(左から)読売ジャイアンツの門倉健、阪神タイガースの小林宏之、中日ドラゴンズの川崎憲次郎(写真:産経新聞社)

 

 プロ野球の世界では、有効な戦力補強の手段の1つにフリーエージェント(FA)獲得が挙げられる。過去を振り返ると、FA移籍後も大活躍を見せた選手も数多くいるが、大きく成績を落とし、補強失敗となった事例もある。ここでは、期待外れの成績に終わったFA戦士を紹介したい。[1/6ページ]

井納翔一

 

 

 

・投打:右投右打

・身長/体重:188cm/94kg

・生年月日:1986年5月1日

・経歴:木更津総合高 - 上武大 - NTT東日本

・ドラフト:2012年ドラフト3位(DeNA)

 

 8年間で通算50勝という実績を引っ提げ、新天地に移った井納翔一。しかし、移籍後は目立つ活躍ができず、わずか2年で戦力構想外となった。

 

 NTT東日本から2012年ドラフト3位で横浜DeNAベイスターズに入団した。ルーキーイヤーから5勝を挙げた。

 

 翌2014年には規定投球回をクリア。2桁11勝を記録するなど、先発として頭角を現した。

 

 

 

 その後も先発ローテーションの一角として活躍。2020年オフに国内FA権を行使すると、読売ジャイアンツと東京ヤクルトスワローズが獲得に乗り出し、2年契約で巨人への移籍を決断した。

 

 ところが、移籍初年度は開幕5戦目の先発マウンドを託されるも、2回途中4失点でノックアウト。以降はリリーフに配置転換された。

 

 最終的に同年は、わずか5試合の登板で防御率14.40と散々な結果に終わった。

 

 翌2022年はシーズンの大半を二軍で過ごし、7試合のリリーフ登板に。同年オフに戦力外通告を言い渡され、現役生活に別れを告げた。

 プロ野球の世界では、有効な戦力補強の手段の1つにフリーエージェント(FA)獲得が挙げられる。過去を振り返ると、FA移籍後も大活躍を見せた選手も数多くいるが、大きく成績を落とし、補強失敗となった事例もある。ここでは、期待外れの成績に終わったFA戦士を紹介したい。[2/6ページ]

 

川崎憲次郎

 

 

 

・投打:右投右打

・身長/体重:182cm/87kg

・生年月日:1971年1月8日

・経歴:津久見高

・ドラフト:1988年ドラフト1位(ヤクルト)

 

 ヤクルトスワローズ時代には4度の2桁勝利を記録するなど、先発の柱を担っていた川崎憲次郎。しかし、FA移籍後は右肩の故障に苦しみ、在籍4年間で一軍登板は引退試合を含めた3試合にとどまった。

 

 1988年ドラフト1位でヤクルトに入団すると、高卒2年目の1990年に早くも先発ローテーションに定着し、2桁12勝をマーク。

 

 さらに、翌1991年、1993年にも2桁勝利を挙げた。

 

 

 

 一時は低迷したが、シュートを習得したことで復活。1998年には29試合(204回1/3)を投げ、17勝10敗、9完投3完封、防御率3.04の活躍で最多勝に輝き、沢村賞にも選出された。

 

 1999年オフにFA権を行使し、中日ドラゴンズに移籍。読売ジャイアンツに好相性を誇ったことから、打倒・巨人に闘志を燃やす星野仙一監督の大きな期待を受け、迎え入れられた。

 

 だが、移籍初年度はオープン戦で右肩を痛めて長期離脱。故障との闘いを強いられ、3年連続で一軍未登板に終わった。

 

 2004年には落合博満監督から開幕投手に抜擢されたが、復活には至らず。同年限りで現役を引退した。

 プロ野球の世界では、有効な戦力補強の手段の1つにフリーエージェント(FA)獲得が挙げられる。過去を振り返ると、FA移籍後も大活躍を見せた選手も数多くいるが、大きく成績を落とし、補強失敗となった事例もある。ここでは、期待外れの成績に終わったFA戦士を紹介したい。[3/6ページ]

 

門倉健

[caption id="attachment_139321" align="aligncenter" width="530"] 巨人時代の門倉健(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

・投打:右投右打

・身長/体重:193cm/90kg

・生年月日:1973年7月29日

・経歴:聖望学園高 - 東北福祉大

・ドラフト:1995年ドラフト2位(中日)

 

 NPBでは4球団を渡り歩き、先発投手として実績を積み上げた門倉健。唯一、結果を残せなかったのが、FA加入した読売ジャイアンツ時代であった。

 

 東北福祉大から1995年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。ルーキーイヤーから7勝を挙げると、翌1997年から2年連続で2桁勝利を記録した。

 

 その後、2度のトレード移籍を経て、2004年に横浜ベイスターズへ加入。2005年には11勝8敗、177奪三振、防御率3.37の活躍で最多奪三振のタイトルを手にした。

 

 

 

 翌2006年も2桁10勝をマークし、同年オフにFA権を行使して巨人に移籍。

 

 しかし、移籍初年度は12試合の登板で1勝5敗、防御率5.97と低迷。翌2008年はリリーフ起用となったが、11試合の登板に終わった。

 

