
右肘痛で出遅れながらも、夏場に4試合連続完投勝利をマーク。闘志あふれる投球で、1992年の阪神投手陣を支えた右腕だ。[1/6ページ]
4戦連続完投勝利の右腕
野田浩司
[caption id="attachment_271486" align="alignnone" width="1200"] 阪神時代の野田浩司【写真:産経新聞社】[/caption]
・投打:右投右打
・生年月日:1968年2月9日
・経歴:多良木高 - 九州産交
・ドラフト:1987年ドラフト1位(阪神)
・1992年成績:26試合登板、8勝9敗1セーブ、防御率2.98
プロ3年目に先発と中継ぎをこなし、37試合の登板で11勝12敗、5セーブの成績を残した野田浩司。
翌1991年には、212回2/3を投げて10完投を記録。同年は32試合の登板で8勝14敗、1セーブの成績を挙げ、翌年も先発の役割を期待されていた。
しかし、1992年のシーズンは、右肘痛の影響で出遅れた。4月18日の広島戦に登板するも、1回1/3を投げて5失点で負け投手になる。
以降、先発2試合・中継ぎ2試合に登板したものの、右肘の状態が上がらない野田は、5月15日に登録抹消。6月30日まで復帰を待つことになる。
その後、4試合のリリーフ登板で好投すると、先発に復帰。7月8日の大洋戦を皮切りに、4試合連続の完投勝利をマークしてチームを勢いづけた。
8月も完投で2勝をマークした野田。しかし、9月1日・中日戦の8勝目を最後に勝ち星から遠ざかってしまう。
そして、優勝争い佳境を迎えた10月9日の中日戦。先発のマウンドに上がった野田は6回を投げたものの、前原博之のソロ本塁打1本にやられ、チームは痛い敗戦を喫する。
それでも、この年の野田の成績は、26試合の登板で8勝9敗、1セーブ、防御率2.98。投手陣を支える活躍を見せた。
スリークォーター気味の闘志あふれる投球スタイルで打者を打ち取る姿は、ファンの心を熱くさせた。
[caption id="attachment_271490" align="alignnone" width="1200"] (左から)中込伸、中村勝広、湯舟敏郎【写真:産経新聞社】[/caption]
プロ9年目に才能を開花させた左腕は、14勝と194奪三振を記録。最多奪三振のタイトルを獲得し、優勝争いの中心で腕を振った。[2/6ページ]
14勝で投手陣を牽引
仲田幸司
[caption id="attachment_271484" align="alignnone" width="1200"] 阪神時代の仲田幸司【写真:産経新聞社】[/caption]
・投打:左投左打
・生年月日:1964年6月16日
・経歴:興南高
・ドラフト:1983年ドラフト3位(阪神)
・1992年成績:35試合登板、14勝12敗1セーブ、防御率2.53
体を折り曲げて、一瞬制止するフォームから投げ込まれる140キロ台の速球と変化球で圧倒する姿が美しかった仲田幸司。プロ9年目の1992年は、華々しく打ち上がる“夏の花火”のような輝きだった。
1985年に阪神タイガース入りした仲田は、プロ2年目に3勝を挙げたものの、キャリアハイは1987年の8勝と伸び悩んでいた。
そんな中、プロ9年目の1992年に才能が開花。開幕3戦目の巨人戦では8回3失点で敗戦投手になったが、5月までに7勝を挙げて投手陣を引っ張っていく。
その後も勝ち星を重ねた仲田は、9月15日の広島戦で完封勝ちして13勝目をマーク。以降、先発やリリーフを任されるもなかなか勝ち星が付かない中、10月6日・ヤクルトスワローズとのゲーム差なしでの大一番を迎えた。
この試合で仲田は、相手のエース・岡林洋一との息詰まる投手戦を繰り広げ、8回6安打1失点、11奪三振の快投を演じるも、5番・広沢克己に悔やまれる一発を打たれて敗戦。残り4試合を残して、ヤクルトに首位を明け渡した。
一方、この年の仲田の成績は、35試合の登板で14勝12敗、防御率2.53。194奪三振を記録し、最多奪三振のタイトルを獲得した。
同年の217回1/3の投球回数は、まさにフル回転と呼ぶにふさわしい活躍だった。
[caption id="attachment_271490" align="alignnone" width="1200"] (左から)中込伸、中村勝広、湯舟敏郎【写真:産経新聞社】[/caption]
