミさんが目の前からいなくなったことは事実ですが、“どこかにいるんだ”と自然に家族が受け入れているように感じています。ダイニングテーブルのマユミさんの席に大きなクマの人形がまるで本人の代わりかのように座っていたり、マユミさんが“乗り移って娘たちを見守る”と言っていた猫がご飯を食べていると“ママめっちゃ爆食いしてる”と笑ったり、身長が伸びた話題になると“ママのほうが高いって言ってた”とまるで昨日のことのように話したり。母親を失ったという感覚よりも、彼女たちはお母さんと一緒に人生を進めているんだろうなと感じます」
スイスへの3人の旅も、どこかマユミさんと一緒に家族4人で来たような雰囲気が伝わってくる。3人が「絵しりとり」で遊ぶ場面があるが、これはマユミさんがいる時によくやっていたゲームだそうで、「その場にお母さんの存在を感じているから、思い出のゲームをやり始めたのかなと思います」と推察。
前述のカフェで、家族4人で最後に聴いた曲を流すシーンも、「まさにマユミさんを家族で感じたい時間だったのだろうと思いました」と捉えながらカメラを回していた。
マユミさんが亡くなる瞬間に立ち会っていた山本D。その後の家族が、ここまで前を向いて歩みを進める姿は、想像がつかなかったという。
「これまでも安楽死というテーマで何度か取材をさせてもらいましたが、ご家族のその後を追いかけたことはなくて、他のドキュメンタリーでも見たことがなかったので、ご家族が本当に受け入れられるのか、全く想像がつかなかったんです。それでも、この2年で家族が当時の決断を悔いるような素振りは全くありませんでした」
「映像に声が入ると…」清原果耶のナレーション中に涙
家族が明るく過ごす姿を見てきた一方、山本Dは、清原果耶のナレーション収録で図らずも涙してしまった。
「スイスで娘さんたちが楽しそうに笑っている中、マコトさんが一人座ってマユミさんのことを考えているシーンは、カメラを回していた時も感慨深かったのですが、声を当ててもらって映像と一緒に入ってくると、グッとくるところがありました」と、思いがあふれ出てしまったそうだ。
また、最後のナレーションを清原が読み上げた時も、感情を強く揺さぶられたという。それは、マユミさんが生前、家族の幸せを願ってマコトさんに言付けしていたメッセージだ。
<もし、私が生きていたら受けられるはずだった幸せの全てを娘たちにあげてください。余ったら、あなたにもあげるから>
「一周忌のタイミングでお話を聞かせてもらった時に伺った言葉なのですが、ユーモアもあってマユミさんの人柄が全部詰まっている感じがしたんです。このご家族はマユミさんが引っ張っていき、マコトさんはみんなの話を聞くタイプなのですが、このマユミさんからの言付けがあってマコトさんは“自分が任されたんだ”と思い、スイスに連れて行くことを決めたのだと思います。だからこそ、この家族にとってとても大切な言葉であり、清原さんに声を当ててもらったことで改めて心に刺さりました」(山本D)