 同年オフに減額制限を超える年俸提示を受け、球団との交渉が決裂。退団を選択し、以降は韓国など海外で現役を続行した。

 プロ野球の世界では、有効な戦力補強の手段の1つにフリーエージェント(FA)獲得が挙げられる。過去を振り返ると、FA移籍後も大活躍を見せた選手も数多くいるが、大きく成績を落とし、補強失敗となった事例もある。ここでは、期待外れの成績に終わったFA戦士を紹介したい。[4/6ページ]

 

小林宏之

 

 

 

・投打:右投右打

・身長/体重:185cm/85kg

・生年月日:1978年6月4日

・経歴:春日部共栄高

・ドラフト:1996年ドラフト4位(ロッテ)

 

 メジャー挑戦を断念し、阪神タイガースへ国内移籍した小林宏之。だが、思うような活躍ができず、わずか2年で戦力外となった。

 

 1996年ドラフト4位で千葉ロッテマリーンズに入団。2003年に自身初の2桁10勝を記録すると、計4度の2桁勝利を達成するなど、先発陣を牽引する存在に。

 

 2010年には抑えに転向し、57試合登板、3勝3敗29セーブ、防御率2.21の好成績を収めた。

 

 

 

 同年オフにメジャー移籍を目指し、海外FA権を行使。しかし、メジャー球団からの獲得オファーはなく、阪神タイガースに移籍することになった。

 

 移籍初年度は42試合に登板したものの、不安定な投球が目立ち、1勝5敗21ホールド、防御率3.00といまひとつの結果に。

 

 翌2012年には先発に転向したが、まさかの一軍登板なし。同年オフに戦力外通告を言い渡された。

 

 その後、独立リーグでのプレーを経て、2014年7月に埼玉西武ライオンズに加入。しかし、15試合の登板で防御率7.94と思うような成績を残せず、同年限りで現役を引退した。

 プロ野球の世界では、有効な戦力補強の手段の1つにフリーエージェント(FA)獲得が挙げられる。過去を振り返ると、FA移籍後も大活躍を見せた選手も数多くいるが、大きく成績を落とし、補強失敗となった事例もある。ここでは、期待外れの成績に終わったFA戦士を紹介したい。[5/6ページ]

 

野口茂樹

 

 

 

・投打:左投左打

・身長/体重:179cm/88kg

・生年月日:1974年5月13日

・経歴:丹原高

・ドラフト:1992年ドラフト3位(中日)

 

 中日ドラゴンズで左のエースとして活躍した野口茂樹。だが、FA移籍後はわずか1勝に終わるなど、期待通りの働きを見せることができなかった。

 

 1992年ドラフト3位で中日に入団。高卒3年目の1995年に一軍へ定着すると、1998年には最優秀防御率(2.34)を獲得。

 

 さらに翌1999年は19勝7敗、防御率2.65の好成績でリーグ優勝の立役者となり、最優秀選手(MVP)に輝いた。

 

 

 

 2001年には12勝9敗、187奪三振、防御率2.46をマークし、最優秀防御率と最多奪三振の投手2冠を獲得。

 

 その後はやや数字を落としたが、2005年オフにFA権を行使。複数球団が獲得に乗り出し、2年契約で読売ジャイアンツへの移籍を決断した。

 

 しかし、移籍初年度はわずか1試合の登板に。翌2007年はリリーフに回り、31試合に登板したが、2008年は一軍登板なしに終わり、同年オフに戦力外通告を受けた。

 

 その後、現役続行を模索するも、NPB復帰は叶わず、現役を引退した。

 プロ野球の世界では、有効な戦力補強の手段の1つにフリーエージェント(FA)獲得が挙げられる。過去を振り返ると、FA移籍後も大活躍を見せた選手も数多くいるが、大きく成績を落とし、補強失敗となった事例もある。ここでは、期待外れの成績に終わったFA戦士を紹介したい。[6/6ページ]

 

山沖之彦

 

 

 

・投打:右投右打

・身長/体重:191cm/90kg

・生年月日:1959年7月26日

・経歴:中村高 - 専修大

・ドラフト:1981年ドラフト1位(阪急)

 

 NPBにおいて、移籍後の一軍出場ゼロで退団した初めてのFA選手となったのが、山沖之彦だ。

 

 1981年ドラフト1位で阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)に入団すると、ルーキーイヤーから一軍に定着し、規定投球回をクリアした。

 

 翌1982年には15勝を挙げると、1987年には19勝10敗、防御率2.75の活躍で最多勝を獲得。計5度の2桁勝利をマークするなど、球界を代表する存在となった。

 

 

 

 35歳を迎えた1994年は、21試合の登板で7勝4敗、防御率4.25を記録。成績がやや右肩下がりとなっていたものの、同年オフにFA権を行使。

 

 通算112勝の実績を引っ提げ、阪神タイガースに活躍の場を移した。

 

 しかし、移籍初年度は春季キャンプで右肩を故障。二軍でもわずか2試合登板にとどまり、一軍ではまさかの出番なし。同年オフに戦力外通告を受け、そのまま現役引退を決断した。

 

 

【了】