先発復帰戦でノーヒットノーランを達成した左腕は、波乱のシーズンで11勝をマーク。切れ味鋭い投球で阪神を支えた。[3/6ページ]
先発復帰戦でノーヒットノーラン達成
湯舟敏郎
[caption id="attachment_271489" align="alignnone" width="1200"] 阪神時代の湯舟敏郎【写真:産経新聞社】[/caption]
・投打:左投左打
・生年月日:1966年10月8日
・経歴:興国高 - 奈良産業大 - 本田技研鈴鹿
・ドラフト:1990年ドラフト1位(阪神)
・1992年成績:27試合登板、11勝8敗、防御率2.82
湯舟敏郎の1992年は、ジェットコースターのようなシーズンだった。
この年プロ2年目の湯舟は、開幕5戦目の4月9日の巨人戦で先発し、7回1失点で勝利。5月4日の巨人戦では、2安打の完投で3勝目をマークする。
しかし、その後も順調に勝ち星を積み重ねるかに思われたが、3戦連続で4回持たずに降板すると、中継ぎに降格した。
そして、背水の陣で臨んだ6月14日の広島戦。この試合で久しぶりに先発復帰した湯舟は、9回11三振の快投でノーヒットノーランを達成し、約1カ月ぶりの4勝目を挙げる。
その後、順調に勝ち星を積み重ねた湯舟は、ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツとの三つ巴の戦いを牽引した。
迎えた10月7日のヤクルトとの首位決戦。湯舟は、8回裏1死一、三塁の場面でリリーフに指名される。しかし、慣れないポジションだったせいか、2四球、1失点で降板。チームはサヨナラ負けを喫し、ヤクルトに首位を明け渡した。
後がない阪神は、同10日のヤクルト戦で中3日で湯舟を先発起用するも、2回2失点で降板。試合も2-5で破れ、本拠地甲子園で野村ヤクルトの初優勝を見ることになった。
それでも、この年の湯舟は27試合の登板で11勝8敗、防御率2.82。チームを支える投球を見せた。
140キロ台前半の切れのある直球にスライダー、フォークを織り交ぜ、打者のタイミングを巧みに外す湯舟の投球術は、芸術的ですらあった。
[caption id="attachment_271490" align="alignnone" width="1200"] (左から)中込伸、中村勝広、湯舟敏郎【写真:産経新聞社】[/caption]
巨体から繰り出す重い速球を武器に、リーグ2位の防御率2.42を記録。10勝には届かなかったが、1992年の輝きは強烈だった。[4/6ページ]
10勝目前で散った右腕
中込伸
[caption id="attachment_271485" align="alignnone" width="1200"] 阪神時代の中込伸【写真:産経新聞社】[/caption]
・投打:右投右打
・生年月日:1970年2月16日
・経歴:甲府工 - 神崎工
・ドラフト:1988年ドラフト1位(阪神)
・1992年成績:28試合登板、9勝8敗、防御率2.42
巨体から繰り出される重い速球、フォークなどが特徴の中込伸。彼の1992年も輝いていた。
プロ3年目までの通算成績は1勝6敗だったが、1992年4月8日の巨人戦に先発して勝利投手となったのをきっかけに、5月までに5勝をマークする。
6月2日の広島戦では、8回まであわやノーヒットノーランの快投を見せて早くも6勝目。防御率もこの時点で1.75を記録していた。
その後は8月5日に7勝目、同13日に8勝目、9月19日の大洋戦では6安打1失点、無四球で完投し9勝目を挙げた。
10勝目を掛けて登板した10月7日・ヤクルトスワローズとの首位決戦では、9回裏まで1失点と好投したが、1死一、三塁のピンチを招くと降板。続いてリリーフした先発・湯舟敏郎の乱調もあり、3-4であえなく敗戦してしまう。
この敗戦により、中込の10勝が幻になると同時に、阪神タイガースの優勝も遠のいた。それでも、同年の中込は28試合の登板で9勝8敗、リーグ2位の防御率2.42をマーク。登板回数は、200回2/3を費やした。
2001年オフに阪神を自由契約となり、台湾に活躍の場を求めた中込。それでも、1992年の輝きはいつまでも色あせることはない。
