生きるとは、働くとは、幸せとはなにか考えるシリーズ「生きる、働く、ときどき病」。 「52歳、私の髪は…白髪です」そう語るのは、SNSで大人気のインフルエンサー、姫さん。20代の頃、重度のパニック障害を患い、白髪になった彼女は、自分を心から愛おしいと思えるようになるまで、20年以上の年月がかかったと言います。
今回はそんな姫さんのカミングアウト、そして人生について、『52歳、今ようやく人生が始まるの』(KADOKAWA)よりお届けします。
■白髪でよかったと思えるようになった
私はずっと自分の白髪が大嫌いでした。
病気になった20代の頃は、白髪になってしまった自分の髪の毛が嫌いすぎて、毎月のように白髪染めをしていました。そのせいで、頭皮はボロボロ。あまりにもダメージがひどすぎて途中からヘナに変えましたが、それでも30代に入ると、頭皮までかぶれるようになってしまいました。
「このままでは、髪の毛だけでなく、頭皮までダメになってしまう……」
そう思いながらも、白髪染めをやめるわけにはいきません。帽子をかぶったり、ウィッグをつけたりしてごまかしていました。
そうやってずっと自分の頭皮を傷め続けてきましたが、10年くらい前に、美容師さんからの提案で、頭皮につかないよう黒が残っていた部分もブリーチして真っ白に。そこから金髪にするようになりました。
この金髪は、本当に「透けるような」美しい金髪だったので、フォトグラファーのみなさんからも大好評。どこへ行っても「きれいな金髪」と褒めていただくようになりました。
でも、私自身はこの金髪が好きにはなれませんでした。
私にしてみれば「頭皮に負担をかける白髪染めができなくなって、ヘナもできないなら、ブリーチするしかない」という後ろ向きの選択で、仕方なく金髪にしていたからです。はじめの頃は「派手すぎる」とネガティブに受け止め、鏡を見るのも嫌でした。でも、いろんなところで褒められる機会が増えてくると、少しずつ自分の金髪が好きになっていきました。
さらには、ピンク色などのメッシュも入れ、楽しんだりもしていました。
ただ、褒められれば褒められるほど、本当のことを言えない自分を苦しく思うようにもなったのです。
「どうしたらこんなにきれいな金髪になれますか?」
とよく聞かれたのですが、そのたびに、
「何度もブリーチしています」
と答える。それは嘘ではありませんが、「本当は白髪なのにな……」という気持ちがいつもどこかに引っかかっていました。
地毛が白髪であることをカミングアウトしたのは、コロナ禍で頻繁なブリーチやお手入れができなくなり、久しぶりに美容院に行ってブリーチした時に、髪の毛が半分くらい切れてしまったからです。美容師さんからは、「髪の毛のためにも、今後ブリーチは控えたほうがいい」と言われ、白髪の地毛で生きていくしかない状況になってしまったのです。
そこで、本当は50歳という節目で打ち明けようと思っていた「地毛が白髪である」という「真実」を、1年前倒しにして告白しました。
カミングアウトした結果、もう隠したりごまかしたりしなくていいんだ、というストレスからも解放されて、すごく気持ちがラクになりました。
さらに、同じように白髪で悩んでいる方や、苦しい思いをしている方から、思っていた以上に共感や励ましをいただきました。ありのままの私の髪が好きだと言ってくださる方もたくさんいて、カミングアウトして本当によかったと思っています。
20代で白髪の自分に泣いていた頃は、まさかこんな形で白髪を多くの人に褒めてもらったり、誰かの元気や勇気になれたりする日が来るなんて考えてもみませんでした。
白髪は、私が苦しみながらも生きてきた証です。
これからも胸を張って、白髪の私をみなさんに発信していこうと思っています。
■「こんな人生いらない」なんて思わなくていい
病気が一番つらかった頃、私は何度も「こんな人生いらない」と思っていました。生きている意味もわからず、生きることを諦めようと何度も思いました。
はじめは一人で電車に乗れない程度でしたが、次第に外出するのも困難に。近所のコンビニにすら、発作が起きたら……と思うと怖くて、一人では行けません。
さらに症状はどんどん悪化。とうとう、家から一歩も外に出られない状態が続くようになりました。
家の中でもいつ発作が起こるかわからないので、お風呂にもゆっくり入れません。お風呂に入る時は、何かあったらすぐにSOSを出せるようにと、ドアを開け、すぐ手が届くところに携帯電話と自宅の電話の子機を置いて、入っていました。そうしなければ、怖くてお風呂にも入れなかったのです。
当時は外出が怖くて美容院にも行けず、お尻まで届くほど髪の毛が伸びていました。洗うのも一手間だったので、本当に大変でした。
そんな状態でも、「仕事にだけは行かなくてはいけない」と頑張っていました。どんなにつらくても、最低週に1日はアルバイトへと出かけていました。
電車に乗るまでも一苦労。たった一駅なのに電車に乗れず泣いたこともあります。アルバイト先に到着した時点ですでにヘトヘトに疲れていることも多かったのですが、職場の理解を得て、何とかアルバイトは続けさせてもらっていました。
今でこそ、パニック障害や不安障害という病気への理解が深まり、病気を抱えている人への配慮もかなり手厚くなっているように感じますが、当時は病気への理解もほとんどなかったように思います。
見た目でわかる病気でもないので、家族からも理解してもらえず、つらい日々でした。
とくに母親は厳しく、毎日のように「根性が足りないだけだ」と言われました。
精神的疾患に対する世間の無理解や偏見も大きい時代でしたから、今思えば「自分の娘がそんな病気なはずがない」「信じたくない」という親の愛情でもあったのだと思います。
でも、その時いっぱいいっぱいだった私には、「誰からも理解してもらえない」「もう消えたい」という思いが大きくなるばかりでした。
そんなにどん底だった私ですが、今はたくさんの人に自分のことを発信したり、オフ会を開いたりして、毎日「楽しい」と思って生きています。
それは、薬のおかげでしょうか。
それとも、医者の力?
あるいは、誰かが救ってくれた?
いいえ、自分で「抜け出したい」と思って歩き出したからです。
悩みの大きさや内容は人それぞれですが、「こんな人生いらない」と毎日思っていた私でも、今こうして楽しく生きている。
だから、自分で一歩を踏み出し、歩き出せさえすれば、人生は変えることができるのです。
もし今、昔の私のように「こんな人生いらない」と思っている方がいたら、まずは足を前に一歩踏み出してみてはいかがでしょう。
いつ人生が終わっていてもおかしくなかった私も、そうやって一歩ずつ進んできた先に今を生きています。
一歩踏み出した先に、光はちゃんと存在しているのです。