[caption id="attachment_271490" align="alignnone" width="1200"] (左から)中込伸、中村勝広、湯舟敏郎【写真:産経新聞社】[/caption]
前半戦だけで5勝14セーブ、防御率1.10を叩き出した守護神左腕。故障離脱が惜しまれるほど、圧倒的な存在感を放っていた。[5/6ページ]
前半戦支えた守護神左腕
田村勤
[caption id="attachment_271488" align="alignnone" width="1200"] 阪神時代の田村勤【写真:産経新聞社】[/caption]
・投打:左投左打
・生年月日:1965年8月18日
・経歴:島田高 - 駒沢大 - 本田技研和光
・ドラフト:1990年ドラフト4位(阪神)
・1992年成績:24試合登板、5勝1敗14セーブ、防御率1.10
1992年の阪神タイガース投手陣で、真っ先に思い浮かぶのは田村勤だろう。
プロ1年目から50試合に登板し、3勝3敗、4セーブ、防御率3.77の成績をマーク。迎えた翌1992年、田村のプロ2年目は神がかっていた。
開幕2戦目のヤクルトスワローズ戦で登板し、9回から2イニングを投げて勝利投手になると、6月までに5勝14セーブを記録した。
しかし、その後に左肘の故障で無念の離脱。そのままシーズンを棒に振ることになった。
それでも、同年は前半戦だけで24試合に登板し、5勝1敗、14セーブ、防御率1.10をマーク。投球回41に対して53奪三振を記録し、奪三振率11.63という驚異的な数字を残した。
独特なサイドスローから繰り出される、伸び上がるストレートとスライダーが鮮烈だった田村。
「マウンドに立つだけで球場の空気が変わる」田村の投球は、そんな特別なオーラを放っていた。
抑え不在で苦しんだ、1992年後半の阪神投手陣。抑えの田村が健在だったら同年のペナントレースの行方はどのように変わっていたのだろうかと、つい思いを巡らせてしまう。
[caption id="attachment_271490" align="alignnone" width="1200"] (左から)中込伸、中村勝広、湯舟敏郎【写真:産経新聞社】[/caption]
新人ながらチーム最多の51試合に登板した左腕は、中継ぎから抑えまでフル回転。防御率1.35の安定感でブルペンを支えた。[6/6ページ]
新人でチーム最多51試合登板
弓長起浩
[caption id="attachment_271487" align="alignnone" width="1200"] 阪神時代の弓長起浩【写真:産経新聞社】[/caption]
・投打:左投左打
・生年月日:1967年7月5日
・経歴:国東高 - 亜細亜大 - 熊谷組
・ドラフト:1991年ドラフト3位(阪神)
・1992年成績:51試合登板、4勝1敗4セーブ、防御率1.35
弓長起浩にとって1992年は、阪神タイガースでのルーキーイヤーだった。
切れのあるストレートとスライダー、スクリューなどの多彩な変化球を駆使しながら、淡々と投げ込む姿が印象的だった弓長。
この年の弓長の初登板は、開幕間もない4月16日の大洋ホエールズ戦。5点ビハインドの場面で、1回を無失点に抑えた。
その後も中継ぎとして淡々と腕を振り、首脳陣の信頼を得た。前半戦に抑えを務めた田村勤が離脱してからは、中継ぎだけでなく、抑えとしてもフル回転の活躍をすることになる。
7月12日の中日戦では、8回1死から登板し、1回2/3を無失点に抑えてプロ初セーブをマーク。続く8月2日の大洋戦では4回を投げて2セーブ目、同23日の巨人戦では3セーブ目、10月11日のヤクルト戦で4セーブ目を挙げた。
この年、新人ながらチームトップの51試合登板を果たした弓長は、4勝1敗4セーブ、防御率1.35の成績を残す。ランナーを背負った苦しい場面でも、決して慌てることなく自分の投球に徹する姿は新人離れしていた。
以降も低迷期の阪神中継ぎ陣を支え、翌1993年には54試合、1994年にも54試合、1997年には59試合と登板過多も厭わず投げ続けた弓長。11年のプロ生活で、中継ぎだけで400試合登板を達成した。
【了】